ある意味変化球の銃撃戦。
これだけ倉庫という狭い空間に複数の弾丸が飛び交いながらも、中々人が死なない。
別に弾丸決裁を否定した人道主義でも、不死のゾンビでもない。
1時間半の尺内、1時間以上はただ減らず口を叩きながら、敵も味方ももみくちゃで撃ち合っている。
一発必中で急所には当たらず、流血しながらもしつこく生き続けるのだ。
一度は死んだかと思えば、また再起動して活動するなど、
人が死に過ぎる映画は数多あれども、ここまで執拗に死なない作品は珍しい。
確信犯に死なないバトルロワイアルをどこか馬鹿馬鹿しく、滑稽に描いている。
人物の位置関係や弾道、弾数、着弾位置などはちゃんと設計されているらしいが、
ただ銃撃戦が始まってからの展開はダラダラ。
銃声だけが高らかに鳴り響くけど、
肝心の演出で物語に間を持たせることが出来ずに、段々と飽きてくる。
一応は銃取引のため、売り手と買い手の思惑が入り乱れ、
敵対関係は明確だけど、予想外の第三の狙撃者が現れ、更には両者の中に裏切り者の存在が
浮かび上がってくるなどタランティーノ以降使い古された既視感いっぱいの展開。
ただ回想シーンの挿入はあれども、余り時系列はいじらずに、
直線的に進行形で物語を進めるため、どうしても緊迫感が薄れてくる。
80年代ファションと音楽濃い面子を揃え、キャラクターの描き分けもきっちりあるけど、
1時間半という短尺にもかかわらず、メリハリがなくダラダラ展開が続くのがちょっと残念。


偏愛度合★★★

映画は女優を愛でるものである。
全く身も蓋もない言い方だけど、
常々妻が「男前が出ていない映画はつまらん」と主張しているので、それと似たようなものだろう。
そして、残念ながらヒロインであるアナ・ケンドリックは苦手の部類に入る女優だった。
多分演技もできて、歌って、踊れてと幅広く、若手では評価されている女優なんだろう。
顔とスタイルが好みではないのは仕方がないけど、妙にトリッキーな動き、くるくると変化する表情、
キンキンとした高い声が鼻につく。食わず嫌いではない。
結構作品を観ているけど、どうにも乗り切れないものが多く、原因のひとつは彼女への偏愛にあった。
それでも作品次第では、役柄次第では奇跡的にもその魅力にひれ伏し、参ってしまうのが映画だ。
苦手女優克服のために自ら課した試練が功を奏した。これはそんな作品だな。

今回前記の苦手ポイントがものの見事に役柄にはまった。
男運の悪い、奇妙な執着とちょっとサイコパス気質を秘めたこじらせ女子。
この言葉は余り好きでないけど、割と彼女の役柄を言い得ている。
微妙すぎる服装の趣味といい、猫耳を恥じらいもなく装着したり、本人も気が付かない運動能力
(殺し屋適応力)の高さとかのあり得ないへんてこな女だけど、悔しながら壮絶に可愛い。
映画的な存在でリアリティはゼロだけど、今回ははまり具合に参った。
これからもこちらのサイコパス系路線を突き進んで欲しいものだ。
バディ役サム・ロックウェル演じるのは踊るように舞いながら優雅に殺す伝説の殺し屋。
さらにはティム・ロスが謎の捜査官を演じるが、
男優陣ふたりともちょっと一見サイコパス気質を秘めているのがナイスキャスティング。
更にはジム・ジャームシュ映画の音楽監督として名を知っていても、顔は知らなかったRZAの怪演。
割とありがちなストーリーだけど、濃ゆいキャラクターたちが自然と物語を駆動させる。
同じ脚本家マックス・ランディスによる「エージェント・ウルトラ」とは同じ世界観で繋がり、
劇中の銃撃戦が行われたホテルはマイク(ジェシー・アイゼンバーグ)と
フィービー(クリステン・スチュワート)の結婚式らしい。何と、苦手女優シリーズがシンクロしているぞ。
やはりアート性もインテリジェンスも並以下だけど、
90分間退屈することなく、女優を眺めながらテキトーに楽しめるプログラミングピクチャーは捨てがたい。
これも映画の醍醐味だよな。

補足の苦言。
最近連発している「バッドなんちゃら」という邦題はやめてくれ。
区別つかないし、覚えられない。原題「Mr.Right」で十分だぞ。なんでやねん!

偏愛度合★★★

全く想定外の映画だったが、かなり面白い。
そもそも今作の予告編やチラシ、ポスターには明らかな意図的なミスリードが仕掛けてある。
確信犯的に物語の主軸となる内容の一部を隠蔽しているといってもいいいだろう。
自分もそのことを知らずに、オリヴィエ・アサイヤス監督だし、監督作では前作からの続投で、
昨今の作品選択が素晴らしいクリステン・スチュアートということで迷いなしで劇場へ。
前知識なしで観れば、
開けてビックリ驚きモモノキと思わずベタな文句を叫んでしまいそうになったぞ♪
出来れば同じ驚きを体験して欲しいので、以下の文は読まない方が良いかもしれない。
ネタバレしないと内容に触れられないのだ。



ヴァンパイアヒロインという悪しき印象が付きまといどちらかといえば苦手な女優だったが、
ウディ・アレン作品といい、昨今の躍進からは目がな馳せないクリステン・スチュアート。
「アクトレス」から続いての共作なので、当然監督のお気に入りでアテ書きだろう。
パリでセレブの買い物の代行という仕事をするヒロイン。
登場するドレスに靴、アクセサリーはシャネル、カルティエ他超一流ブランドが提供している。
女性なら誰しも嘆息でそうな逸品だろう。
それに反して当人は、革ジャンにジーンズ、安っぽいニットとTシャツ姿で、ブランド袋を肩にかけて
スクーターで街中を駆け回り、服の調達のためにはロンドンまで遠征する。
宝を目の当たりにしながらも、試着禁止という足枷をかけられ、手に取ることしかできない。
演じる彼女がかなり魅力的。
表層化されるわかりやすい感情表現はなく、所在なさげで儚げな存在感として際立っている。
ここまでならば単純に物質的で、持つ者と持たざる者という社会階層的で
欲望まみれのリアリスティックな人間ドラマが展開されると思うだろう。その側面も間違いではない。
でも物語にはもうひとつの主軸が存在している。
彼女は代々霊媒体質で霊的な存在を感じ、見ることができるというのだ。
急死した双子の兄からのメッセージを待ち、古い屋敷に泊まり込み、闇に耳を傾けている。
相反する精神的で、論理では証明できない非現実的なスピリチュアルなドラマが待っているのだ。
この両者が絡み合いながら、物語は予想外の方向へと逸脱していく。
オシャレなアートでファション映画を期待して劇場へ来たら、
いきなり霊媒師や交霊術に幽霊とホラー映画でお馴染みが次々と登場するのだ。
そら、びっくりするわな。
このジャンル的な先読みができない、不可解な逸脱感こそが今作の大きな魅力となっている。
中盤以降、現実の存在なのか、霊的存在なのか正体不明の相手とLINEを交わし続ける。
コミュニケーションツールがLINEとうのもまた現代的で面白い。
正体不明を相手に殆ど彼女のひとり芝居のように物語は進む。
雇い主であるセレブ夫人はほぼ写真のみで存在は希薄でそれ以外の登場人物は少ない。
普段着からハイファションドレスへ、
物質的世界からスピリチュアルな世界へと禁断を扉を開けて進んでいく。
ユーゴ―の行った交霊術、ゴシックな雰囲気の漂う古屋敷などまるでゴーストムービーの
ような設定ながら、アメリカ製ホラー映画のような明確な善悪、現実と幻想といった対比構造はない。
生身であれ、霊的なものであれ、ひとつの世界に両立しながらも、常に隔たっており、
一方的なコミュニケ―ションを介して、対話するのみで、そこに明確な回答はない。
突き放したラストには絶対アメリカ人ホラー関係者には無縁のフランス映画らしさが見とれる。


偏愛度合★★★★★

ガーデニングには全く興味なし。
ヒロインの様に植物恐怖症というわけではないが、基本めんどくさがりで、手入れ以前に、
元気な樹々すらもいとも簡単に枯らしてしまう特殊技能に長けているのだから仕方がない。
同じ劇場で同時にガーデナーの女神ターシャさんのドキュメンタリー映画も公開され、
そこは失礼ながら、さながらガーデナーおばさんの決起集会の様だった。
何とな髪形やファション、小道具といった外見でわかる。何か宗教勧誘者に近いものを感じるけど。
劇場へ足を運んだのはポスターやチラシにあるヒロイン女優故だ。
特に好のみの顔立ちというわけではなく、
ジェシカ・ブラウン・フィンドレイという名にも聞き覚えはないけど、
何となくファッションといい神経症的な役柄といいひと昔前のウィノナ・ライダーを思わせる雰囲気だ。
少女趣味のフリルと釦が付いたズンだらけのワンピ―スだけど、色合いは喪服にしか見えない。
几帳面だけど、神経質でコミュニケーションスキルには欠け、対人関係が苦手なキャラクター設定。
予想通り、時代が違えば如何にも初期のウィノナ・ライダーが演じそうな役柄だ。
だからガーデニング映画というよりも、彼女の視点に共感して、その不器用な恋物語として、
植物を通じて世界を広げていく、そっと見守ったいたくなる成長譚として存分に楽しんだ。
名優トム・ウィルキンソンの手堅いサポートも見事。
彼は声が素晴らしい。低めで説得力のある声だけで全てを語ってしまうのだ。
映画を観終わっても、ガーデニングを始めてみようとは全然思わないけど、
植物が持つささやかだけど人や世界を変える力と同時に人が生きていきて、
蓄積された記憶奥底に隠されている樹々の思い出の欠片には胸を打つ。
きっとこれは誰しも持つ普遍的な感情でもあるのだ。

偏愛度合★★★

やっぱりヤンキーは強い。
もちろんアメリカ映画だけど、アメリカ人の俗称であるヤンキーではなく、和製英語のヤンキー。
昔ながらのパッパラッパと改造バイク乗って、ソリコミやらパンチパーマのガチなヤンキーではなく、
郊外在住型マイルドヤンキー層が動けばある程度大きな経済効果が生じる。
年間100本、200本観ている映画マニアが屁理屈捏ねて気張っても、映画館は埋まらない。
でもヤンキー層が動けば映画館は満席となる。
実際連休中、午後の回だったが、満席でチケット販売中止となっていた。
何よりもシリーズが今作で8作目となる根強い人気。
常に共通しているのは、

◎イカした車とスピード感
◎迫力満点のアクションとレース
◎仲間(ファミリー)意識
◎家族愛
◎男性優位なマチズモ
◎ゴージャスでイイ女
◎割と一途な愛情
◎ホームタウンへの執着
◎わかりやすい敵味方の対立関係
◎最後は殴り合いでタイマン張る
◎シゴトの後のビール

という感じ。
シリーズの基本設定はこれらの組み合わせだけ。
世界に蔓延り、蔓延するこのようなヤンキー的価値観が大嫌いなのだ。
ヤンキーを馬鹿にしているとか、自分の方が偉いとかではなく、
相受け入れない正反対の場所に密かに生息する生物なのだ。それはそれで仕方がない。
世界を股にかけ物語もスケールアップというか、過剰さがエスカレートしているだけに、
制作費もどんどんかさばっているのに途切れることなく続々と新作継続しているのが人気の証明。
シリーズを追いうごとに
……というか正しくは個人的には何となく観た作品もあるけど真面目に追っていないけど、
車を増やし、爆薬をと銃弾を増やしい、破壊を増やしとひたすら物量作戦尽きる。
今作も意味不明にビルの上から実物の車がボカボカと雨あられのように降ってくるなど、
全然意図も意味もわからんけど、スケールだけは凄い。
前作で主演男優の中途事故死によって、何とかまとめて、シリーズ大団円で完了かと思えば、
劇中では彼は生きていることになっており、「今は彼を呼ぶわけにはいかない」とご都合主義な
台詞で物語には不参加という大胆不敵な強かさ。
三部作かなんだか、まだシリーズは続くようだが、いったいどう収集つける気なのか?
新登場の敵役はシャーリーズ・セロン。
昔からシゴトを選ばない彼女なので、「マッドマックス」に続けて楽しそうには演じているけど、
このキャラクターはちょと酷い。
凄腕ハッカーという設定で先の先を読む切れ者で長身でクールな装いはぴったりだけど、
その行動原理は仮面ライダーのショッカーか、サイボーグ009のゴーストかという世界征服擬きのという
リアリティ一切なしの誇大妄想さくれつのパラノイアな非道ぶり。
果たして次作にも継続して登場なのか?
今作は疑似ファミリーの家長ともういべきハゲ親父が裏切って、身内と敵対するという意外性だけど、
その訳の身も蓋もない陳腐さには唸らせる。
敵の敵は味方とばかりに、前作であれ程ファミリーを苦しめたジェイソン・ステーサムも
あっさりとファミリー側に協力するなど、その場限りの展開と見せ場優先の理解不可能さ。

余談だけどポイント無料鑑賞だから仕方がないけど、やはり近づかない方が無難な世界だ。
ヤンキーには近寄るなというのは代々我家に伝わる家訓なのだ(嘘)。

偏愛度合★★

全くもって謎の映画だ。
国家予算にも匹敵する莫大な資本を要する世界をマーケットにした商品が映画だ。
5W1Hではないが、いったい誰に向けた商品なのかが結局理解できない。

●いつ(When)何故21世紀の現在に万里の長城なのか?
●どこ(Where)太古の中国が舞台のようだが、現実なのかファンタジーなのか?
●誰(Who)誰をターゲットとして向けた商品なのか?
●何(What)一応の起承転結としての物語はあるが伝えたい隠させた主題は?
●何故(Why)何故白人主人公が物語視点として介在するのか?
●どのように(How)誰の意図、資本でどのように制作されたのか?

勿論ググってみれば大概は回答らしきものはあがってくるだろうけど、
観ていてこんなにも違和感が先行した作品は珍しい。
まあ、かつてハリウッドではジョン・ウェインが成吉思汗を演じたという
同様に5W1hのタガが外れた前例もあるので、ある意味伝統的な錯乱の一種なのかもしれない。
単に世界中の製品工場となり大国と化した中国とその溢れる資本力に媚びたという解釈もできるが、
その割にはアンディ・ラウなど名優を配しながらも、
結局マット・デイモンを主役に立て、ホワイトォシュドと揶揄されている。
彼は再度オファーを受け入れ演じたシリーズ最悪のジェイソン・ボーン役と言い、
オスカー受賞した「マンチェスター・バイ・ザ・シー」をわざわざ親友弟に譲るなど
余程ギャラだけが目当ての札束大好き症候群なのか?
また北京五輪開会式の総監督を務めた世界的名匠チャン・イーモウが演出を指揮しながらも、
「進撃の巨人」擬きの予算だけが莫大な中身はB級モンスターパニック映画だ。
確かにSFXを駆使して、迫力満点の画面を狙っているみたい。
でも脚本セオリー通りのご都合主義な展開と物語の為の内面のないペラペラで人物像。
展開重視で生身のキャラクターを一切描かない薄っぺらさにもうんざりする。
いったい誰にこの映画を届けたいたいのか?
本国アメリカでは大ゴケらしいが、中国市場では評価、観客動員したのだろうか?
調べるのも、考えるのも面倒くさい映画だ。

余談だけどヒロインのジン・ティエンって
「キングコング髑髏島の巨神」アジア人カメラマンの女優なのね。どっかで見たことあるはずだ。


偏愛度合★

あゝ「ゴーストワールド」の現代アップデート版だよな。
もちろん繰り返して観ている大好きな作品。
密かに、フェロモンを周囲へ発散する前の若かりし頃のスカヨハも楽しめる。


視点となるヒロインの年代特有の溢れんばかりに過剰な自意識とどこか斜に構えた冷めた視線、
周囲の他者が全部アホに見えながらも同時にやたらと低い自己評価というキャラクター設定や
幼馴染の親友の関係性、スティーヴ・ブシェーミとウディ・ハレルソンという規格外のオッサンを
脇に配するなど物語構造もよく似ている。
「ゴーストワールド」の頃にはまだ「こじらせる」という言葉もなかったし、SNS以前でだった。
現在と比べれば、ある意味牧歌的な世界だった。
過剰な自意識世界は変わらなくとも、取り巻く世界が大きく変わったのだ。
ネットにメールとやこしいコミュニケーションツールによってより一層複雑化、拡張されている。
それも単なる独り言であるTwitterではなく、Facebook映画なのだ。
コミュニティには双方向のパーミッションが必要であり、
その場では実像、虚像問わず、求められる充実した姿を演じ続けなければならない。
面倒くさい種族にとっては本当に暮らしにくい場所だけど、完全切り離すこともまたできない。
またネットに付きまとう発信は簡単だけど、元には戻せない不可逆な方向性も痛感。
思わず「いいね」とクリックしたくなるSNSのドツボ。
主人公を孤立化させるセオリー通りの類型的なキャラクター配置のようであり、
ちゃんとそれぞれが最後には変化してゆく。
誰しも表面に見える外側と隠された内側があり、常に役割を演じることとなる。
憎たらしいヘイリー・スタインフェルドが世界と折り合いをつけようと足掻く姿に
共感、感情移入できるかどうかのみだけど、私的にはずっと偏愛したくなる愛すべき作品。
「ゴーストワールド」の血筋は今も健在で、
これからも形を変えて次世代へとアップデートされるだろう。


偏愛度合★★★★

予想外のスリリングで奥深いドキュメンタリー。
月曜日が定休日という商売柄、同じく休館日が重なる美術館からは遠のき、
サラリーマン時代は病のように服好きだったにも関わらず、
自営となっては使い捨ての作業着となりファション関連とは全く無縁となった。
ワンシーズンで破棄するユニクロと無印で十分に満足。
そもそも、ドキュメンタリーよりも映画の物語の持つ嘘を好む。
そんな門外漢揃いの自分が最後一時も画面から目が離せずに、堪能できたのが驚き。

劇中でも繰り返し語られているようにファッションは物語であり、それは映画にも通じる。
実用というよりファンタジーとしての服を紡ぐデザイナーは映画監督にも通じるのだ。
実はウォン・カーワイ(王家衛)好きなら必見作品。
そもそも自分はクレジットに彼の名を見つけ、何となく劇場へと足を運んだのだが、
イベント当日に招待されたセレブのひとりくらいに考えていたら、
密かに「花様年華」直系の流れをくむウォン。カーワイ節だったとは驚き。
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」以来、作品が途絶えていたのは、
新作の代わりにずっとこのプロジェクトに関わっていたのね。
ファンならある意味で彼の(映画ではないが)新作と言ってもいいくらいの深い関わりだ。
劇中でデザイナーたちが如何に「花様年華」を愛し、作品を何度も繰り返して観、
そのチャイナドレスからインスピレーションを受けたかを熱く語る。
実際に中国へ行かなくても創造の女神となる。
「ムーンライト」の30代アフリカ系アメリカ人がこの映画を愛するのが、
アジア人からは想定外の突然変異のようにかんじていた感じていたが、
それは映画オタクの偏愛ではなく、世界中のクリエイターを魅せる奇跡的な代物だったのだ。
今回のメットガラのテーマは「鏡の中の中国」。
とまあ偉そうに書いているが、そもそもメットガラという定例のイベント自体も
この映画の冒頭の説明でその歴史や目的を初めて知った素人だけど。
展覧会の中国と西欧の橋渡し役をウォン・カーワイが担う。
多少は英会話にも慣れたのかも知れないが、
概ね寡黙で無表情でいつも視線の読み取れないサングラス姿というお馴染みの彼がいた。
でも時折キュレーターなど企画スタッフへ言葉を投げかける。

「多くを語り過ぎるのは、何も語らないのと同じだ」
「発展途中の中国にとって過去を振り返るのは単なるノスタルジーではない」

などなど、何気に言うことがいちいち的を射ている。
本展覧会のテーマは現在の実際の中国ではなく、
ファションという物語を通したファンタジーとしての中国なのだ。
対して「ヴォーグ」誌の魔女アナ・ウィンターのビジュアルアドバイザーとしてはバズ・ラーマンがいる。
この対称性が面白い。
片やアメリカ的な外連味に満ちた、時としてトーマッチに過剰すぎる監督であり、
片やアジア的な引き算の美学を貫く、多くを語らない寡黙な監督だ。
でもこの両者が脇を抱えているからこそ、
西欧と中国の橋渡しとなり展覧会は絶妙なバランスを保てたのだろう。

ドキュメンタリーとして特異なのは、結果からその過程を振り返り、
記録として残された写真や映像などのアーカイブとインタビューを編集して
結果論的に事象を再構成するのではなく、(勿論映画発表が前提だろうが)
密着取材が許可されて、ほぼ進行形で時系列通りに過程を丁寧に追う。
冒頭で当日のセレブ登場の風景の一端がフラッシュフォーワードで提示されるが、
その後は企画初期段階に戻り、MOMAキュレーターであるアンドリュー・ボルトンの視点で追う。
彼はイギリス人でティーンの頃パンク・ニューウェーヴ(ニューロマンティック)の洗礼を受けた。
ズボン短いタケ、黒縁眼鏡といい、通じるものを感じ、同性ながら、
洒落た着こなしと物腰は柔らかだけど、芯の通った行動とビジョンには惚れ惚れする。
ドキュメンタリーではあるが、この映画という物語の本当の語り部であり、引導者でもある。
現存の中国政府とその周辺に溢れるマネーへのPCに深読みした配慮で混乱する。
ギャラ交渉や開場当日を控えても機材の遅れなど、ギリギリまでスリリングに展開される。
まるで行き先が見えない道を共に歩むようであり、下手なサスペンス映画よりも緊張感があるぞ。
そして頭尾が同じ、セレブ大集合の開幕パーティとレッドカーペットとなる。
溜息のでるような錚々たる顔ぶれが並ぶ。
あゝできることなら名前をスーパーインポーズで補足して欲しかった。
これだけの内容なのに91分という最適な尺なり。
お見事!!

偏愛度合★★★★★

いい加減に映画におけるご都合主義的な記憶消失設定は法令で禁止すべきではないだろうか?
50年以上生きているけど、周辺に記憶喪失なんて聞いたことも見たこともない。
弾丸を頭部をかすめ破片の一部が残っているが、そのことで記憶障害を生じた主人公という設定。
彼を看護し、徐々に再生する記憶を見守るのが若い美人女医といいう更にご都合設定。
記憶は失われていても身体は闘争を覚えており、襲い来る謎の敵を次々となぎ倒す。
そして最後には記憶も蘇り、問われての身となった女医の為に、単身アジトへと乗り込んでいく。
目の前に立ちはだかるかつての仲間を次々倒し、最後にはラスボス登場と予想通りの類型的展開。
このプロットはブルース・リーの頃から延々と繰り返されている基本中の基本なのだろう。
この条件を突っ込まずに認めてしまえば、それなりに迫力の生身アクション映画として楽しめる。
時として位置関係も人物認識すらわからなくハリウッド流の小刻みなカット割りと違い、
基本移動カメラの長回しで一連の動きをごまがさずに流れをとらえる手法は新鮮。
銃器使用はあっても、結局刃物や棍棒、蹴りに拳と肉弾戦へともつれ込む。
スタントマンなのか、役者なのか不明な恐るべき野郎どもが血反吐が出るまで戦い続ける。
当然見ている方も痛く、うううううゝと劇場の椅子で悶えそうになってしまう。


偏愛度合★★★

ディザスタームービーというより、実話再現映画に近い。
2010年というごく最近に起こった実際の事故を極端にドラマチックに加工せずに経緯を追うだけ。
事故発生までの経緯は割と細々と描写してくれるが、淡々と事実関係を時期列通りに並べ、
専門用語を駆使して、リアリスティックには説明してくれるが、素人にはさっぱり理解できない。
マーク・ウオールバーグ、カート・ラッセル、ジョン・マルコヴィッチという演技派を配してはいるけど、
あくまでも実在人物がベースなので変にキャラ立ちさせずに、行動主体で内面描写も薄い。
そこに実際いた人物をなぞっているだけで、感情移入しにくい。
後半原油が流出して、火災となり、施設自体が爆発、崩壊に至ってからは
セットとCG組み合わせ、俄然大迫力だけど、
昨今の観客自体が各種破壊描写に慣れている為、空前絶後に衝撃的というほどでもない。
主人公が懸命に誰かを救い出したり、その動向を不安気に遠くから見守る家族という
このジャンル映画の王道描写はあっても、どうにも盛り上がらないのだ。
いい意味でも、悪い意味でもディザスター映画の外連味はない。
当然逃げ遅れた犬を救い出そうと戻る主人公もいない。
結局大量の原油が流出し、施設は崩壊となり、行方不明者(死者)11名を出す惨事とはなったが、
多くは脱出でき、映画もそこであっけなく終わる。
その後の原油市場や環境への影響、企業の責任追及といった肝心の部分は
ざっくりとエンディング後の表示で流すだけ。言葉通りに氷山の一角だけどを描くのみ。
エンドクレジットには実話映画化ではお馴染みの大嫌いな手法であるモデルとなった人物の
実際の写真を並べるという延々と続く。
割と記憶に新しい事故であり、当然関係者は現存しているだろうし、
追悼(黙とう)という意味合いがあるのだろうが、これでもかとばかりに見せびらかす感じが苦手だ。
劇場の画面を見つめるという安全な蚊帳の外から、
ひたすら破壊を楽しむというディザスタームービーの俗っぽさのみを期待した観客にとっては
リアルかも知れないけど、些か退屈なだけ。


偏愛度合★★