alohaの日々 -4ページ目
今日は私の社会復帰1日目
レッスンは私1人の問題ではない
久しぶりのレッスンのような気がしたけど
先週も皆んなとレッスンしたなんて
時間の感覚が崩壊している
9/30の通夜と10/1の葬儀
ともに無事にすませ
翌2日は何もしないと思っていたけど
落ち着かないので
朝から役所に行ってきた
福祉課での手続きを済ませた後
戸籍を取得したかったんだけど
死亡が反映するまでに時間がかかるんだそうな
仕事を休んでいる間に
全ての手続きを終えておこうと思ったけど
そう上手くはいかないようだね
帰りに郵便局に立ち寄り
通帳の解約の手続きの説明を聞くと
当然金融機関でも戸籍が必要
何も進まない
仕方ないので
家に帰り、遺品整理を兼ねて
母の居場所を作る為、リビングから大掃除だ
テレビのサイドに棚があるけど
電子機器の横じゃダメかなぁ
と思ったので
キッチンとリビングの
仕切り的な役割をしている
キャビネットの中に居場所を作ることに
遺品整理も兼ねているので
全てのものを選別していると
あっという間にゴミの山
景品で貰った箱に入ったままの物
道端でもらったポケティ
診療明細などの紙の束
これまた
景品か何かだと思われるハンカチやタオル
扇子やアクセサリーなど
綺麗な物はお世話になった方々へ
形見分けをしようと思っているので
大切に保管して
その他のものは全て廃棄に回す
こんな事しながら気持ちも整理できたらいい
3人姉妹の末っ子
両親を早く亡くし
親族との繋がりもなく
姉妹で助け合って生きてきた母
そして
1番仲の良かった次女を
今年1月に見送ったばかり
うちは母子2人家族
父方の親族との繋がりはなく
昔から10人にも満たない少ない親族で
寂しく見送る事になるんだろうなって思っていた
ここに住んで20年以上経つだろうか
当初は仕事もしていたが
何かとストレスも多かったようで
仕事を辞めてもいいかと聞いてきた
今考えると
年金を貰えるようになった
タイミングだったのかもしれない
その頃から
地域の方々と交流が出来始めたようで
老人会のイベントで出かけたり
友人とお茶したり
そんな方々に
何も伝える間もなく突然入院となり
心配して下さるお声が届いているのに
本人はお返しする事ができないまま
家族葬だけど
親しくしていただいた方にも
最後に会ってほしいと思い
近所の集会所で葬儀を行う事にした
マンションの掲示板に
案内を出して頂いたこともあるが
準備していた30程度の席が足らなくなる程
喪主なんて初めての体験だけど
伝えたい事が沢山ある時って
緊張しないものなんだね
母親の為に
涙を流してお別れをしてくれる人達が
こんなにも居たんだ
若かりし頃からの友人も
20キロの道のりを
タクシー飛ばして来てくれた
母も嬉しかったんじゃないだろうか
母が地域の方々と交流して
築いてきた関係
残された私がそれを引継ぎ
今度は私が皆さんに返さなければいけない
そう感じた瞬間でもある
昨晩0時頃に吐血をされました
そこからICUで処置をしています
ここに来られた時は
まだ喋ることができたんですが
今は心臓も機械で動かしていて
血圧も低下しているので
投与できる最大の薬を点滴しています
口からチューブを入れられ
すでに意識は全くなし
手のひらを握り
マッサージしながら話しかけても
反応なし
2ヶ月間
いや
検査結果をひと月後にって言われる前から
しんどかったねぇ
透析を開始するという決断もあります
安定する可能性もあるけど
透析に切り替えた途端
血圧が急激に下がる可能性もあります
そんな説明をされている時の
母の血圧は40以下
無理ですよね?
そうですね
ダメだと分かっていても
説明しなきゃいけないんだろうね
もう楽になって帰ろう
そう言葉をかけた後
少しずつ血圧が下がり母は逝ってしまった
会った時には
普通に歩いてたし
喋ってたし
スマホの文句も言ってたし
どうしてこうなった?
どうして部屋を変えたんだろ
どうして吐血した時に電話くれなかったんだろ
色々頭を巡るけど
取り敢えず
母に着せてあげる洋服を取りに帰る
葬儀屋の手配
葬儀の場の手配
近所の方々への連絡
同時に進めながら
次は病室の荷物の片付け
母がお世話になっていた病棟に行くと
病室ではなくて
ナースセンターの脇の通路に案内され
大きなビニール袋にグチャグチャに入れられ
荷物が山積みになったワゴンを見せられ
荷物はこちらです
情けなさが込み上げてきた
1時間も経っていないのに
部屋から荷物を放り出されなきゃいけないの?
ビニール袋の中の洋服や日用品を整え
持ってきた袋に詰め替えながら涙が溢れ
怒りと情けなさと悔しさとで
グチャグチャだ

