歎異抄を読み解く  NHK R1高橋源一郎 飛ぶ教室 | ニャンコの音楽とオーディオでまったりした日々

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オーディオは以下のとおりです。
https://ameblo.jp/tiromie/entry-12481502923.html

宗教は戦争の背景になったり、政治と共に雑然とした集まりの話題に出してはいけないとされますね。

 

ところが、表記ラジオ番組で今回は浄土宗の教祖、法然と、その弟子で浄土真宗の教祖、親鸞のことを書いた弟子の書(歎異抄 たんにしょう)を現代語訳をするというのが興味深かったです、。

 

 

 

 

訳し方が全然違うのです。小説家に詩人の違いやバックボーンの違い。

 

自分と共通は、宗教心がないこと。

 

盛り上がった一幕は、双方とも念仏の意味を理解する必要はない[m:76]

南無阿弥陀仏と唱えるだけであとは何もしなくて良い。親鸞は口先だけでも良い。

宗教の意味をある意味取った。

 

ところが、念仏唱えても嬉しくならないし、極楽浄土というのに、極楽へも浄土へも行きたくない。とする弟子に親鸞も同様だと。

 

迷い、欲望、この世への執着、地上に縛られているから。生きるとは煩悩。

病気になって死ぬとなれば不安になるとは高橋さん訳。

苦労多い現実に長生きしようとする市民が多いのは迷いからでした。

 

詩人の女性

弟子から、あの世に行きたい気持ちはわからないのは親鸞も同じで分からない

迷い怒り貪る心から、苦しみだらけのこの世。浄土は生まれたこともないので恋しくない。この世との縁が薄くなったときにやってくる。

迷いの心がないのはかえってまずいかもしれないよ。

 

他にも訳し方比較があって、歎異抄を知らなくても楽しめました。

 

教祖が同じでも、訳し方で宗派がどんどんと変わることも何となく分かりました。

 

ご興味あればネットの繰り返し聴取でどうぞ。