9月も半ばを過ぎ、彼岸花の季節になりました。東洋高速線村上駅の北、国道16号線の直ぐ西側に、村上緑地公園があり、3連休も過ぎたので、混雑を避けて、平日に行ってきました。9時半前から散策したんですが、平日にもかかわらず、結構混雑してました。ほとんどが、私たち夫婦を含めてお年をめした方でしたけど。変則台風が去って久々の平日の晴天なので、出かけたくなりますよね。運動不足の解消になりますからね。

 

公園内を散策していると、一面の彼岸花に遭遇しました。2月の梅、4月の桜の一乗谷城めぐり、5月のつつじ等、季節の経過を忘れさせないでくれます。

 

 

 

 

 

村上緑地公園内の彼岸花

 

散策しながらふと思ったんですが、公園が台地上になっており、千葉県の城の多くにある舌状台地の城のようでした。公園内に起伏が有り、空堀、土塁のようでもあり、平場もあり、城郭、陣地の匂いがぷんぷんする公園でした。

 

 

 

 

 

 

新型コロナウイルスの感染拡大が、急激に減少しています。理由はわからないようですが減少傾向にあることはいいことですね。昨年から、自粛生活を続けて現在まで来ました。その合間合間に城めぐりをして来ましたが、ワクチン接種、緊急事態宣言の継続で、なかなか、出かけられなくなりました。抗体継続期間が半年程度だとすると、来年4月までがなんとか城めぐり期間となるでしょうか。いつ出かけるようになるのか。

 

デルタ株、ミュー株による、ブレイクスルー感染も怖いですしね。マスク、密回避、会食自粛、酒宴自粛は数年は変わらないよに思われます。

 

日本は他の大陸の国々とちがって、島国なので、密航者を除けば、港湾、空港の検疫体制をしっかりすれば、感染拡大は無いと思われますが、ざるのようです。

今回わかったのは、日本は外から来る非常事態時に異常に弱いことですね。政官が全く連動しないことがわかりましたね。中国による尖閣、台湾の有事に、日本は大混乱するでしょうね。あたふたすることが目に見えるようです。マスメディアも含めて。

 

城めぐり、世界遺産めぐり等の計画は、いつから実行できるんでしょうか。

 

真田氏の居城その4

 

⑤ 沼田城(群馬県)

沼田城は、群馬県沼田市にある、幾つかの守護城に囲まれた堅城な平山城で、築城主は沼田氏、主な改修者は真田氏。戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能し、沼田藩の藩庁となっています。真田時代に5層の天守があったようです。

遺構として、土塁、堀、石垣、城門が現存しています。

 

 

石垣

 

本丸

 

天守跡

 

 

⑥ 松代城(長野県)

松代城は、長野県長野市松代町松代にある、輪郭式平城で、元々は海津城と呼ばれ、武田信玄が上杉謙信との川中島の合戦時に築城したとされています。後に真田信之が13万石で入城し、以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となりました。

天守構造は不明で、遺構として石垣、土塁、堀、太鼓門(再建)が現存いています。

天下分け目の関ヶ原合戦で東軍真田信之、西軍真田信繁と別れ、勝った信之がこの地で真田家を存続させた城ですね。その城が、信玄の家臣時代に築城された海津城とは、運命を感じさせます。

 

太鼓門(再建)

 

水堀

 

川中合戦時の石垣

 

 

 

コロナ渦による緊急事態宣言、ワクチン接種により、城めぐり出来ない毎日で、運動不足の日々を過ごしています。計画は幾通りか考えていますが、いつになったら、ある程度の目途が立つんでしょうか。

 

真田氏の居城その3

 

③ 名胡桃城(群馬県)

名胡桃城は、群馬県利根郡みなかみ町下津にある、平山城で、築城主は沼田氏、主な城主は真田氏、天守構造は不明のようです。歴史的には、真田昌幸の沼田城の支城として、また1590年の小田原征伐の誘因となったことで知られています。小田原征伐後に廃城となっています。

遺構として、曲輪、空堀、土塁、土橋が現存しています。

 

名胡桃城城郭図

 

空堀

 

二の丸

 

本丸

 

物見丸から沼田城方面を望む

 

 

④ 上田城(長野県)

上田城は長野県上田市二の丸にある、城郭式平山城で、築城主は真田昌幸、真田氏以降は仙谷氏、松平氏の居城となり、明治を迎えて廃城となりました。現在の城郭は仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたもののようです。天守構造はは不明で、遺構として櫓、石垣、土塁、堀が現存しています。

 

上田城案内図

 

 

 

 

 

真田氏の居城その2

 

 

① 箕輪城(群馬県)

箕輪城は群馬県高崎市箕郷町にある、平山城で、築城主は長野業尚、主な改修者は武田氏、北条氏、井伊氏、天守構造は無し、遺構として石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸、復元門が現存しています。

武田氏の侵攻により、家臣であった真田氏が城主だったこともあるようです。現在城跡駐車場周辺には、真田氏の六文銭の旗が揺らめいています。武田氏の後、織田家家臣の滝川一益が城主になり、後に北条氏が取って代わり、秀吉の小田原征伐時に北国連合軍の前田利家、上杉景勝、真田昌行らによって攻め落とされ、家康江戸移封後に、徳川四天王の井伊直政が城主となり、直政が高崎城に移封後、廃城となったようです。

 

箕輪城城郭案内図

 

西馬出虎口門(復元門)

 

土橋

 

本丸跡

 

見ごたえのある、広大な城郭で、遺構の保存状態も良く、この地域が、拠点として重要な地域だったことが、城郭構造と歴代の城主の移り変わりでわかります。戦国の戦うための城です。

 

 

② 岩櫃城(群馬県)

岩櫃城は群馬県吾妻郡東吾妻町にある山城で、築城主、天守構造は不明です。戦国期に、上杉謙信に従う斉藤氏と、武田信玄に従う真田氏が当地をめぐり争い、最終的には真田信之の支配下に収まり、江戸時代初期に廃城となったようです。遺構として、曲輪、土塁、竪堀、空堀、虎口が現存しています。

岩櫃城といえば、真田氏の代表的な山城として世間に広く知られています。

 

岩櫃城城郭案内図

 

本丸跡

 

 

岩櫃城遠景

 

熊出没情報で、登城入口までしか行けませんでした。いつか、再訪したいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真田氏の居城その1

 

 

 

戦国時代の象徴、江戸時代からの長き存続を成し遂げた真田氏の城です。

 

① 箕輪城 :武田信玄の上野経営の拠点、真田昌幸の父、真田幸隆が一時入城した梯郭式平山城

② 岩櫃城 :武田勝頼を向かい入れるために、真田昌幸が大改修した鋭利な岩肌の中腹に建つ山城

③ 名胡桃城 :武田勝頼が北条氏の沼田領を奪取するために真田昌幸に築城させた山城

④ 上田城 :徳川家を二度も打ち破った、真田昌幸が築城した、子の信之信繁と住む梯郭式平城

⑤ 沼田城 :江戸時代に真田信之に与えられた、北関東要衝の地に建つ丘城

⑥ 松代城 :江戸時代に真田信之が移封された、輪郭式平城で川中島合戦時の海津城を改修した城

 

 

 

 

 

愛車、ハスラーの24カ月点検(法定1年検査)を23カ月目に済ませました。

 

1年目:走行距離  7,300km 燃費 18.3km/L

 

2年目:走行距離 13,900km 燃費 18.5km/L

 

 

あっという間に東京五輪は終わり、コロナ渦は終わりが見えず、常時緊急事態宣言中という異常事態の中、買い物以外、なかなか、外に出られません。九州城めぐり、沖縄城めぐり、熊野古道と行きたいところはあるのですが、未定のままです。

 

 

千葉県 前ヶ崎城跡 攻城166(2021年7月15日訪問)

 

東北城めぐりの旅から帰ってきたすぐ翌日、千葉県流山市にある、前ヶ崎城に行ってきました。

本来の目的は、妻の免許更新の付き添いです。千葉県の場合、警察署以外で免許更新する場合、幕張の運転免許センターか、流山の運転免許センターになるんですが、地図で道順調べていると、流山の運転免許センターのすぐ隣に、城跡があり、流山にした次第です。待ち時間にちょうどいいかなと。

 

<説明>

前ヶ崎城は、千葉県流山市にある平山城で、現在の松戸市にあった根木内城の高城氏が2度目に築城した城だとされ、高城氏が本拠をその近くの小金城にしたさいの支城で、城主は高城氏家臣の田島刑部少輔であったようですが、諸説あるようで、詳細不明のようです。

遺構として、本丸跡、土塁、空堀が現存していて、城址公園となっています。

 

城郭説明図

 

<攻城>

城郭南側より、攻城です。階段を登って行くと本丸跡にでます。本丸奥には二の丸への虎口があり、堀切を利用した北側の入口がありました。本丸北側には、一段高い場所があり、展望台のようになっていましたが、ギター弾きの熱唱おじさんが陣取っていて、写真も撮れませんでした。

 

本丸入口

 

本丸への登り階段

 

本丸虎口

 

本丸跡

 

土塁

 

二の丸への虎口

 

堀切

 

 

堀切を利用した本丸北側入口

 

 

 

 

 

栃木県 足利氏館跡その2 攻城165(2021年7月14日訪問)

 

日本100名城 No15 55/100

 

<攻城2>

山門から入って本堂方面へ歩いてすぐ左側に、足利氏の邸宅跡がありました。

西門、北門、東門と外周を回って、東門から出て、駐車場に戻りました。4周の堀と土塁が、城であったことを伺わせました。

 

足利市邸宅跡

 

本堂

 

南側土塁

 

西門

 

西側水掘

 

北側

 

北門

 

東側土塁

 

東門

 

東側水堀

 

今回の、東北城めぐりの旅は、日本百名城、続百名城をめぐる、温泉宿泊を含めた2泊3日の旅でした。コロナ渦でなければ、美味しい食事にもありつけたんでしょうが、自粛の旅でしたが、自粛生活の中での貴重な旅でした。

 

 

栃木県 足利氏館跡その1 攻城165(2021年7月14日訪問)

 

日本100名城 No15 55/100

 

<説明>

足利氏館跡は栃木県足利市にある平城跡で、現在は、鑁阿寺(ばんなじ)になっています。国の史跡にもなっているほか、日本100名城にも選ばれています。
最初の築城は、平安時代後期に陸奥判官として活躍した源義康で、源義家の子、源義国の次男となります。義国から足利荘を受け継ぎ、足利義康とも称して足利氏の祖となっています。その源義康が居館を構えたのが足利氏館と言う事になります。


 

足利氏館跡(鑁阿寺 ばんなじ)案内図

 

<攻城1>

鬼怒川温泉郷から、日光宇都宮道路、東北自動車道、北関東自動車道と乗り継ぎ、足利ICで降りて、100km、90分弱で、足利市内、太平記館駐車場(2時間無料 超過は有料かどうかわかりません)に到着しました。車を停めて、攻城です。駐車場の西側対面の史跡「足利学校」の北西に足利氏館がありました。南側大門通りから入城していきます。

 

足利氏館跡(鑁阿寺 ばんなじ)南東の太平記館駐車場

 

 

 

途中にある「足利学校」

 

大門通り

 

足利尊氏公像

 

山門

 

 

山門前、太鼓橋東西の堀、土塁

 

鑁阿寺本堂