ノンママということ。 | たるみ、発毛、発酵料理 40代以降から変化する女性の体の不調や悩みを根本から改善するAplice 〜アプリーチェ〜

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リフティニスト 矢野智子の健康で自然な若返り&前向きになれる素顔とココロの日記。   

みなさん、こんばんは。


ノンママの矢野智子です。


『ノンママ』
つまり、ママという役割がない女性。


少し前に
鈴木保奈美さん主演の
「ノンママ白書」という
ドラマが深夜に放映されてました。


その中で出てくる
セリフひとつひとつに
ビクっとなる自分がいた。


「子供を育てたことがないから、
部下も育てられないんだ」

「子供がいないのに
なにがわかるんですか」


古傷を弄る言葉。  

心を抉る、辛辣な言葉だった。

今でこそ
冷静に受け止めることが出来るけれど
当時の私は、
それらの言葉に
取り繕うことができない程
かなり大きなダメージを受けた。

そして、決定打は
「跡取りが産めない嫁はいらない」

ほれ、モラハラだのパワハラだのと
日々、賑やかしいこの平成の世に
こんな言葉を平然と発してしまう…
ある意味
その度胸を買いたいと思った。


そもそも、子供を産むための結婚なのか。
そもそも、嫁ぐということは
”跡取りを産む“というためだけなのか。
跡取りが産めなければ、
用無しなのか。

ここまでくると、
憎しみを通り越し、
人間、感情すらなくなるものだ。


子供がいないことは
子供を産んでいないことは
子供ができないことは
そんなに悪いことなのか。

子供を持つことは
確かに
素晴らしいことではあるけれど、
子供を持たない女性を
見下さなければいけないことなのか。

女性としての尊厳まで
否定されるような…ことなのだろうか。



私自身、
こういう現実をどう捉えるべきか
本当に苦しかった時期もあった。


人の人生には意味があり、
なにかを学ぶようにできているという。

つまり、
前世の私はもしかしたら
「子だくさんの肝っ玉母ちゃん」
だったのかも知れない。

だから今世は、
子育て以外の違う学びをしろと
いうことなのかも知れない。

だから、
子供を持てない、持たないこと
つまり、
ノンママであることに
罪悪感を持つ必要もないのだ。

それはそれで、
人生において違うことを
課題として与えられ
違う分野において学びを見出し
ノンママであることに
堂々と胸を張って
今世を一生懸命に生きればいい。


そう、捉えるようになった。


「ママでない」ということを
「ノンママ」という言葉で表すのは
すごくやさしい表現だな、と思った。


ノンママ、万歳♡

もっと言えば、
ノンママも万歳♡

なのである。


「どうせ子供がいない…」ではなく
「せっかく子供がいない…」と捉える。

それぞれの人生において、
ひとりの女性として
ひとりの人間として
プラスに捉えて最大限に輝く。
そんな女性が集う場所が
「セレンディ  クラッセ」
なのである。



とある女性が、
こんなことを仰っていた。


「ともちゃん、子供がいるからって
子供を産んだからって
幸せってことではないのよね…
あまり大きな声では言えないけれど
産んだものの
もちろんかわいいし
責任として育ててはいるけれど
やっぱり私はママに向いてない、
子育てに向いてない、と思うのよ。
こんなことなら、
子供を持たずに
もっともっと仕事がしたかった
もっともっと女性として
自分の人生を生きたかった、
と思うのよ。
だから、子供がいないことを
負い目に感じることもないし
不幸でもないのよ。
ってこんなこと言うと、
決まって
『あんたは結局
子供いるからそんなこと言えんのよ』
って言われちゃうから、
あまり言えないんだけどね(笑)」


ママたちも
ノンママにすごく気を遣っている。
ノンママも
ママにすごく気を遣っている。


ママでも
ノンママでも
同じひとりの女性として
お互いの生き方を尊重し合う、
私自身の経験を通して
そんな世の中に
少しでもしていきたいと、心から思う。

だからこその
ノンママとママの女志会〔じょしかい〕

『女を志す会』なのである。


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