数年前のお正月。親戚みんなで集まった日。テーブルにはたくさんのご馳走が並べられていた。目の前にはお寿司。私はわさびが好きではないので、祖母がくれたわさびのチューブを受け取らなかったのだが「お子ちゃまね。」と言われたその言葉がどうも引っ掛かった。その年以降は、わさびのチューブを受け取るようにした。皿の端に付け、わさび抜きのお寿司をこっそりと楽しんだ後に混ぜ合わせてわさび醤油を作り、ごちそうさまをするようにしていた。ちいさなちいさな背伸びをしていた。何故、わさびが苦手=お子ちゃまというイメージがあるのか…。お寿司は大好きだけど、わさびは苦手。私はわさびが苦手ということが少しだけ人生のコンプレックスだった。
ここでちいさなご報告。
わさびが美味しいと感じるようになりました。
今まではわさびの良さがわからず、ツーンとくる辛さがお寿司本来の繊細な味わいを消しているように思えて必要性を感じていなかった。が、ここ最近は、わさびの刺激がお寿司の優しさのその先にある次の美味しさへとエスコートしてくれているような気がするのだ。とは言っても、わさびが無くてもお寿司は美味しい。学生時代、同級生が「わさび付けないと生臭い(笑)」なんて言っていたが、そんなことは無い。あの子もきっと、ちいさなちいさな背伸びをしていたんだと思う。
何かが急に変わるという状態は花粉症に似ている。花粉症は体内に蓄積された花粉の量が許容量を超えたときに発症するらしい。同じ環境でも個人差があり、親子や兄弟でもその量は異なる。なんだか当たり前のことなんだけど、それはそうなんだけど、私は今回の出来事で花粉症を思い浮かべた。似ていると思った。きっと私の中の許容量を超えたのだ。ただそれだけだ。タイミングはそれは人それぞれで、誰かと比べて遅いとか早いとかではない。どちらがいいとかでもない。それなのにどうして人は、自分を基準にして考えてしまうのだろう。私も自覚をしていないところで誰かを傷付けてしまっているかもしれない。冗談のつもりでも、その人にとってはコンプレックスになっていて、ちいさなちいさな背伸びをさせてしまっているかもしれない。
私、まだ(?)花粉症じゃないんだよね。
コレは別に。うん。
花粉症は別にならなくてもいいかな。
わさびもさ、
どっちでもいいよね。