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海のみえる家から

みかん畑の中の小道を森の方へと登っていくと、そこに私と家族のための小さくて古いコテージがあります。週末を過ごすだけの小さなおうちですが、窓から見える青い海は、どんな立派なおうちより素敵です。海のこと、森のことなど、少しずつ綴っていきます。

断捨離はほんとに良いストレス解消だと思うのだが
やっぱり捨てがたいって時もある。
それで、前から一度オークションに出品してみたいと思っていたのを
とうとう今日実行に移した。
お買い物にはよく利用するオークションだけど、出品ははじめて。

案外簡単であり、なんだか楽しい。売れなくたっていいんだし。

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海を眺めている時間・・・これは本当に当たり前のように大切な時間。私が息をする時間。


ずっと伸びる線路を見つめる時間・・・ふるさとやそこに残した人たちを想うせつない時間。


ニュータウンと呼ばれるような住宅街をドライブする時間・・・人々の繰り返される日常を逞しく想う時間。


人の気配のない深夜の都会、工場街をドライブする時間・・・日常がまるでなかったかのような静寂に酔う時間。


陽だまりの中、ネコの匂いをかぐ時間・・・その幸福感に何十年も前から時が止まったままだと錯覚する時間。


意外にも。。。   私は1人が好きなんだと気づく。   とても  淋しがりやなのに。


 
                                              海のみえる家から
 

ソーシャルネットワークとかってあるでしょう?

あれで、ずっとつながっていなかった友達と、再会できたりしますよね。


私も30年ぶりに高校のときの同級生とつながりました。

そのときは、これといった具体的な思い出もなく

ただ好印象をもってる人だとおもってたんだけど。


少し話していくと、思ってた以上に、つながりがあったみたいで

あれ覚えてる?こんなことも覚えてる?ってな話に・・・

うーん、そうだったかな、そういえば・・・そう?なんだか不思議な気分になってきた。

そういわれたら、そんな気もする、でも、ほんとうに、そんなことあったかな?なんでおぼえてないのかな

そんな数日間を過ごした後、

証拠写真があったよ!と、古い写真が。


とっても仲よさそうに、というより、明らかに私の方が恋焦がれた顔をして

写真をみたとたんに、そのときのドキドキした鼓動までよみがえるような現象が起こったんです!


作り話じゃないかとさえ思うほど、何も覚えてなかったのに、

もうそのときにワープしてしまって、こんなことってあるんかな。

まるで今恋しているみたいに、ドキドキなんですよ。


幻覚ですよね。きっと。


でも、ほんとに不思議な30年ぶりの恋でした。




あのときの あの味 おいしかったなー

という思い出ってあります。


本当においしかった場合もあるでしょうが、

実はそのときの気持ちや思い入れがお味になっていることって

あると思います。うん あるある。


たとえば、今食べてもそれほどおいしくはないのに、

あの夕焼けの中、仲直りができたお友達と食べた駄菓子だったり。。。


だから、それとは逆に

すごくおいしいものでも、それを感じることができない気分のときも

あるんだと思う。


私は、海外旅行と嘘をついて、留学してしまった悪い悪い娘なのですが・・・

そのあと、しばらく家族は私の座っていない食卓で、ひどくつらい思いをしたと

話していた。私がちゃんと食べているか、つまりちゃんと生きているのか

食事のたびに、想ってくれたのだと今はわかる。


人は食べるということで、なんだか大切なコミニュケーションや感情表現をしているんだなーと思う。どこの家庭でも、そうなのかどうかはわからないけど。


私にはたくさんのおいしい思い出があるから、本当に幸せなんだと気づく。