雑考 | 空気の意見 

空気の意見 

過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。


 秋葉原で通り魔殺人。いろいろ、過去の死刑要求型犯罪者を思い出す手口でした。
 関係ないと言われそうですが、回復する可能性がゼロではない植物人間と扱われる人間でさえ、
死へ向かわされる御時世に、「凶悪犯達は人道的に死刑回避したい」ということを考えると、
まったくどんな人間でも目覚めて起きていれば、
最低限尊重してもらえるという社会のありがたみを感じます。
 こういった人間としての市民扱いを振り払って、
運命論的厭世観から社会に得体の知れぬ報復や凶行をもたらす人間達をどうしたものか。


 結局、自分という人間の死と社会的立場といったものは虚飾にしか過ぎないでしょう。
観測できない自分の死を社会的状況の混乱に寄りかかり、
たしかに把握したかのように死を認識していこう、あるいは、そこに繋がる不幸、すなわち運命と宿命、
そういったものを、社会のなかのネガティブなイメージに依存することで観測めいたものを実現する。

 彼ら曰く、社会は不正である、個人的な結婚などの契約も不毛である・・・・・・。それに・・・・・・。

かくして彼らにとっての悲観論を証明する道具立てはそこらじゅうに転がっていて、
うまくそれを利用するのに、さらに幸福そうな人々まで攻撃対象を広げ、
幸福を演技している者達、それか、他人の悲劇のうえで充足する、
「仮面をかぶった人間」という支配者像が生まれる。
彼にとってこういった人々が偽なる存在なのは当然でしょう。
なぜなら、個人と社会、に幸福が存在していないのに人々は満たされていると考えているわけですから。

 しかし、人間の生死も他者によって観測されないと存在し得ないわけです。
他者が彼を観測でき、考え予測できる状況がなければ、いったい誰がその当事者の彼に気づくのか。

 運命論に付帯しがちな楽園的ユートピア、つまりアダムとイヴの二人か、自分ひとりの楽園観。
自然状況の活動のなかでなら生死なども社会とは違い充足しうるのではないか、
といった前提と懐疑を運命論は自動的に含んでいる、と見做せるでしょう。
けれども視覚や触覚などで触れた彼の自然というものは、自然であるからには生態系を持ち、
いわば生態ピラミッドにより成された弱肉強食の世界と必ずなってしまう。

 ここにこれほど人間の活動と似通った、貧者と富者、強者と弱者、の世界があるにも関わらず、
自然世界に、それがあって当然ならば、
ただ彼は善悪のない世界に逃げ込むか理想的な引き合いとしてユートピアと現実社会を比べている。
でもこのような事実を認めながらにしてなぜ彼は現実社会を攻撃するのでしょうか。

 そこで当然、善悪とか正義、について戻って考えることになるでしょう。

ですがこういった社会的判断の結合を必要としているものを個人だけでどうやって充足するのか。
ここで運命論者の攻撃していたものが「弱肉強食の世界」というよりも、
実はもっぱら、社会的判断の結合、すなわち、善悪、法律に道徳に倫理に、正義であったことが分かる。
それ故、彼の立場は、必然として社会への攻撃をしなくてはならない訳です。

 しかし、社会的判断の結合、それらを記した著作物と知識の存在との関係はいわば間接的であり、
誰もが生まれながら獲得しているわけでもなく、読んだとしても完全に行えるわけでもなく、また、
理解のなかに誤謬が生まれ得ないわけでもないし、
それを人が認めるも認めないも最終的にその人の勝手であるでしょう。

 彼は、極めて社会的判断を気にしつつ、それからは自由であると社会契約を意識しない人として、
日々、両面的な生活を営んでいるのではないでしょうか。

 ですが人は社会的に保護されずには生まれてはこない。
なるほど、道に捨て子が捨てられていたとして、赤子を救う社会と無視して死なせる社会、
あるいは、殺す親と守る親が存在しています。

 子どもを無視して死なせる社会は社会に見えて、社会ではない。
これは後進とか進歩とか関係なく、そこに社会はつまり契約による社会は存在していないと見受けられます。
ただそこにあるのは自然のユートピア的状況であり、理想郷のなかの赤子のユートピアによる死のみ。

 人間は契約があろうとも勝手に振舞える故に、このような状況と結果は人間社会にいつでも起こりうる、
そういったことは決して排除できない。
しかしそれほどまでも厳格に厳しくこの適用を社会や現実に求めるなら、
社会を憎む人間は何ゆえ自己においてだけそれほどまでに勝手に社会に対して放縦に無責任に、
烙印を押すことができるのだろうか。彼にはなんらかの社会に対する理解が必要だったのではないか。
まさに彼が社会の不正を最大限において問うたごとく、彼のなかの彼の意識も最大限に。

 ・・・・・・自己の内で悩むだけが最大限の努力ならば、もはや全てのひとが悩めるひとであり、
あの精神科学の悪癖を鑑みれば、人間ではあるが一時期に不意に責任を(つまり人間性を)剥奪すべき、
いわば非社会的人間、換言すれば人間ではない人間存在。
それでも動物的人ではない、あくまでも社会契約のなかの人間であり、
しかしながら一時期はとある要因によりそうではなかった人間という、ひと。

 社会のなかの悪性ユートピアに被害を受けているのだから、
人間として人為的にこの隠れた状況を暴いてやろうと、運命論者が考えあるいは行動するのは当然でしょう。

 考えにおいては人間の過ちと不正をまたは自分自身を問い、行動としては社会から逸脱して、
道端においては悪性ユートピア(人間社会のユートピアはそれだけで悪である、
なぜなら弱者が鞭打たれるのだから)を再現もしくは実現させてやろうと企てそれをつくり出す。


 心理学に精神分析、もし人間に人間ならざる責任性を剥奪すべき乖離状態があるなら、
もはやすべて病める人間でありながら反社会的行動が起きるまでは放置もしくは観察しておくという、
科学による素晴らしい良性のユートピア創造というわけでしょう。
もちろんそれ以前の人間を檻に閉じ込めるような古いやり方を賛美しているわけでもありませんけれど。

 しかしこういった夢判断ならぬ人間判断により、
人間は産まれ落ちた瞬間に人間として社会的に認識されながら責任性を剥奪されることが起こり得る。
悲しむべき運命の障害があったというわけです。
 けれどもその彼を守り愛しているだろう親と社会が付き添っていながら彼は責任性を剥奪されかねないとは、
人間社会の契約と科学の与えるものがいかに、心あるいは身体なるものにおいて、少ないか。
また彼は環境に恵まれず同時に反社会的なのかもしれない。

 だが結局は彼らの考えと行動は、結実しない、と考える。

ひとはどこかの過去に向かえるかもしれないが、もう一度どこかの過去に生まれなおすことはできない。

 悪性のユートピアに入り込むことは良性方面にも入ることでもあるのだから。
どちらにしても社会的保障の要求の傾向がある。
しかも最大限の、迅速な、局所極大関わらない、要求であり、
要求がここまで肥大化するとこれはもはや要求とはいえまい。
僕には一種の非難宣言か宣戦布告でしかないように感じられる。
 なぜなら社会と他者の人間が、すでに彼にとっては、役立たないか虚飾であるからであって、
相談したり交渉したりする余地などもはや存在しないどこにもなくなってしまっているからであり、
あとは運命論者である彼の審判がどこかで下されるのを待っている状態でしかないのだ。
その審判はことあるごとに下され、審判の延長線に「存在の否定」のために、
あらゆる類の武力行使が潜んでいる限り、いつかはそこに辿りついてしまうものなのである。
つまり、考えのなかで否定するか、暴力により否定するか、において。

 このような凶行事件は、社会契約と保障と科学について攻撃したものであり、
死刑や終身だとかの制度を変えたところで解決できるようなものではないように思えます。
生涯の大半に渡る投獄が非人道的でないといえるでしょうか。死刑よりはマシだ、というだけでしょう。
しかし、人間から科学手術によって人間責任を剥奪する社会に、人道など本当に存在しているのでしょうか。
科学判断だけならまだしも、その判断はいかなる真実性をもっているのか、
そこで社会的要求を満たすために確定できない領域に踏み込んでいる。

 科学ならば当然に不確実、不確定なるものを認めることができるだろうというと、
心理と精神科学は、自分のそういった部分を悪戯に消去しようとしていないか。
また現実に不用意に一般に、利用され、利用している。
そこで、この人間の世界は、劣等感、性欲、精神的外傷など、で病んでいるというわけだ。
そのうえ精神鑑定まで提供して、一時期ないしは長期的に、責任性は存在しなかったと判断してくれる。
つまりそれは人間科学の権威による判断である。

 つまるところ、その生来的に病んだ人間による精神鑑定が常に精査される機会がなければ、
いったい宗教とどう違うといえるのだろうか。
あとに学んだ人たちにより学問は確かめられたり、正され直したりするのが常でしょう。
ある学問の天才が生まれて基準を変えてくれるまで祈らなければならないのなら、
皆、生来、病んでいるうえにさまよえる羊である。


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