旅行たくさんしているのに意外にも行ったことのなかった香港 

 香港は飲茶が有名です。ネットの色々な情報を頼りにお店を探しながらその一つに向かったのが、この写真の『添好運』です
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 セントラル駅近くの地下にあります。入店時にはかなり列ができていました。ここの注文の仕方は、列に並んでいるときから、係員に言って注文書をもらってそれに記入しながら、こちらの人数を伝えて席順を待つというものです。

 15分くらい待って入れました。お腹をすかせていたのと、待っていた甲斐があり、とてもおいしい飲茶をたらふくいただきました。いくつか写真を載せておきます。
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また、この日は香港でビール祭りが開かれていて、偶然通りかかったので欧米人にまぎれてビール祭りの一角でたくさん飲んできました。

この人の多さ、見てください まともに歩いて通り抜けられません・・・↓
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このビールですが、飲んだのはStella Artois ベルギーのピルスナータイプのビールです。
それよりも、この首から下げられるストラップが素敵でしょう(笑)
ビール自体の量は大したことありませんが・・・・
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弾丸トラベル始まりです。

 まず朝の7時の朝食に間に合うように身支度をして、朝食を済ませ、即刻中国国境までの乗合バスが出ている場所まで急ぎました。ここでもやはり現金がないことが大きな痛手でした。近くのバイタクを拾えばいいのに、香港までの道のりを考えて、たった50円程度もケチっている自分がいます。。。(涙)


 結局そのバス停に着いた頃には汗だくで(21キロのバックパックと5キロほどのリュックを体の前に持っているので…)、2リットルのペットボトル水を買いました。乗合バスが出るのが次は8時半だと言われしばらく待つことになりました。ここから中国との国境の町「ランソン」まで約3時間半の旅です。

 途中休憩を挟みながらようやくたどりついたランソンの町。この辺になると、町の看板に中国語がちらほら見えてきます。国境にある友竩関までのチケットで、20万ドンくらいだったと思います。

 ベトナムの物価はなかなかの勢いで上がっています。
ネットで調べた時には同じようなルートをとった人がその半値で行っていたと思ったのですが。その額面の紙幣を払おうとすると、運転手のおっちゃんに

「ベトナムでは20万ドンくらい出さないとこの距離はいけないよ」
                みたいなことをベトナム語で言われたような気がします。

 友竩関から中国国境までは小さな電動カートに乗っていきます。10000ドン。
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出国審査では中国からの観光客の波にのまれないようにささっとパスポートを入国管理官窓口に割り込んで差出し、比較的早くスタンプをもらいました。ここから中国側入国審査場までは徒歩で行けます。


 中国側入国審査はあっという間です。
2012年7月半ば現在で、中国へのビザなし有効滞在期間は15日間です。
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入国審査の後、噂に聞いていた公安による荷物検査があります。入国者は自分のスーツケースなりバックパックなりの中をすべて出して、検査を受けなければなりません。私の大きなバックパックを見た係官が「もうええわ」みたいな表情になって、中身の7割くらいで検査は済みました。

 国境の町は友竩関、ここから広州への電車が出ている町、南寧へバスで3時間。中国入国時点でベトナムとは時差が1時間あるので時計を早めます。

広州への電車が夕方17時半なので逆算すると、もうギリギリ間に合わない時間でした。とにかく近くに停まっていた南寧行きのバスに乗り込みましたがあとは祈るのみ。問題1画像


 結局南寧についたのは、列車が発車する17時半でした。これであきらめがついたのですが、大きな問題はこれから。

 まず、米ドルを人民元に両替しないといけません。これが大変で、南寧の町のある程度のホテルを周りましたが、時間外だとか取り扱いがないとかで両替できず。現金のないまま、キップを買えるのか…と非常に不安でした。問題2

 ここで天の助けが待っていました。

 友竩関からのバスで同じだった数人の中国人に電車のことを聞いたのですが、数人がなんと日本語ができるではありませんか。そして、彼らのうちの一人が同じ目的地広州に行くということがわかりました。この彼が実はとてもとても親切な中国人でした。
彼は日本語を自分で勉強しているのですが、両替の為のホテル周りをずっと付き添ってくれただけでなく、両替できなかった私の為に、私の手持ちの米ドルをその時のレートで自分の人民元と交換してくれました。さらに、キップの販売所まで付き添ってくれて、並んでくれました。

しかし、このキップの購入が問題3。中国を甘く見ていた私でした。
カウンターは横並びに10列くらいあるのですがそのどれもに50名くらいの列ができています。しかも、カウンターのいくつかはあいている時間帯が決まっていて、定刻になると客がいても閉めてしまいます

 そこで足止めをくった客たちが空いているカウンターのレーンへ割り込んで来るから余計に長蛇の列。そこに加えて、次の広州行きのチケット(夜11時時半発)は売り切れ間近の表示…。

でも、私の順番が来るまでまだ1時間以上待たないといけない。並んでいるうちに売り切れてしまう…とこれは大きな問題です。…問題5 

 なぜなら、翌日中に香港へ入らないといけないのに、広州まで10時間以上列車に乗らないといけないからです。


 この非常にやばい状況を救ってくれたのも、この中国人の彼でした。

「外国人だからすいません。。。といってあの列に割り込みな!大丈夫だから」
                                   と笑いながらのアドバイス。
「そんな訳のわからない理由が通用せんやろ…」

でも私に選択の余地はありませんでした。思い切って、
                      「対不起、外国人」

                      といいながら強引に列に割り込みました。

もちろん、非難の声は上がりましたがつまみだされることはありませんでした。


 日本ではありえない状況ですが(笑)、そのおかげ?で、広州行きのチケットをゲットすることができました!画像

 拙い中国語+英語+文字表記で難なく。
片道=「単程」、ソフトベッド=「軟臥」です。「広州、単程、軟臥」と紙に書いて見せたら問題なく買えました。

中国は列車の乗車券購入時にIDを見せる必要があります。そして、列車の中でもIDと乗車券の検閲が何度もあります。


さて、列車発車までの長い待ち時間の間、その辺にいた中国人と話をしたりして適当に時間を潰しました。本を読んでいると近寄ってきた男性は貴州省の人で広州に出稼ぎに来ているとか。中国の省、全然知らないわ…。


 列車で同じコンパートメントになったのはでっぷりと太った中国人男性2名+おばあちゃんでした。
このデブ男のうちの一人が大きな問題6

広州まで14時間の旅ですが、このデブのいびきのおかげでほとんど寝られませんでした。もうあの、テレビで見る
睡眠時無呼吸症候群」

   そのものでした。そして同室の人たちと「こりゃ寝るのは無理だな~」って苦笑いしながら夜中何度も起きました。当の本人は何も知らないまま寝ていたのですが…。
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 眠たい目をこすりながら、広州駅に着き、ここで香港行き直通列車に乗る予定でした。でも前日に両替ができていなかったので、例の中国人の彼が一緒に銀行まで付き添ってくれ、おかげでなんとか両替することができました。

 ホンマに多謝(ドゥオシェ)です。

香港行きの直通列車はエアコン+wifiつきで、とても快適でした。さて、香港では飲茶をいただきます。 


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あまり知られていないように思えますが、実はハノイには、強制収容所があるんです。その名は、「ホアロー」
 ハノイの旧市街、新市街から歩いて行けます。

 ハノイは、カンボジアやタイに比べて結構蒸し暑く、だるかったのですが、戦争と平和という旅のテーマもあったし、日本人として知っておかないといけないと思ったことがあるので、はずせませんでした。
 この収容所はフランス統治時代に、それに反対していたベトナム人の運動家や革命家、自由を求めて戦った人々が捕らえられ、拷問を受けた場所です。


「戦争」や「収容所」と聞くと、重い感じがしますし、実際に収容所の中を見学すると重くなると思います。それは否めないのですが、やはり平和な日本に暮らす日本人として知っておかないといけないことはたくさんありますね。

これは、牢屋の中から脱走の為に掘った地下通路の一部です。画像













このように当時の人たちは繋がれていたんですね…
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当時の様子が彫られた大きなレリーフです。
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このような狭い監獄の中にたくさんの罪なきベトナム人が収容されていたのです。
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このほかにも有名な断頭台(ギロチン)が生々しく展示されています。実際にベトナム人の数名を処刑した実物です。心が重くなったので、写真は撮りませんでした。



ベトナムがフランスから独立した後、この収容所はインドシナ戦争で捕虜となったアメリカ兵たちの収容所となりました。しかし、彼らの生活は非常に満ち足りていて、塀の中でも、バスケットボールをしたり、たばこやお酒を飲んだりしていい暮らしができていたと書かれています。

 少し前にアメリカ大統領選挙候補に挙がった、ジョン・マケイン氏も実はこの収容所の捕虜だったのです。彼は、ベトナム戦争に従軍していたのですが、乗っていた飛行機が撃墜されて、地元のベトナム人に助けられ、捕虜となったのですね。



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