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次の週、出張者が1名増えた。もう一人と同じ苗字なので、自分と一緒に来たのがジョージ、今回来たのがラルフとニックネームがつけられた。「ジョージ!」と呼ばれると、照れくさそうに笑っている。


3人になったところで、またどこかにいこうと思う。近くにいい観光スポットはないかと職場のおばさまに聞くと、「エルビス知ってる?エルビス・プレスリーの家がメンフィスにあるわ、ぜひ見に行ってほしい!」とのこと、彼女はエルビスファンのようだ。メンフィスまで約180マイル、288kmであるが、ラルフは国際免許を持っているので、がんばって行くことにした。


最初にエルビスの家に行く。結構大きな家だった。観光客がたくさんいて、渋滞しながら家の中を歩く。残念ながら撮影禁止だったので写真はない。1階、2階と歩き、地下の娯楽室へといく。通路に一面、ものすごい数のゴールドディスクや衣装が並べられてあった。ほんとに凄い人だったんだなと思った。庭にでると、エルビスのお墓があった。ここに眠っているんだなと思うと不思議だ。

エルビスの家から、メンフィスの観光案内所へ向かう。車を止め、市街地まで歩く。そこにもここにもリスがいる。なんか鳩みたいだなと思う。


アメリカは車社会で、都市部以外に歩道はあまりない。車がびゅんびゅん走っているので、危なくて歩けないから、こういう都会を散歩するのはとても面白かった。こんな感じで歩けるのは、ほかにはゴルフ場ぐらいなのだ、冗談ではなく。


街やモールを散策した後で、ミシシッピー川沿いの公園へ行く。砲台が飾られているのは、南北戦争の名残なのだろうか?いまでは平和な景色の中に溶け込んでいる。平和だってことはいいことなんだなと思う。


大きなピラミッドを見ながら、家路につく。出張も半分終わった、あとの残りはあっという間に過ぎるのだろう、なんかさびしいね。


以下、写真です。

地図、赤枠内がメンフィス
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観光案内所、エルビスがお出迎え
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誰だ?
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路面電車
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リスがいる
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昼食を食べた店
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クリスマス気分で①
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クリスマス気分で②...ピエロ?
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街並み、遠くにハードロックカフェが
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ミシシッピー川沿いの公園、砲台が...
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バイバイ、メンフィス!
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以上、次はバイバイ、ミシシッピー!

時差ぼけと戦いながら一週間が過ぎた。ちょっと遠いけれど、ニューオリンズへ足を伸ばす。片道約150マイル、もう一人は国際免許を持ってないので頑張って運転する。同じ距離でも240kmよりは150マイルのほうが気が楽だ。だからアメリカではマイルなのかもしれない。


インターステート55号を南下する。日本の高速道路に当たるが、無料である。休憩所もあるが、日本のSAと比較するとかなり簡素だ。駐車場に警官がいるのが、やっぱりアメリカなんだなと思う。ミシシッピー州とルイジアナ州の地図をもらい、コーヒーを飲んで出発する。


休憩を挟んで4時間ほどでニューオリンズへ到着、ダウンタウンのフレンチクオーターへいく。昼食を食べ、しばらく散策した。知らない街を歩くのはすごく面白いが、裏通りは危険といわれている。

ニューオリンズにはマルディグラという有名なお祭りがある。その時は夜通しにぎやかなのだそうだ。今回は無理だったが、夜のニューオリンズはもっと楽しそうである。


それから東へ60マイルほど離れた、ガルフポートへ行った。メキシコ湾沿いにあり、ここにはカジノがある。といってもそんなに大きいものではなく、日本の大きなパチンコ屋みたいだった。健全なイメージで、おじいさん、おばあさんが楽しんでいるところだった。


帰りの運転は、だいぶ辛かったが、何とか頑張った。

アメリカの運転免許試験で、「走行中に眠くなった時にはどうすればいいか?」という問題がある。正解は、「窓を全開にして、眠気を醒まして運転する。」である。仮眠をとるのは、別の意味で危険なのだ。


地図、ニューオリンズ(赤枠)とその隣にガルフポート

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ジャクソン スクエア、フレンチクオーターの中心
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カフェ・デュモンド(だったと思う)

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街並み、散策気分で...①
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散策気分で...②

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散策気分で...③
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名前忘れたけど、有名な飲み屋さん
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ジャズで有名なプリザベーションホール...結構微妙
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ミシシッピー川、河口付近
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マルディグラ用?仮面...
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ガルフポートへ移動して...メキシコ湾

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カジノ外観
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カジノの中
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以上、次は最後のメンフィス編。

5年前、アメリカへ出張したときのこと。ミシシッピー州の州都、ジャクソン近くへ1ヶ月ほど滞在した。

計測器の使い方と不具合解析の指導をする人が半年ほどそこの工場へ出張することになり、最初の1ヶ月、自分も一緒に行くことになった。


「半年前に日本人が強盗に撃たれた」とか、「ジャクソンは治安が悪いから昼間でも行ってはだめ」とか脅かされていたが、特に危ない目にもあわなかった。

でもジャクソンは、米人も近寄らないと言っていたので、本当に治安はよくなかったのだろう。今はどうかわからないが。


ちなみに、南部アメリカでは、白人>黒人>黄人(アジア人)とのこと。会社の中では、あまり感じなかったけれど...


わかりにくいけど、赤く囲っているのがジャクソン。
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以下は写真です。まず宿泊したホテル。

嵐のブログ-ホテル外観


部屋はこんな感じである。

嵐のブログ-ホテル部屋


ついでにロビーも。

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近くにあった大きな湖。夏はモーターボートで遊ぶとのこと。

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船着場のある家、毎日がリゾート気分だろうな...

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かもめ?同じく湖にて。

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一応ミシシッピー川、天気が悪いけれど...橋を渡るとルイジアナ州。

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以上、次はニューオリンズ編。

豚インフルエンザって、英語でこう言うみたいです、”スワイン フルー”、pigは使わないんですね。


今のところ、弱毒性で、季節性のインフルエンザと症状は変わらない(か弱い)という見解がアメリカではでています。ただし、突然変異で毒性が強くなる可能性もあると専門家は言っており、今後1年ぐらいはアンテナを高くして、情報をとっておく必要があります。


致死率も、最初の情報ではかなり高かったと思いますが(50%ぐらい?適当な記憶ですいません)、最近の情報では2%程度のようです。(なくなられた方には申し訳ない言い方ですが)


そういう意味では、今となっては日本の検疫体制は、すこし大げさに感じられます。悪いことではないですが、あの防護服で飛行機に入ってこられると、ちょっと怖いですね。鳥インフルエンザや、○○出血熱のような、もっと危険な病気への対応と思います。

それでも、インフルエンザ自体つらいですから、海外へ行かれる方は、体調維持やうがい、手洗い等の防止が必要と思います。季節性のインフルエンザにかかっている人も見受けられる(日本で疑いのあった人は今のところすべて)ので、ご注意ください。


気になるのは(突然変異はおいといて)、人から豚へうつったということです。日本にウイルスが入ってきて、豚が感染したら...どうなるんでしょうか?


鳥インフルエンザに感染すると、鳥は死んでしまいます。それで死んだ鳥は食用にはしないでしょう。

豚インフルエンザに感染した豚は、なおるそうです。豚にとってはいいことです。それは普通にたべるんですよね、きっと。食の安全に敏感になっている日本がどう受け止めるか...自分は気にしないですが、たぶん。



東北道を走り、栃木へ向かう。4時間ほどでNさんの家に着いた。


家に上がらせていただき、線香を上げた。ふとんの上に、会社のIDカードが乗っているのに気づいた。

「病院で、職場に戻りたい、戻りたいって、最後まで言ってたんですよ。」

涙をこらえながら奥さんが言う。思わず涙が出そうになるが、自分が泣くわけにはいかない。

娘さんが涙ながらに言う。2年前、胃癌と分かった時、その年の夏に海外工場へ出張する計画があった。「手術はしないでいい、出張へいく。俺は死んでもいいから。」と御家族に言っていたそうだ。出張は中止となり、Nさんは残念だったに違いない。


お通夜が終わり、告別式の日。入社後から面倒を見てもらっていたM君は、線香を上げた後に号泣していた。そして2日間の手伝いを終え、自分は他のメンバーと共に神奈川へ戻った。


Nさんの席は、自分の斜め後ろである。机の私物整理をお願いし、御家族へ返却するものをダンボールにまとめてもらう。机の上には、一輪挿しに黄色い花が飾られている。

会社、組合からの御家族への説明会日程を調整し終わり、やっと一息ついた。ボーっと座っていると、不意にあるイメージが浮かんだ。ほんの一瞬だが、Nさんが席にすわっているような気がした。とても静かで、表情はなく、感情も感じられない。ものすごく静かに、灰色のNさんがたたずんでいた。でも、怖いとは思わなかった。


説明会の当日、奥さんと娘さんが会社にこられることになり、あわせて職場が見たいという話になった。秘匿性が高く、外部の人は入れないところであるが、特別に許可が下りた。

当日、自分は対応できなかったが、奥さん、娘さんが一人ずつNさんの席に座り、ありがとうございますといって帰られたそうだ。


Nさんが亡くなられて、もうすぐ1年となる。彼が本当に戻りたかったのは、あちらこちらの現場を飛び回り活躍する自分にだったのかなと思う。