久しぶりの連続記事アップです。(もしサブタイトルを思いついたら各「振り返り・〇」のあとに書いたり変更するかもです)



えと。

これまで自分見つめと称しつつ、同時に、必要以上に無駄に根詰めて自分痛めをしてきたかなーという気が、かーなーり、しますね。

話が細かく長くなる僕としては、文字数制限900~1000字そこそこという環境の範囲で、立ち位置が全く定まらないままにスピをどっからどう語るかなんてのは困難を窮めてきたにゃー。と、ようやく自覚しました。

しかもかなり頭や体調がきつかったので、無理をやめようと思ってブログ更新お休みしてました。

まず事情を理解していただく前置きの口上から入って、安心してから本題にはいるタイプなので、前置きの口上だけで記事終わりかねませんから。

エニアグラムタイプ6というシステムがいかに僕に強く影響しているかとつくづく思う今日このごろです。

そんな中、エニアグラム本や思考の整理になるブログを読んだり、在るを意識したり自分の本質に触れる情報に触れたり、ヒーリングや浄化や自己観察のサポートの恩恵にあずかったりしています。
その提供くださる一つ一つ、お一人お一人がそれぞれに感謝し、またそれぞれにたしかなものを提供してくださってる、そんな今があるんじゃないかと思っています。

すべてをすぐに消化できるわけではないのですが、焦るのはやめた方がいいかと思っています。


このあたり、「人の目を気にした言い訳ばかり、というあまり好まれないだろう特徴にフォーカスして、それでどうなるのさ?愚痴やできないことばかり言ってないで、もっとポジティブな方とか、望みに目を向けた方がいいんじゃないの?それで一生過ごすなんてもったいなくない?」といったツッコミは一見するともっともかも知れませんが、

これまでの僕にはそのアプローチはどうも響きにくいのでした。


前向きがよくて後ろ向きが悪い、前進はよくて停滞は悪い、なんてことではなくて、
心理面のその実態を調べてみる、というアプローチを採用したかったのかもしれません。

と取り繕った表現をしているかも知れませんが、やはり僕にはエニアグラムのタイプ6の影響が強かったなあと思います。

一般的な「楽しい」という感覚とは違うのかもしれないですが、これが僕のプロセスでありチョイスであり道なんだな、と思います。


この辺のことは、記事を分けて書いてみようと思います。
いきなりですが。(←普段からだけど)


僕、承認欲求や愛情欲求が強かったです。

期待に応えたいとか、もっと好かれたいとか、せっかく熱くなった温度を冷ましたくないとか、合わせようとか。

これ、過剰ポテンシャル溜めまくりの要因の一つでしたね、我ながら。




ごくごく最近、気がついてきたんですが、今は「心や身体がより楽になれるか」が主な指標です。

人付き合いでは、無理しないほど楽だと最近感じたりしました。楽なんですよ(リピート)。
情報としても言葉としても当たり前ではあるんだけど、自分で感じてるかどうかとなると。



力を得る感覚を求めてきて過剰ポテンシャルの気(ケ)が強い、
そうした僕には、やはり一度心の重荷を降ろして楽になっていくプロセスはとても大切な感じがします。


そうでなければならない、として新たな縛りにするつもりもないんですが、

メッセージに関しても、なんにしても、それに接してどう感じてるか、その感覚を意識して感じていこうと思います。

常に意識、ということにこだわって身体がこわばるのでもなく。

そして、たった一つの感覚でなければダメだとこだわりすぎるのでもなく。

なので、ルールではなく、指標です。

好きなフレーバー(感覚)をチョイスしていいんだという思いもOKで、

ただ、好きなフレーバーにこだわり過ぎるとその時感じてる感覚が好きでないと、それを否定してになったらなったで「ありゃりゃんりゃん?過剰ポテンシャル~!」て感じもするので、

感じる・意識する・指標・などは、いいさじ加減でやっていけたらいいんでない?ってことで。
(↑いいさじ加減からかけ離れたさじ加減も含めての、いいさじ加減ということで)



………なんか何気にスピ的な話になってる気もするがまあいいか!
スピだろうが何だろうが構わん!まあ大体いつもそんなもんだ!
以上!




…いや撤回、スピ言っちゃったのでもう一つだけ。


悟りに執着とかいうのも、それ自体がわるいとかどうこうじゃなくて、結局は、執着してることが苦しいかどうかとか、不自由かとか、軽くなりたいかとか、そんなとこかと。

上に書いたことは、その苦しい状態から自由になりやすくするためのことだったりもします。ハッと気づいて我にかえりやすくする、つーか。

(あ、深いレベルの話は抜きです。それを語れるキャパは持ち合わせてないので)




…今度こそ以上で!
タイトルの言葉について説明します。


心の重荷を軽くしたいけど、ポ・オポノポノやポジティブなアファメーションや宣言などはちょっと力技過ぎる感じがして……と思う時、

「これでいいのだ!」「そのまんまでオッケー」「あなたはそのままで素晴らしい」という言葉に対しても「んなわけねーだろ!」と否定してしまうよな~って時、

そんなときに、使う言葉です。質問形は決めつけてないので使いやすいかと。


この言葉をいつ使うか?ですが、
マインドが働いていて幸せや満足ではないとき、不快な感情な問題に囚われてる時、
ですね。

色んなケースで使えると思います。
シンプルな言葉だし、軽い気持ちでやってみてもいいかと。



……今いるところが「苦悩」で、「苦悩がない安らぎの状態」にはいなくて、
そのギャップを埋めたいというところにいて、今いるところ(苦悩)があくまでも自分の立ち位置と信じて疑っていない。

そんな時ほしいのは、きっと「今いるところから行きたいところへシフトする」ための手段かと。

そのために、こうした自問の言葉が橋渡しになるのではないかと思いました。

たしかOSHO『瞑想―祝祭の芸術(アート)』の冒頭あたりでも、「方便(メソッド)は目覚めた人にはもはや不要だが、目覚めるには役に立つ」といったことが書いてあったかと。
(ニュアンス違ったらすみません)


過剰ポテンシャルをなくす、心の重荷を軽くする、ストレスをマイナスからゼロにする、観念を解放・浄化する、悟りや目覚め………といった方向性としては、

自分に質問を続けていく自己探求系のアプローチは相性がいいのかも?って思ったり。


ラマナ・マハルシの「私は誰か?」などもそうですね。


マインドが完全に働きを失うまで集中して問い続けていくのがポイントなのかな?と思ったりしましたが、


この記事のタイトルの言葉「…何か問題でも?」は、

そうした自己探求的自問エッセンスと、「これでいいのだ!」へ導くような質問であるところとが組み合わさってます。

本音では「これでいいのだ」と思えていないのに思おうとしてアファメーションするのは、どうも不自然に感じまして^^;

そういう場合は、質問形にするのがコツかと。


(この質問をするときは、左脳で答えを出さないのがポイントかな?とも)




自分でやるのかどうかもわかりませんが、せっかく思いついたので記事にしてみました。