私達の記憶は、事実ではなく、つねに自分と言う
フィルターを通したものであり、色づけされている。
さらに、思い出すときにも、今現在の状態に
添った記憶として、再構築されている。
という構造は、なんのために、あるのか。
「そうなっているんですね」というだけでは
思い出すたびに書き換えが起きて、本当は
どういうものだったのか、事実から離れて
「自分の都合主義」に留まります。
記憶・書き換えの原理を超えて。
事実に向き合う。
たとえば、自分ができないことを
「こういう記憶があるから~仕方が無い」と
逃げたい自分がいる。のですね。
こういう原因があるから、こういう結果がある。
だけど。
出来ないのではなく「したくない」から
「これが原因」というものを、今、その場で
作っている。のです。
とてつもなく、痛みに直結している・・・
病的な状態では、書き換えで、一切
忘れてしまうくらい別のものに変更して
しまうことも、アリだと思う。けど。
根底から変える
本来の自分に戻ることが出来るのは
「したくない」本音の自分に向き合う
ということじゃないかな。