続きですがその前に。


先にも触れましたが、スピな色々についてお話を控えるようになったのも、

「振り返り・1」「振り返り・2」で書いたような

・どの視座から何を述べるかによって、またその定義づけ・文脈や背景によって全く表現が異なってくると思ったこと、

・自分自身の軸がないため、また、エニアグラムタイプ6における喜ばしくない側面の影響から、書く度にかえってプロセスの進行に混乱をきたしていると思ったこと

が理由にありますが、
その他に、

スピは頭の理解だけではスピたらない、という感じが強くなったからでもあります。

頭での整理をしている僕はここから何を得たいのか?何を望んでここまで続けてきたのか?など、そんな思いか増してきたからでもあり、

頭の理解も、自分自身満足いくようなレベルにも達していなかった。

さらには、その理解の延長により、承認欲求や安心欲求や劣等感を解消するための優越感などを満足させたい、といった動機が僕にもようやく透けて見えたからです。

………そうした雰囲気に気づく人も多かっただろうと思いますが。


今、これを書いているのは、

そうした欲求からくる気持ちもまだ残っているかも知れませんし、アップしたらしたでよく書いてくれましたと言ってほしいというエゴ的な思いも後から湧いてくるかも知れませんが、

それよりも、ただ勢いで書いているエネルギーを感じています。


エゴは否定が怖いです。嫌われるのが怖いです。一番に大事にされないのが怖いです。特別に扱われないのが怖いです。そうしたエゴは自分自身で癒すものかも知れませんが、

エゴをさらけ出しても、批判されたり否定されない安心の環境の中にさらけ出すことが、どれだけエゴは喜び癒されるか。

その可能性に怖くても勇気を持ってチャレンジしている人達を、僕はやっぱり賞賛してしまいます。その勇気を、支持してしまいます。

できれば、そんな場が増えてほしいと思ったことも何度もありました。

ただ、エゴはとてもデリケートなので、癒されていないエゴが複数の人に作用していると、すぐに反応しあってしまいやすいと思います。

繊細だと 思います。


だから、接し方が試されるのかも知れません。


……途中から話の流れや調子がすっかり変わってしまいました。

でも、ここでほんのちょっとでも、公開記事にしてみたくなったので、拙い文ですがこのままアップします。