おはようございます!
生きるが満ちている!
人生の学び舎を作る人
田端智子です。
今日の館林は晴れで最高気温は15度の予報です。
本日も元気にまいりましょう!
今日は、昨日運転中に聞いていたニュースについて取り上げていこうと思います。
こちらのニュース見て
どう思われたでしょうか?
私は同じ世代の子どもを持つ親として
驚くと同時に
「身近にあるかもしれない」
「この子たちはおそらくとても頭のいい子なんだろうな」
「これからの時代はこういうことは起こってくるな」という
感情を抱きました。
というのも
AIがかなり身近なところまで来ていることも
息子らの生活を見ていると実感します。
スマホが日常生活からは切り離せない状況ですからね。
ちょうど息子らもこのニュースを聞いていたので
「すごいニュースだね」という話題を振ってみました。
そうしたら
「かなり頭いい人たちだよな。おそらく…」
「どうやったんだ?どうやったらできるんだ?不思議だ」
という答えが返ってきました。
私はこのニュースを見て
この子たちが悪い!!ではなく
〇そういう状況になる可能性があること
〇もしかしたら、何かの動機があったのかもしれない
(学童の子どもたちと接していてもそうだよなと思うことがあるのです)
動機を聞くと、彼らなりの正義があることに気づきます。
大きさは違うかもしれませんが、「〇〇の為を思ってやった」とか「〇〇が困っていたから助けた」等々、こういう言葉、よくあります。
事件を見たときに
・まずは話し合うということと
・どこでその子たちが犯罪をすることになったのか?
・そしてその一線を越える瞬間はどんなところだったのか?
を話し合っていく必要があるんだなぁと思いました。
私は、子育てをしていてどんな子になってほしいか?
と言われたときに
「自分の好きな道を見つけて突き進んでほしい」と思っています。でも、それは悪いことをしてまで、進んでほしいとは思っていません。
悪いことってどういうこと?
そこの部分を子どもたちとすり合わせていく必要があるなぁと思った昨日の出来事でした。
まずは
「子どもと対話」と
「形容詞のすり合わせ」だな~。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最高の一日をお過ごしください。
追伸:優しい子に育ってほしいもそうですが、
優しいとはすごくふわっとした言葉だなと思っています。
それは日本語としては素敵な言葉なのですが、
子どもからすると「????」「何をもって優しいと言われるのだろうか?」が結びつかないだろうな~と感じます。
「優しいってどういうところを見て感じるのか?」を聞くと
子どもたちからは、予想もしない言葉が返ってくることもあります。
まずはそこを聞き合うことが大事だなぁって感じます。