こんにちは。
心理カウンセラー おむらちもです。
海老蔵さんの奥さんの
小林麻央さんがお亡くなりになられました。
麻央ちゃん
大変だったね。
旦那さんと子供たちと
少しでも一緒にいたいと願った
麻央ちゃんの最期の頑張りに
本当にお疲れさんと言いたい。
そして、残念だなぁと思って
涙が出た。
でもね、前なら、病気が死ぬほど怖い
私にとって、こう言うニュースは
明日は我が身と言われてるようで、
(ありがたいことに健康なのに)
ほらみろ、お前だっていつこうなるか
わからないんだぞ!って言われてるようで、
(勝手に言われてるような気がしてた)
怖くて怖くて仕方なかったんだよね。
本当に、人ごとではなく
自分ごととして全力で受け止めていたし、
わざわざ積極的に
そうしようとしていた。
だから、すごくしんどくて、
すごくブルーになってた。
結婚して、子供が生まれて、
大切なものが増えるごとに
「生きるべき」
「生きねば」
「必死に生きることが正しい」
そんな風に「生」に執着しすぎてたから、
「死ぬのは怖い」
「死んではいけない」
「死ぬことはありえない」
って「死」の恐怖が私の中で
膨らみすぎて、
常に「死」のイメージに
追いかけられてた気がする。
でも、
「生」に執着しすぎたら
「死」が怖くなるし、
「死」に執着しすぎたら
「生」が怖くなる。
こんな仕組みになってるんだよね。
だから、「死にたい!生きるのが嫌!」
って言ってる人と、
「生きたい!死ぬのは嫌!」
って言ってる人は、
真逆のように見えて、案外似たような
ことを言ってるよね。
だって、「生」も「死」も
私たちにとってはどちらも
一直線上に「当たり前」にあるんだもの。
腑に落ちたんだよね。
生きてるのと同じくらい
人間にとって
死ぬことは「当たり前」なんだってこと。
いつかは、わからないけどね。
人間は死ぬのが自然なこと。
そして、大嫌いだった「死」の世界って
いずれはみんな行くんだし、
そんなに悪いところじゃないのかなぁって
思うんだ。
「この世の方が修行」なんてことも聞くしね。
残された人間は
すごく悲しくて、寂しくて、辛いけど、
それでも人は生きて行くんだよね。
私も子供の時に父を亡くしたけど、
めちゃめちゃ悲しくて、
ありえない!嘘だと言って!
と心で何度も叫んだけど、
それから1年後にはちゃんと笑えてたもんな。
悲しくても、辛くても
人ってちゃんとそういう風に
生きて行くんだよね。
人間にとって
「死」は「生」と同じくらい当たり前。
そして、「死」が来ても
この世に残された人は案外なんとか
やっていくし、
死んだ人も、案外楽しくやってるのかも
しれないな。。。
そんな風に思えるようになりました。
だから最近、死んだ人に
「お疲れ様」
なんて心の中で声をかけてる自分がいます。
そしたら、今日ぢんさんがこんなブログを
書いていてびっくりした
https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12286260508.html
心屋では×を付けない。
病気も
争いも
怒りも
そして「死」も
そういう考え方が、私が長年
死ぬほど苦しかった
病気や死への恐怖を少しずつ
緩めていってくれてるんだなぁって
実感をしてます。
そりゃ、死に直面したら
パニックになるだろうけど、
直面してない時はずっと、
こんな風に「死」をフワッと考えられた方が
私が、楽だからさ。
これからも、こんなことを
積極的にイメージして行きたいなと
思っています。
麻央ちゃんご冥福をお祈りします。
↑今はこんなお部屋に住んでますが、
以前はお片づけがすごーーく苦手でした。
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