Working Holiday 1
4年間の大学生活の間に何かに挑戦したい。そう考え始めたのは大学3回生になった頃だ。大学1回生の終わりに、怪我のため小さい頃からずっと続けてきた野球を断念した後、打ち込めることがなく、ただ大学の授業とアルバイトを繰り返す日々が続いていた。
そんな時、アルバイト先で知り合ったスコットというアメリカ人の留学生に勧められ、海外に出てみることにした。旅行会社で勧められたワーキングホリデイというプログラム。海外の国で1年間(期間は国による)自由に生活できる。学校に行ってもよし、旅をするのもよし、働くのもよし。金銭的に余裕がなかった僕は、このプログラムを選択した。国はオーストラリア。英語圏の国の中で、比較的治安が良く、物価も安い、人々も親切だと聞きその国を選んだ。
初日空港で二人の日本人と出会う。その彼らは九州から同じエージェントを通して、オーストラリアにワーホリに来たらしい。私のお世話になったラストリゾートというエージェントから多くの日本人が同じプログラムでオーストラリアに来ていた。
空港には迎えが来ていて、バスに乗ってゴールドコーストのサーファーズパラダイスという街に着いた。天気は良く冬だというのに、熱い。。日差しも日本とは比べ物にならないほどきつかった。南北に続くビーチは最高にきれいだった。
私は同じ日に到着したラストリゾートの日本人たちとしばらく行動を共にした。語学学校に通ったり、パーティをしたり、アルバイトをしたり、異国の地で彼らといるとすごく安心した。
ホストファミリーのお家はマレーシア人の家族だった。両親と子供二人の4人家族。街まで車で送ってくれたり、ゴルフにも連れて行ってくれた。子供二人の英語が聞き取りやすく、ずっと二人と遊んでいた。
ホストファミリーのアイザック君 ダニー、しほさん、くるみちゃん
一か月はあっという間に過ぎ、シェアハウスを探さなくてはならなくなった。街の掲示板に出ている情報をもとに電話して家を見に行き、気に入ったらそこに住む。オーストラリアではよくあるパターンだ。学生は皆お金を節約するために、シェアをしている。私はイラン人と日本人の夫婦のお家に住むことが決まった。
異文化の人との共同生活は決して楽なものではなかった。いろんな事に気を遣うし、意見が合わずに衝突することもあった。今考えればそれもいい経験であるが。。当時は相当悩んだ。
語学学校はジオスのゴールドコースト校に行った。5つにレベル分けされており、私は真ん中のレベルだった。下の方はほぼ日本人、上の方はほぼヨーロッパ系の人々だった。授業内容は日本の英会話スクールとほぼ変わらない。違ったのは外国人がクラスの中にいること、日本語を校内で話したらシルバーコインを払うこと、放課後にみんなでクラブに行くことだった。1か月という短い間だったが、本当に楽しかった。いっぱい友達ができたし、学校の遠足にも行った。その後もそこで出会った人たちとの交流は続いた。
語学学校パーティ
仕事は最初ホテルのハウスキーパーの仕事を紹介してもらった。サーファーズにあるクラウンタワーホテルの掃除の仕事だ。英語が十分に話せない私にとって、最初のうちはリーダーの言うことを理解するのが大変だった。いつも私とペアを組むAndrewはとても親切に指導してくれた。そのおかげで仕事にはすぐに慣れ、彼の言ってることは8割ほど理解できるようになった。
2つ目はレストランでの仕事。Oasis Shopping Centreというショッピングモールの中にあるオージーレストランで料理を配ぜんする仕事だった。その仕事は注文はCashierのひとがとってくれるので、料理を出したり、皿を引くだけである。そのなかでもお客さんが満足した顔でお礼を言ってくれるのがとても嬉しかった。中には私にビールをおごってくれる常連さんもいた。
なんだかんだしてる間に、半年が過ぎた。本当に夢のような世界、生きてることの楽しさを実感した。しかし、私の中で引っかかっていることが二つあった。ひとつは英語力。一日の中で日本人の友達と過ごすことが多いので、正直あまり上達していない。。。もうひとつは広いオーストラリアにいるのに半年間サーファーズという小さな街にいる。このままでいいのだろうか?せっかく一年間自由にオーストラリアの地にいれるのに、もったいない気がした。思い切ってラウンドに出ることを決意した。