気が早いようですが、そろそろ旅程を組むべく下調べ中です。
こどもの日に、ライブを観に行くために、遠路はるばる青森まで。
その時期は、弘前公園の桜が見ごろということもあり、カメラ好き魂がうずいたのです。
道中のことをずーっと悩んでいました。
一関にあるジャズバーに行ってみたいなぁと思っていたのですが、
いやいや、放送当時行きたいと思っていた『あまちゃん』の地へ行ってみようではないかと、
方針を転換しました。
となると、乗り継ぎも結構大変。
電車の路線をにらめっこしながら、予定を組もうとしていたのですが、
ある三陸海岸の駅でなぜか一旦内陸部にバスで行き、
またバスで三陸沖の駅へ出る路線しか出てこない。
調べると、JR山田線という、三陸沖を走る路線は、まだ復旧していなかった。
知らなかった・・・。
いかに自分の半径1mにしか興味を持っていなかったのかを悟った。
そういうことも含めて、自分の目で見てこようと思っています。
その前にと手に取ったのがこの本。
重松清さんの『希望の地図』。
![]() | 希望の地図 3・11から始まる物語 (幻冬舎文庫) |
| クリエーター情報なし | |
| 幻冬舎 |
重松さんのルポライターとしての創作物。
実際に被災に遭われた方たちが実名で出てきます。
出てきた場所を訪れたいとも思いました。
その中でひとつ、ひっかかった出来事がありました。
2012年の石巻での成人式でのこと。
取材がたくさん来ていたけれど、使えるような映像は撮れなかったという話。
私語も多く、全体的に乱れていて、黙とうをささげる時間も笑い声が上がっていたそうだ。
その事実を受けて、登場人物のジャーナリストは、想像することが大事だと言う。
もしかするとその子たちだって、家族を亡くしているかもしれない。
笑うことしかできないのかもしれない。
枠にはめられたくないという思いなのかもしれない。
確かにそうだと思う。
自分が同じ立場なら、取材に来ている人たちに舌を出したい気持ちになるんじゃないかな。
と、同時に小学生の時のことを思い出した。
夕方、公園で遊んでいると、柵の向こう側から子供たちの方を
じっと見つめる緑の帽子のおじさんがいた。
毎日毎日見に来ていたので、近所のおばさんが怪しんで通報をした。
その時、小学生ながらに思ったのだけど、
おじさんは不審者かもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
もしかして、子供を亡くしているのかもしれない。
だから年の近い子の姿をじっと遠くから眺めていただけかもしれない。
そういう気持ちでいたからか、おじさんのことが30年以上たった今も忘れられずにいる。
そういうもんですな。
実はわたし、ずーっとノストラダムスの大予言を信じていました。
1999年の7月に空から大王が降ってくるって、降ってこなかったやん!ってお思いかもしれませんが、
実は、大量のウィルスが降ってきたのかもしれません。
見えない大王かも。
そんなわたしは、1999年以降はおまけだと思っています。
いつか地球はなくなります。
それが明日かもしれないし。
そんな人生観なので、とりわけ『今』を大事にしたい。
『今』があるから『未来』が生まれる。
希望ってそういうことじゃないかな。
なんて、いろんなことを考えさせてくれる重松さんの本でした。
