母の彼氏とのスキーの悲しい思い出 | 「好き」であふれた毎日を生きよう♪

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今年のクリスマスは

 

いかがお過ごしだったでしょうか。

 

こんばんは。おむらちもです。

 

 

なぜ、突然こんなタイトルで

 

ブログを書いているのかというと😅

 

 

 

この前、街でクリスマスツリーが光ってて

 

「恋人はサンタクロ〜ス♪」なんて

 

ユーミンの歌が鳴ってて、

 

その瞬間「あ〜💦しんど〜😭💦!!」って

 

過去の思い出が蘇ったんだよね。

 

 

なので、ちょっと久々に書いてみようと

 

思ったの。

 

 

うちは高校1年で父が癌で他界して、

 

母がその後すぐ彼氏を作ったんだよね。

 

 

うちにほぼ住み着いていた

 

そのオジサンは

 

ヤ○ザみたいな風貌の人で、

 

 

小林旭みたいなひさしのついた髪型に

 

決めてる時は

 

紫や白の三揃えのスーツにエナメルの靴

 

ラフな時は甚平を着てて、

 

わざと大声で過激なことばかり口走る、

 

かなり強烈な

 

個性のある人だった。

 

(ずっとブログ読んでくれてる人は

知ってると思うけど 笑)

 

 

母は寂しがり屋で男の人が必要だったから、

 

私もそのおじさんと

 

仲良くしようとかなり頑張ってたんだよね。

 

 

 

だんだんおじさんがDVするようになって

 

その後、仲良しようと

 

努力するのをやめるんだけど、

 

 

これはまだ、おじさんと

 

仲良くしようと努めてた頃の話。。。

 

 

おじさんは北海道出身で、スキーが得意なのね。

 

 

だから、「教えてもらいー。」

 

って母に言われて。

 

おじさんも張り切って、乗り気になって、

 

二人でスキーに行くことになったのね。泊まりで。

 

(母はコインランドリーをしていて

 

年中無休だから行けないからって2人で。)

 

 

こういう時の私って、

 

昔から選択肢はない感じで、

 

母が行っておいでって言ったら、

 

必ず従ってた。

 

(小さい頃から祖父と何処か

 

行かされる時も決定事項だった。

 

兄二人は絶対行かないのにね。)

 

 

昔は当たり前に嫌なことを

 

受け入れてばかりだったなぁ。。。。

 

 

そんなこんなで、私の

 

人生初めてのスキーはおじさんと二人。

 

 

 

当時はスキーブームだったから、

 

関西のスキー場は激混み。

 

人だらけの滋賀の

 

スキー場に行くことになりました。

 

 

そして、

 

着いたら、いきなりすぐに

 

リフトに乗せられた。

 

 

頂上まで連れて行かれて、

 

止まり方もわからないまま

 

リフトから自動的に離脱して、

 

10メートルくらい先の網に突っ込んだ。

 

 

網の向こうは崖!

 

網も半分破れてて、

 

破れた所にスキーが絡まってはずれない!

 

 

怖い!恥ずかしい!

 

 

そんな思いから始まった

 

私のスキー人生だった。

 

 

でも、こういう話ってよく聞くじゃない?

 

初心者のスキーの話で

 

上まで連れて行かれた!

 

上級者コースに連れて行かれた!

 

なんて

 

人生で何度も聞いたことある。

 

きっと、あるあるな話なんだと思う。

 

 

それが、私にとっては、知り合ったばかりの

 

ヤ○ザみたいなおじさん(母の彼氏)との

 

奇妙な関係の中で起こったことなので、

 

 

笑い話にもならない、

 

不信感や違和感の始まり。

 

 

そして、このリフトの件は

 

まだまだ序の口だった。

 

 

おじさんは体で覚えろ!がモットーだったので、

 

それから、

 

止まり方や滑り方を教えてもらってないまま、

 

何度も頂上に連れて行かれることになる。

 

 

私のスキーの先は引力の法則で下を向き、

 

結果、直滑降で滑ってしまい、

 

 

すごいスピードで1番下の

 

リフト待ちの長蛇の列に突っ込む

 

ということを何度も繰り返した。

 

 

すごい勢いで突っ込むので、

 

転倒して脳震盪を起こしかけたり、

 

相手に体当たりして

 

数メートル吹っ飛ばしたり、

 

人と絡まって取れなくなったりと、

 

沢山の方に

 

本当に迷惑をかけました。

 

(それにしても今から思うと

私も私がぶつかった人も

よく怪我しなかったと思う。

神様に感謝です。)

 

 

どうして、親がちゃんと責任持って見ないの!?

 

なんて言われ、怒られ、

 

沢山の人から非難の目を向けられ、

 

 

でもそんな時におじさんの姿はなく。。。

 

 

申し訳ないし、恥ずかしいし、情けないし、

 

もうただただ平謝りだった。

 

 

初めてのスキーはとっても悲しかった。

 

 

それまでの私は、密かに目立たないように

 

生きてきて、

 

人に迷惑かけないようにしてきたから、

 

 

こんなに非難の目を向けられたり、

 

呆れられたり、

 

人を危険に晒すこともなかった。

 

 

だから、自分が自分じゃないような気がした。

 

初めて加害者になったような感覚を味わった。

 

それは私にとってはとても強烈で

 

衝撃的なことだった。

 

 

でも、また、おじさんが言うがままに

 

上まで上がって滑るを繰り返した。

 

そうするしかなかった。

 

 

おじさんは激しい人だから、

 

断るのが怖かったんだと思う。

 

 

そして、おじさんは無法者だから、

 

リフトの件を持ってないのにズルして

 

無賃乗車したり、

 

順番抜かししたり、

 

私の背中を押して、無理矢理、

 

割り込ませたりした。

 

 

で、それがいいことだと思ってるらしくて

 

ドヤ顔をして、

 

「うまくやるだろ!」なんて言ってくる。

 

 

思春期で恥ずかしがり屋の私を前にしても

 

全くデリカシーがないから、

 

わざとみんなが振り返るくらい大きな声で

 

私を呼んで道を開けさせる。

 

(おじさんは見た目からすごく怖いので

 

みんなおじさんに気がついたら

 

道を開けるの)

 

 

おじさんの行動一つ一つがしんどかった。

 

おじさんの言葉一つ一つがしんどかった。

 

おじさんと一緒にいることは恥ずかしかった。

 

合わなかった。

 

違和感しかなかった。

 

 

でも、

 

お母さんのために仲良くなってあげなきゃと

 

思ってたんだよね。

 

お母さんの期待に応えたかった。

 

 

その後も、高校の間、冬になったら

 

おじさんとのスキー旅行に何度も何度も行った。

 

 

全然楽しくなかった。

 

苦しかった。

 

 

そして、そんな私の心を表すかのように、

 

スキーに行った時はいつも吹雪になるの。

 

1メートル先も見えないくらい。

 

 

リフトに乗ったら、

 

私の肩に、膝に、

 

どんどん雪が

 

積もっていく。

 

 

足の先が凍えて感覚がない。

 

指の先がちぎれるほど痛い。

 

悲しくて惨めで苦しい。

 

寂しい。。。

 

 

シングルリフトに揺られてる時間

 

しんしんと積もっていく雪の中で、

 

私は、いつも小さく声を出して泣いてた。

 

 

ここなら気づかれないから。

 

 

その時間だけは自分の本音を

 

出していい時間にしてた。

 

 

 

そして、リフトが終われば

 

また平気なふりを演じてた。

 

 

 

 

 

あの時代の私は

 

いつも自分の気持ちを全部押し殺して、

 

頑張ってたなぁ。

 

 

今も、

 

「恋人はサンタクロース」を聞くと、

 

あの頃を思い出して、

 

ちょっとしんどくなる。

 

 

当時、スキー場でよく流れてたからね。

 

 

当時の私にお疲れ様って言いたいな。

 

 

そして、実は

 

嫌なことは嫌って言っても良かったんだな。

 

もう少し、自分を優先しても良かったんだな。

 

 

そんなことをあなたは学んでいくよって

 

言ってあげたい。

 

 

 

 

こんなおじさんの知り合いのヤンキー宅に

16歳の夏にホームステイした

過去記事はこちら↓

http://ameblo.jp/timoshin/entry-12299554591.html