死にざまと生きざま | 日々新たなる学び

日々新たなる学び

人生100年さて、何をして生きるべきか。

 

そんな、活気に満ちた飛脚稼業の繁盛ぶりも、

十年、十五年と歳月を重ねるにつれて、

新鮮さがしだいに色褪せていく。

稼業への弾むような感動がないのだ。

昨日の後に今日がきて、

今日の次には明日がやってくる、

と判で捺したような日々の連続に勘八は、

「いったい、わいは・・・・・」

なんのために生きているのか、

自分でもわからなくなった。

もともと金銭への欲望が稀薄なタチであった。

心の隙間からカビでも生えてくるような

泰平無為の暮らしに悲鳴をあげた勘八は、

倦怠感を振り払うように、

「わいは隠居するでえ」

 

残りの人生を楽しもう。

 

新潮社 編  時代小説選手権

「勝者の死にざま」

神坂次郎  花の頓狂島 より

 

勝者は自分では気づかないが、驕り、高ぶっている。

 

私も今から考えると、自分の絶頂期と思われた時、

人の痛みやを考えずに威張り散らしていたと思う。

勘八のようには考えることが出来なかった。

もっと上がある。

もっと上に行くことだけを考えていた。

 

「勝者の死にざま」いいタイトルだ。

こんな選手権ならもっと開催してほしかった。

本の断捨離をしながら。