一応続きです。




特に「振り返り・3」では、ちょっと魂の叫び的な素直な思いの吐露になったかも知れませんが、
何が何やらわかんなくなってる時にすごく過剰ポテンシャル溜め込んでるな~って時は、溜めてる思いを出しちゃっていいんだと思いました。何度も書いてますし、色んな方が推奨されてますけど。

それが出来にくくストレスを溜めやすい傾向も、気持ちを話して(できたら信頼できる人に聴いてもらって)楽になった方が次に進みやすいという助言さえも、エニアグラムタイプ6への助言として本に載ってました。

やはりエニアグラムは僕にはハマリます。

自分からみると周りの色んな方々の方が遥かに↓

物事の本質をつかんでいたり、
知らなくても幸せだったり、元気だったり、ちゃんと生きていたり、生き方のバランスが取れていたり、
他の人のメッセージを素直に吸収できていたり、
何か自分にとって大切なものを受け入れていたり、
学びが早かったり、
人付き合いで失敗しなかったり、
人の気持ちや雰囲気を察知できたり、
人との比較で自分の価値を確かめようとすることから自由になれてたり、
浄化のプロセスが早く進んだり、

と、そうやって比較して羨んだりしてきました。

(こうした傾向もあるのでしばらくは自分はエニアグラムタイプ4だとほぼ確信してた時期もあるほどです。印象的にもタイプ4の方がユニークで自分の世界持ってて魅力的に移って。)

でも、結局は、今自分が人と違って遅れてるとかできそこなってるとか思っても、
自分のキャパシティやプロセスやオリジナルを否定することそのものが過剰ポテンシャルを充満させて停滞させる力になっていたんだと思います。

周りからするとわかりきったこと、ずっと同じことをぐるぐると書いているかも知れないけれど、

言葉そのものというよりは、何であれ自分のプロセスや感覚を否定しないということを、頭の理解だけでなくほんとうのほんとうに十分に十分に身をもってわかっていくプロセスなんだと思います。

かといって、別にスムーズで早いプロセスや手段を否定してるわけじゃないです。むしろずっとそうした手段に憧れてきてましたので。

ただ、そうしたものを求めて混乱してきたのは、一体自分の何がそうさせてきたのかを自分の納得がいくように理解することが僕には大切で、その理解をエニアグラムは助けてくれてると思います。



さらに続きます。
続きですがその前に。


先にも触れましたが、スピな色々についてお話を控えるようになったのも、

「振り返り・1」「振り返り・2」で書いたような

・どの視座から何を述べるかによって、またその定義づけ・文脈や背景によって全く表現が異なってくると思ったこと、

・自分自身の軸がないため、また、エニアグラムタイプ6における喜ばしくない側面の影響から、書く度にかえってプロセスの進行に混乱をきたしていると思ったこと

が理由にありますが、
その他に、

スピは頭の理解だけではスピたらない、という感じが強くなったからでもあります。

頭での整理をしている僕はここから何を得たいのか?何を望んでここまで続けてきたのか?など、そんな思いか増してきたからでもあり、

頭の理解も、自分自身満足いくようなレベルにも達していなかった。

さらには、その理解の延長により、承認欲求や安心欲求や劣等感を解消するための優越感などを満足させたい、といった動機が僕にもようやく透けて見えたからです。

………そうした雰囲気に気づく人も多かっただろうと思いますが。


今、これを書いているのは、

そうした欲求からくる気持ちもまだ残っているかも知れませんし、アップしたらしたでよく書いてくれましたと言ってほしいというエゴ的な思いも後から湧いてくるかも知れませんが、

それよりも、ただ勢いで書いているエネルギーを感じています。


エゴは否定が怖いです。嫌われるのが怖いです。一番に大事にされないのが怖いです。特別に扱われないのが怖いです。そうしたエゴは自分自身で癒すものかも知れませんが、

エゴをさらけ出しても、批判されたり否定されない安心の環境の中にさらけ出すことが、どれだけエゴは喜び癒されるか。

その可能性に怖くても勇気を持ってチャレンジしている人達を、僕はやっぱり賞賛してしまいます。その勇気を、支持してしまいます。

できれば、そんな場が増えてほしいと思ったことも何度もありました。

ただ、エゴはとてもデリケートなので、癒されていないエゴが複数の人に作用していると、すぐに反応しあってしまいやすいと思います。

繊細だと 思います。


だから、接し方が試されるのかも知れません。


……途中から話の流れや調子がすっかり変わってしまいました。

でも、ここでほんのちょっとでも、公開記事にしてみたくなったので、拙い文ですがこのままアップします。
前回の記事から続きです。




……以前、「次から次へといいなと思う本やメッセージを食い散らかして」と書いてしまいましたが、結局こうしてきた自分自身、それだけ余裕がなく必死だったのではないか、と思いました。

そして、自分に効果的に働かなかった足跡の一つ一つに対しその限界を決めつけてきたということは表層的な結果であって、
その根っこは、自分への扱いが虐待的だったというところでの自分への、自分を産んだであろう根源への否定的な思いからきていたのではないかと思いました。
(問題の理由は探す必要はないというポ・オポノポノや津留さんの主張とは異なりますが)



そうして色々心の思うことを語っても、スピにはまた別のより優れた見方、より深い真実の視座が存在していて、

ある程度本質的なところまで進んだとされるスピの教えや洞察に触れると、

思考それ自体が苦しみの原因、思考を止めること、といったメッセージで。


それについてストーリーを語ることはエゴであり幻想、といったことを目にすると、

まずは浄化、解放が大事だというOSHOの言葉に出会ってもなおエックハルト・トールさんの言葉などが気になり、そうした印象的なメッセージ同士が頭の中でケンカをして、僕はそれでかなりつらくなっていたんだろうと思います。


こう思い、自分の軸そのものが揺らいでいる状態の僕がブログ記事を書くという行為に躊躇するようになったのは、無理もなかったのかな、と思いました。

(もちろん僕の文章力の拙さなどスペックや技術要因も大きいんですけどね(^_^;))


人とやり取りをしたら、大抵その人はちゃんと自己感覚に従って何かを選んでいて。

僕はというと、その自己感覚に頼るという軸がないままに、その人とのコミュニケーションにおいて一緒に立てるバランスを取ろうとしたりしがちで(時として逆に反発したりも)。
それを複数の人として、過去のやり取りはそのまま自分の中で保留状態。


…エニアグラムは僕はリソさんやティムさん&高岡さんの本をよく読むのですが、
こうした僕の優柔不断で権威にすがるといった傾向などなど、エニアグラムタイプ6は僕の今までのことをかなり深いところまで説明してくれてるなーと思うわけです。

おかげさまで自己理解が進みました。

ここで一旦話の流れをストップして、
またスピの自己表現をしなくなったことについて、次の記事にて補足的に語ります。