昔、カフェでいつもタンタンにソーセージをおごってくださる86歳のお母様から、
「ソメイヨシノって奈良の吉野原産なの?」と聞かれてお答えできなかったので、
少々調べてみたことがあったのですが...
ソメイヨシノは今の豊島区駒込に染井村という場所があって、
そこの植木職人が作った品種であることがわかりました。
当初は桜の名所奈良の吉野山の桜にちなんで吉野桜と呼ばれていたのですが、
吉野の山桜と混同されるのを避けるため1900年に『染井吉野』と命名したとのことです。
もう少し掘り下げるとその植木職人というのが、伊藤伊兵衛政武(いとういへいまさたけ)
という人でした。
伊兵衛というのは代々受け継がれている名前で政武が5代目です。
政武がエドヒガンというソメイヨシノより少し前に開花する桜と、
大島桜を掛け合わせて作ったのがソメイヨシノらしいです。
●エドヒガン
●オオシマザクラ
これは最近の遺伝子研究で調査された結果なのでほぼ間違いないでしょう。
ちなみに、和菓子屋で作られている桜餅に巻かれている塩漬けの桜の葉は
80%以上がこのオオシマザクラです。
話を戻して、この伊藤伊兵衛政武さんが、なんでその葛飾の染井村にいたのかというと、
当時染井には外様大名で伊勢津藩の藩主、藤堂高虎の下屋敷があり、
その庭園の管理を任されていたというわけです。
ちなみに下屋敷ってなにかっていうと、
当時幕府に召し抱えられた大名は幕府からいくつか土地(屋敷用地)を与えられることになっていて、お気に入りの大名から順に江戸城の近くに居住できました。
いただいた土地で一番江戸城に近い場所に自分たち家族や重臣たちが住み、そこを『上屋敷』と呼びます。
つぎに、隠居した親御さんや子供たちを住まわせる少し江戸城から離れた土地に立てるのが『中屋敷』。
その藩主たちが食べる野菜などを栽培する畑や国から運んできた米などの倉庫があったのが『下屋敷』。
更に現地の農民などから買い取った土地(抱地)に作った屋敷は『抱屋敷』(かかえやしき)などと呼ばれていました。
またまた話を戻すと、この藤堂高虎って人がまた面白い人生を歩んできた人なんです...
元々近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)のしがない豪族、藤堂虎高の次男坊(お兄ちゃんは早くに亡くなりました)として生まれ、浅井長政の足軽から始めあちこちの殿様に仕えた挙げ句、豊臣家の家臣になったのに、関ヶ原では尊敬する家康側について、軍功を上げたなかなかの切れ者。
身長は当時では異様に大きくて190cm、体重は110kg。
秀吉にも家康にも惚れ込まれたすごい武将なわけです。
兜にうさぎさんみたいな耳つけてるのがお茶目でしょ?
もっと話を戻すと、このソメイヨシノ自家受粉できない一代限りの品種な訳で、
ソメイヨシノしか周りにないと絶滅してしまうのです。
んじゃ、なんであんなにあちこちに生えてるのかといえば、全て1本のソメイヨシノからとった枝を接ぎ木して増やして行ったという、言わばクローン桜なんですね。
みーんな元は同じ木なので近い地域のソメイヨシノは同時に開花し同時に散るわけです。
そんで、同じ木だから隣木同士では受粉もできません。
ではなぜこんなに日本中に広がっているかと言えば、
サクラ属の中でも短期間で最も大きく成長するため、接木もしくは挿し木がばらまかれてあちこちで植えられているのです。
でも他の種類の桜が近くにあれば受粉できるので、あれほどたくさんあると花粉も飛びまくって既存の品種にソメイヨシノの遺伝子が加わった亜種がどんどん生まれるケースも出てきているそうです...
またソメイヨシノは腐朽菌類に弱く、てんぐ巣病やコフキサルノコシカケ、ナラタケモドキなどで枯れる事もあります。
細菌などにやられて立ち枯れてしまうことから、寿命60年説などささやかれているくらいです。
もちろんもっと長生きのソメイヨシノも存在するのですが...
花見客に根の上の土を踏み固められてしまったり、食べカスやゴミのせいで腐敗菌が繁殖しやすいのも原因の一端であることが分かっています。
ですから、毎年全力で花を咲かせた木の下で花見と称して大勢で毎日ゴロンゴロンしたり、
はしゃいだりゴミを放置して行かれると、根が痛みどんどん弱ってしまうんです😢
ぜひもっと気を使って樹木から3m以上離れてお花見をしていただけないでしょうか?
そうすればまた翌年も美しい樹勢で見事な花を見せてくれるでしょうから...
ちなみに私はどちらかと言えば、うす紅の枝垂れ桜の方が好きです。
以前私の店の庭にも一本あって、
毎年その妖艶なまでの美しい花を楽しませてくれたのでした...