言葉はこちらの考えを相手に伝える為の道具である、
道具ならば使いやすいものを、と思う
相手も使ったことのある道具のほうが、
すぐにその道具を使用する真意まで理解されるだろう。
哲学というと難しい言葉が羅列している本を読んだり、
難しい言葉で話したりすることだと思われるが、
なぜ簡単な言葉で話したり、
書いたりすることが出来ないのだろう。
カフェで哲学対話をする相手は、
哲学者や哲学を学ぶ学生だけではない、
若者、老人、女性、男性いろいろな人、
いろいろな職業の人がいる
いろいろな人と解りやすい簡単な言葉で
哲学対話をしたい。
その為の一番いい言葉は「ひらがな」だ
ひらがなでは、哲学対話が出来ないのだろうか。
「答え」の出ない問に、ひらがなで考え、
ひらがなで対話をする。
そのほうが難しい言葉を使って対話をするよりも
哲学の神髄に近づけるのではないのか
「答え」に近づけるのではないのかと思う、
私はこれを「ひらがな哲学」と呼びたい。
人生カフェで「言葉とは何か」という問いに対する
対話が終わった後もずっと考えている。
テキストは
藤田正勝 著 「はじめての哲学」だった。