時は令和なり。 | たるみ、発毛、発酵料理 40代以降から変化する女性の体の不調や悩みを根本から改善するAplice 〜アプリーチェ〜

たるみ、発毛、発酵料理 40代以降から変化する女性の体の不調や悩みを根本から改善するAplice 〜アプリーチェ〜

リフティニスト 矢野智子の健康で自然な若返り&前向きになれる素顔とココロの日記。   

先の見えないコロナ禍で
明るい未来を示唆するかのような
束の間の麗らかな陽射しは
とても心を穏やかにしてくれます。

かと思えば
雪に変わるほど寒かったり…
季節も寒暖を繰り返し
だんだん春に近づいていきます。

新しい日常が
元の日常に一日も早く
戻りますように…


さて、
久しぶりの投稿になりましたが
麒麟がくる商戦⁈で
盛り上がっていた岐阜県民にも関わらず⁈
見事に、最終回だけ観たという
不届き千万者です(笑)


歴女なる言葉が流行る以前の
時は平成の前半…
受験は全て日本史で受けたほど
わたしは歴史が大好きでした。

それゆえに
戦国時代最大のクーデターであり
最大のミステリーの
『本能寺の変』だけはやっぱり観たかった。


今回は
光秀目線なストーリーなわけで
そうなると
同じ出来事でも視点が変わると
心理描写や演出など
自分の人生の中で今まで観てきたものと
どう違うのだろう…と
強い興味を持たずにはいられませんでした。


こんなにこんなに切ない
本能寺の変は初めてでした。

『是非にあらず』ではなく
『是非もなし』の一言にも十分に現れている。

これまで子供の頃から
記憶の中に根付いているものは
積年の憎しみや恨みに動かされた光秀と
夢半ばで潰えること
謀反を起こされたことへの
悔しさと無念と怒りに満ちた信長像。

これが一般的な認識で
光秀は逆賊だと、裏切り者だと
とにかくいいイメージにはなり得なかった。


でも今回の変は
かつては盟友だったふたりの
お互いを思うが故に
どうしてわかってくれないんだ!という
思いが強くなる…
まるで男女の恋愛関係のすれ違いで起こる
感情のもつれ的な刹那的なストーリー。


作った者が壊さなければいけない
それは自分しかいないのだという責任感で
自分の利益のためではない。
心中することを意味する謀反。
討ちたくて討ったわけではない
苦悩に満ちた光秀。

自分でも止められない
モンスター化してしまった自分を止めて欲しい。
それは一番信頼している者であって欲しい。
それなら本望で
止めて欲しかった人が止めに来てくれた
これでゆっくり休めるという
安堵感も見えた
嬉しさも見える、悲しさも見える信長。

胸を締め付けられるほど
切なくなった…



過去も現在も
物事はどんな事でも
角度を変えれば
視点を変えれば捉え方も見せ方も
それに纏わる感情の動きも変わるもの。

史実でさえ
ひとりの人物の印象も
受け取る側も
誰に主軸を当てるかで
まるで変わってしまうのだと…

最終回しか観てないのに(笑)
感動して涙するという
愚かな私(笑)



でもなんだろう…

いつの時代も
既得権益や
私利私欲と利己愛だけで
平気で主人や仲間を裏切り陥れ
自分だけ生き延びようと
器用に狡猾に生きる者はいる。
それは現代も同じこと。

ただ、昔は
とてもとてもピュアだったと
そこだけは現代と違うように思える。

ただただ純粋に
国を良くしたいという
大きな大きな夢を胸に秘め
ひたすら邁進して生き抜く様は
男のロマンであり
そこには卑怯さや狡さはなく
常に覚悟があるその様は本当に潔く
まさに武士であり
本物の『漢』である。

だからこそ
何百年と経った今でも尚
こうして延々と
その魅力を語り継がれるのだろうと思うし
歴史上のヒーローに対して
こんなに人々が魅了されるのは
現代ではすっかり失われてしまった
憧れもあるのだろうと思う。



時代は令和。
当たり前に転がる物、物、物…
当然のように廃棄する食品
溢れ過ぎて麻痺した豊かさと
上塗りされた偽りの平和に塗れ
大義などどこへやら
自己顕示欲と自己承認欲求
に掻き乱され振り回される現代…


コロナは
私たちに何を伝えにきたのだろう…

今、もう一度
原点に立ち還ること。

それを基準に日常のわずかなことにも
ふと視点を変えて考えてみたり…
陽射しにつられるように出てきた小さな芽
ひっそりと佇む名もなき小さな花
日常の小さな自然に触れ
心をやわらかくしてみる…
コロナ禍でしか気づかなかったことを
丁寧に感じながら過ごしています。


皆さまの日常が麗しく
そして健やかでありますように…。