自分のことを、ガキだと自覚したあの日から
俺は少し変わったような気がする。
以前は、ただの作業と思っていたことの1つ1つに
〝仕事〟としての何かが生まれたような。
そして、それを行う人たちの姿勢みたいなモノも
教わりたいと思うようになった。
正直、教わるというより、仕事の中で盗み見る感じになる訳だが…
改めて、みんなをよく見ると始めと感じが違う。
栗栖さんは見かけは怖くて口は悪いが
意外と面倒見が倉庫一だ。
しかも頼まれた仕事以上のことをしている。
あと、アノ外見で怖がりらしい。
狩野さんは結構な完璧主義。
基本無口で私語もしないけど、仕事のことになると
根気よく丁寧に教えてくれる。
多分奥さんにはもっと優しいんだろう。
よく、メールしてるのを見る。
杉野さんは倉庫のグルメ王兼オリコン王。
とにかく、オリコンの仕事が早い。
俺が30分以上かかるのを10分で終わらせる。
ケニーは最年少の細身ながら
軽々と仕事をやってのける。
最近の興味は四文字熟語らしい。
(杉野さんと狩野さんが変な日本語を教えていたけど。)
そして、俺の研修担当。真砂さん。
この人だけは始めのイメージから変わらず…
仕事が出来る情報が以前聞いたが
基本ヘラヘラして
よく、栗栖さんを怒らせて遊んでるし。
今は俺の担当だから研修を優先して
真砂さんが仕事っぽいことをしてるところを見ない。
俺を育てるのが、今の仕事なのかもしれなけど。
真砂さんは少し変な人だ。
自分の担当正社員を〝変〟といっては失礼なんだろうと思うけど
この人からは〝怒〟みたいなイメージを連想できない。
仕事ができない俺にイライラしていいものなのに
それが全然ない。
トラブルが起きても
スルッとかわし、いつの間にか事態は落ち着いている。
いつも〝怒〟の感情に支配されていたから
特に真砂さんを異端のように感じるのか。
自分のほうが異端なのか。
異端なのは自分だ。
あんな環境で育ったせいか
俺はどんな人間の〝怒〟の感情に敏感だ。
出来れば、そんな感情に触れたくない。
触れたくないから、自分の心のなかに誰も入れない。
誰も入れなければ、怒の感情で傷つき怯えることもない。
つまり、俺は1人だ。
でもそれを寂しいとか、悲しいとか感じたことは無い。
これが合理的だからだ。
俺は、ずっとこの合理性という言葉を支えに生きてきた。
子供は親を選べない。
どんなに納得いかないことでも
正しいと思えないことでも
親に逆らうことができない自分は
合理性で自分を守り、合理的に生きてきた。
人から非難されようと知ったことではない。
その非難を買って、合理性を失って傷つくのは自分だ。
自分でも捻じ曲がっているのは自覚している。
しかし、あんあ支配的な教育で育った俺には
心に誰もいれない。
という選択が、唯一最善の道だった。
表向きには、人あたりいいキャラを演じてるといってもいい。
しかし、真に心の中に入ろうとするやつはいらない。
だから、真砂さんみたいなタイプは不思議と同時に苦手だ。
〝怒〟の感情がない人間なんていない。
いないから
今の自分がいるんだ。