フラワーモチーフジュエリーブランド
セレンディップジュエルの
天生目理香(Nabatame Rika)です。
このブログは、今落ち込んでいて、
出口が見えない人に読んでいただきたくて
書き始めたパーソナルStoryです。
はじめましての方へ
悩み(40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2620日⑬)
何のために生きているのか―
中学3年生の頃からから、そんなことをよく考えるようになっていた。
人は何のために生きるのか。生きる意味とは何なのか。みんな考えたりしないのだろうか…
すっかり悩んでしまい、友達に聞いたことがあった。
「ねぇ、いなくなって困る人っているのかなぁ。偉い人でも、身近な人でもいなくなると寂しいけど、いなくて困る人って絶対にいないよね? いなきゃいないでどうにかなるものだよね」
「そうかもしれないけれど、いたらいたで、少しずつその人の影響があって変わっていくから、生きてる意味はあるんじゃない?」
高校の自転車置き場で、そんな会話をしたが、それで納得がいくことはなかった。
私が通っていた高校は長野市内にある男女共学の県立高校だった。一応進学校だが「自由過ぎる」校風のためか、大学進学希望者の半数以上が1年浪人をするので、「4年生高校」とひそかに言われていた。
その高校を選んだ理由は、自由な雰囲気で、制服がなかったからだ。
希望して入った高校だったが、登校しても授業中は机に顔を伏せて、ほとんどの時間は寝ていた。
学校を休むことも多く、自分の部屋のベッドに横になり、壁と天井ばかり見ていた。
だから、テストの成績はいつも最下位に近かった。学年417人中417番だったこともある。夏休み前の個人面談で、先生からそのことを聞いた母が「ショックを受け過ぎて椅子から立ち上がれなかった」と言っていたことを覚えている。
「お願いだから一番下はやめて…」
母に言われた。
何だか本当に申し訳ない気がして、それから少しだけ勉強した。成績は380番くらいにはなった。
決してさぼっていたわけではない。
本気で落ち込んでいた。
「生きるのって大変だな」と思っていた。
意味が分からないのに、この先、人生がまだまだ続くのだから。
どうしてそんなふうに深く考え込んでしまったのか、今思うと恥ずかしい。
勿論、その成績で入れる大学はなく、1年浪人して、どうにか東京にある有名3流大学の法学部に入学した。
けれどもやる気のなさは変わらず、夜は友達と何となく一緒に過ごし、昼間は部屋で寝ているという生活をしていた。
だから、1年目はほとんど講義に出席せず、取れた単位は17だけだった。
どうにかしたいと思ってはいたが、どうしてもやる気が出なかった。
そんな生活に転機が訪れたのは、大学2年の時だった。
当時サークルが一緒だった友達が私の部屋に遊びに来た。
色白で、いつもフワッとした優しい雰囲気の子だった。話し方もおっとりしていて、なんて可愛いんだろうっていつも思っていた。お父さんがお医者さんで、家が病院を経営していると言っていたので「お嬢さま」だったのだと思う。
「私ねマザー・テレサのビデオ観て感動しちゃった。インドで最も貧しい人のために活動してるの」
とても感動したという事は伝わってきたが、私はこの時、マザー・テレサについて、よく知らなかった。
だから「奉仕活動に興味があるんだ、すごいなぁ」と思いながら、話を適当に合わせていた。
でも、友達が帰ってから、マザー・テレサのことが気になり始めた。駅ビルの本屋さんに行き、マザーの本を探した。何冊かある中で、「マザーテレサ最後の祈り」という本を購入した。
自分の部屋に戻り、本を開いた。ページをめくり読み進めると、マザーの言葉の一つひとつが静かに心に響いた。
心が静まっていき、周りの雑音が全て消えていく。その心の静けさに、今まで感じた事のなかった心地良さを感じた。
「今日の最も重い病気はレプラ(ハンセン病)でも結核でもなく、人から愛されていない、誰からも見棄てられていると感じることなのです。最大の罪は、愛と憐れみを持たないことです~困っている隣人を目にしながら無関心でいることです」
この一文が深く心に残った。
全てを完全に与えつくす。そんなマザーの様子が書かれている本を読んで、私は、ようやく自分の間違いに気が付いた。
マザーはいつも他者のことを考え、行動しているのに、私はいつも自分のことばかり考え悩んでいた。
本当はとても満たされ愛されているのに、足りないことばかり数え上げ、劣等感でいっぱいになり、生きる気力を無くしていた。
私もこんなふうに生きてみたい。
私の人生も誰かの役に立つものでありたい。
自分のことばかり考えるのはもうやめたい。
そんな風に思った。
この時、私はようやく自分がどう生きたらいいのかを見つけたのだと思う。
その後進路について考え、大学を卒業し看護学校に入った。
これから先の人生を、人の役に立てるものにしたかった。だから看護師という職業を志した。