考える葦であるわたし。 | カメロンのブログ

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今日は4月1日。
早っ!
さすが、1月は往ぬ、2月は逃げる、3月は去るというだけのことはあります。
そしてエイプリルフールです。
せっかくなので、粋なウソの一つや二つ、つきたいものです。

桜も満開。
わたしはベランダの洗濯物を取り入れながら夜桜見物。

暗くてよく分かりませんけど、川沿いに桜が咲いています。
そして夜な夜なチリコンカンを作りました。

チリビーンズとも言いますが、刑事コロンボの大好物。
わたしにとっても思い出の料理。
20年前、イギリスでホームステイをしていた家のお母さんがコロンビアからの移住者で、
時々作ってくれたチリコンカンが美味しくって。
最近、NHK『きょうの料理』でやっていたので、
テレビを一時停止しながら、作りました。
赤ワインがなかったのでラム酒を入れたり、
豆の量が少なく、トマトソースが多かったり、
適当が過ぎるけど、オリジナルのチリコンカンの出来上がり。
正しくはないけど、美味しいのだ。

さて、今日は夜に新宿の紀伊国屋ホールへ。
若松英輔×いとうせいこう『たましいのこえ--死者のコトバ、コトバである死者』というトークイベントに
行ってきました。
いとうせいこうさんの『想像ラジオ』は読んでいたのですが、
若松さんの『魂にふれる 大震災と、生きている死者』は未読。
イベントの後、心の底から読みたい・・・と思いました。
2時間があっという間でした。
言葉と文学について、ずっと考えさせられる時間でした。
言葉がどんなにか大切なものなのかということを、ここのところ忘れていたことを思い出しました。
生者が死者になることが、あっけないということを
我々は震災を通じて、痛いほど分かったはず。
自分が発した言葉が、相手にとっての最後の言葉になるかもしれない。
作家という人たちに向けての話ではあったけれど、
誰にとってもそうじゃないだろうか。
言葉というものはそれだけのものだということ。
ちょっと泣きそうになりました。

そして、印象的だったのは「正しい文学なんてつるつるで面白くない」という言葉。
自分の中で何かがスパークしました。
求められる正しさはつまらなさに繋がっている。
わたしはいつも正しくありたいと思っていた。
でも、正しさってなんだろう。
わたしにとって正しくても、他の人にとっても正しいのだろうか。
悶々として、イベント後、一人になりたくて、
後輩に「ちょっと本を見るから、先に帰って」と言ってうろうろ、
こういう夜にはカレーだと、久しぶりにレトルトを買って帰って、
添えるためのゆで卵をぐらぐら茹でながら、
洗濯物を取り入れながら、
ベッドにシーツをかぶせながら、
できたカレーを食べながら、
ずーーっと思索していた。
そして決めた。
正しいという価値観を捨てようと。
元々正しい生き方なんてしてないし。
それに対して、罪悪感を感じることもやめよう。
間違いすぎて、人に迷惑を掛けなければ・・・、
いや掛けたとしても、仕方ない。
息を吸うだけで、一人分の酸素をこの世から減らす生き物なのだから、
生きるだけで、迷惑を掛けるようなもんだし。
ちょっと道が外れましたが、なんだか晴れ晴れとした気分です。

そんな夜だから、レシピ通りじゃないチリコンカンを作ったのかもしれません。
脳みそにドクドクと血が流れているのを感じ、
考えることは生きることなんだな・・・とも感じる夜でした。
想像ラジオ (河出文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社

魂にふれる 大震災と、生きている死者
クリエーター情報なし
トランスビュー