フラワーモチーフジュエリーブランド

セレンディップジュエルの

天生目理香(Nabatame Rika)です。

 

このブログは、今落ち込んでいて、

出口が見えない人に読んでいただきたくて

書き始めたパーソナルStoryです。

 

 

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 マザーテレサ - インド(40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2620日⑭)

 

 

 とても幸運で、得がたい経験だった。

 

 私は、看護学生の時、マザー・テレサに合うチャンスに恵まれた。

 

 日本のハンセン病患者の方々と、一緒にインドのカルカッタで活動しているマザーに逢いに行くことになった。全盲の女性をサポートするボランティアとしてツアーに帯同させていただいた。

 

 マザ―の修道院に1週間滞在した。その施設の天井や壁にはヤモリのような生き物がたくさんいて、落ちてきたらどうしよう…と怖くて仕方なかった。

 

 シャワーなんて、もちろんない。敷地内の池から水を汲んできて、トイレで体を流すように言われたが、滞在中はタオルを絞って体を拭いていた。

 

 インドはとても蒸し暑く、毎日汗をかいて体がベタベタして気持ち悪かったが、どうしても池の水を使うことはできなかった。池が濁っていて、泥水のように見えたからだ。

 

 トイレも、もちろん水洗ではない。地面に大きな穴があるだけだった。

 

 食事はカレーがメインだったが、食べるとじゃりじゃりした。砂が混じっていることは普通だった。

 

 たった1週間とはいえ、この環境で過ごすことは本当に大変だった。体中に汗疹がいっぱいでき、お腹もこわしてしまった。

 

 でも、ミサに毎夕参加させていただき、人々の一番後ろに座って、背中を丸めて祈るマザーの姿を毎日見ることができた。

 

 その姿はとても小さく、そこにマザーがいることに気が付かないくらい静かで目立たなかった。

 

 日本では考えられないような劣悪な環境。マザーの本に書いてあった通り、街に出ると道路に横になって寝たまま動かない人がたくさんいた。既に死んでいたのかもしれない。

 目を覆うこともできないくらい、あちこちにそんな人がたくさんいた。

 

 マザーはそういった一人ひとりを助けてきた。

 考えただけでも気が遠くなるような仕事だと思った。そんな場所で、間近でマザーに逢ったことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 白地にブルーの線が2本入ったサリーを身にに纏ったマザーは、腰が少し曲がった小さなおばあちゃんだった。腰が曲がっていたためか、身長は私の首くらいの高さだったと思う。

 

 ハンセン病の方々と一緒に献金を渡した。

 

 「これで、私はまた金持ちになったわ!」

 

 満面の笑顔でマザーは冗談を言った。

 

 大変な仕事をしている悲愴感など全く感じさせない、明るいおばあちゃんだった。

 その笑顔はあまりに眩しかった。

 涙があふれ、止まらなかった。

 なぜ泣いているのか、自分でも説明ができない。

 それでも涙が止まらなかった。

 

 その2年後、マザーが亡くなったことをニュースで知った。

 

 翌年、私は看護学校を卒業し資格を取得した。

 看護師の仕事は大変だったが、好きだった。

 けれども、人間関係で挫折し、仕事を辞めることになった。

 少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、私にとってそれは、生きる方向性を見失う事に近かった。

 

 自分はなんのために生きているのか。

 

 人生をかけてやりたいことは何なのか。

 

 関心のあったメイクアップやヨガも学んでみたが、自分が心からやりたいことをなかなか見つけることができずにいた。

 

 それはなぜなのかを考えていた時、ふと気づくことがあった。

 今の自分は年齢、能力、経験、家族状況、資金力の中で、「できそうなこと」を探している。これだけ自分を限定して、持っているものを守りながら、人生をかけてやりたいことなんて見つかるものではないと思った。

 

 人生をかけるとは、自分が今、持っているもの全てを捨ててもいいとさえ思えること。改めてそう考えた。

 そして私は一つずつ、自分を縛っていた自己限定を外していった。

 知らず知らずのうちに入り込んでいた小さな箱の中から自分を解放した。

 

 心からやりたいことは、20歳の頃思ったように、誰かの役に立つ仕事をすること。マザーのように途上国の支援ができるようになることだと思った。

 それが、私が心からやってみたいと思うことだと確信した。

 

 これに気付くまでに、随分周り道をしてしまったが、ようやく思い出すことができた。 

 

 でも、どうしたらできるのか…分からない。

 しかも、誰にも頼まれてもいない。

 

 考えながら、私はこの日から英語の勉強を始めた。

 

 海外に目を向ける上で、英語は必要になると思った。

 

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