一般に米軍は負けそうな戦闘には無理をせず、特にアメリカ陸軍は逃げ足が速い印象がある。しかし決戦時の海兵隊は手強い。サイパン上陸作戦の初日、日本軍守備隊の頑強な抵抗にもかかわらず、海兵隊はニコ大隊、兵員8千を上陸させた。

 

米軍の損傷は大きく、前回の米海軍のサイトによれば、最初の24時間で3,500名の戦死傷者が出た。水陸両用車も戦車等の兵器も、日本軍の銃砲撃で多く損壊した。さらに計画では初日に占領するはずだったアギガン岬とススペ崎が落ちていない。

 

 

米軍はなぜか日本軍の兵力を半分程度に下算していたらしい。米側資料では輸送船を潜水艦等で相当沈めていたので、こんなに多いとは考えなかったという説明もあるのだが、説得力が今一つだ。そもそも幕僚というのは、下算しがちなのかもしれない。

 

対する日本側の消耗も激しい。前日までの空爆や艦砲射撃、上陸当日の戦闘においても日本軍は巧に兵器等を隠蔽し、また地形を利用して有効な銃砲撃を浴びせて対抗してきた。これには米側も驚いている。

 

 

しかし、肉弾は攻城に役立つかもしれないが、島嶼での守備戦術に水際作戦を選んだとき、「人間の盾」は火力に対し防波堤にはならない。戦史叢書(6)によれば水際作戦に参加した各部隊は一日で次のような情況になった。

 

主力の歩兵第百三十六連隊第二大隊は、大隊長安藤正博大尉が戦死し、通信が途絶えたこともあり、「各個戦闘に陥った」。戦車第九連隊の第四中隊は、「中隊長以下ほとんど戦死」。鳥取の河村大隊も「全滅に近い損害であった」。この日、殊勲甲だった頼みの砲兵も「約半数が損害を受けていた」。

 

シジュウカラの幼鳥。嘴がまだ雛のまま。

 

 

かつて、サイパンの戦いについて「水際撃滅以外考える暇もなく」(第1725回)という一節を、戦史叢書から転載している。これまで水際撃滅で大成功した前例があれば別だが、また本当に暇がなかったなら仕方ないが、そうでないのなら他に何か考える能力も姿勢も無いに等しくはないか。

 

上記の転載箇所からもう少し詳しく引用すると、第四十三師団の齋藤師団長は、「上級司令部の水際撃滅に関する指導を全面的に承行し、徹底した水際陣地と、早期の反撃によって上陸進行部隊の撃滅を企図した」。

 

後者の「早期の反撃」には、白昼突撃したらしい前出の戦車第四中隊なども含まれるのだろうが、戦史叢書の表現でいうと「六月十五日夜の逆襲」および「十六日夜の日本軍の総攻撃」がその早期反撃の中核なのだろう。以下は、心の準備のための予告編を、戦史叢書から引用する。

 

 

大本営陸軍部は「コノ堅固タル正面に猪突シ来レルハ敵ノ過失」であるとして、現地守備部隊の善戦敢闘により米軍を払い落とすことができると確信していた。

 

しかしサイパン守備の骨幹兵力である第四十三師団は、同島に第一歩を印してから、まだ一ヵ月にも満たず、しかも同師団の第二次輸送部隊は、ほとんど戦力零でサイパンにたどり着いた状況であり、従来からの守備部隊も、配置変更のため他島への転進や守備地域の交代、部隊の改編等のため守備態勢も整わず、作戦準備もまたきわめて不十分な現状であった。

 

 

伯父の歩兵連隊を含む第二次輸送部隊が「ほとんど戦力零」という点については、人的損害もさることながら、武器弾薬がほぼ全て海没したのが痛い。これについては後の回で補足する。

 

今回一連の青字引用の箇所からして、齋藤師団長が承行したという作戦指導をした上級司令部というのは、第三十一軍ではなく、大本営陸軍部だろう。これまでの参謀本部の自信満々な態度の数々からしてもそうだが、言うに事欠いて「敵の過失」とは。

 

 

(つづく)

 

 

 

アサザの黄色い花。準絶滅危惧種らしい。先般の大型ネズミ、マスクラットは大食漢で(食事の様子を見たことがある)、これも食ってしまうらしい。

(2024年5月29日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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