シンガポールは、6回目。よく知ってるんですが、以前働いていたオーストラリアの学校の自分の生徒がもうすでに22歳になってシンガポール在住なんで、彼の家にしばらくお邪魔することにしました。 やはり、自分にとっての生徒にあえてとてもうれしいし今でも慕ってくれているので非常に感極まります。

彼の家は3階建て。大きなダブルベッドを用意してくれました。

 日本では考えられないくらいの大きな家。その3階部分になんと
 プールがあるのです!!

 そこで毎日日光浴しながら、泳いでいました。
画像

 シンガポールでは、ナイトサファリ、ホーカーズ、リトルインディアと回りました。

 1週間滞在させてもらいました。その中で、ご両親の26回目の結婚記念ディナーに同席させてもらうこともでき、非常に光栄でした。

Matの家族にお礼ついでに、日本食ナイトを催して、僕がシェフとなり、いろいろ作ってあげました。
 大反響だったのでよかったです。

 同行しているマイケルこと泉川くん、あなたもっと日本の料理できるようになりなさい!!

 

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今日は、前回の続きで例の学校のことを書きます。
 学校の詳細や運営方針については、http://akcdf.com/  を見てください。
 
 今まで海外の色々なNPOやNGOに関わってきたり、見たりしてきたけど、どれもこれもあまり信用できるものじゃなかった。それはやはり、自分の目の前で活動を見てなかったから。

ここ、Abakadang Kayumanggi Community Development Foundation は1987年に、今の理事長のお母さんがほんの小さなボランティアの気持ちから始めた幼稚園でした。今日の表題は、そのお母さんが設立当初にたてたスローガンです。
今の理事長の家族も実は、この学校に通う子供たちが暮らす、所謂「極貧」地域の出身です。
  

 様々な苦労を経て、ある程度の形をなしているのですが、やはり経済的な問題で非常に苦労しています。
1、スタッフは正規の幼稚園の先生としてが2名に対して、園児は200名近く。
2、彼女たち正規のスタッフの給料は、(ボランティアといっても彼女たちも家族を養   わなければならないので)日本円にして24000円/月。 現地の公立学校の初任給が32000円くらいなので、スタッフの方々がいかに低い給料かわかるでしょう。学校としてはもっと出してあげたいけれど、今は元手がないから手いっぱい

3、子どもの数が多いのでやはりスタッフの数も必要です。先生たちよりも低賃金で、所謂「常勤」で働いているのが5~6名。完全に近いほどボランティアです。

4、この幼稚園の収入は、 
 A,日本とつながりが深いので、年に一度日本でチャリティコンサートをしていま    す。そこでの収益=総収益ー[(スタッフの飛行機代)+(食費等))になるので   大したことありません。
 B,2~3年に一度、何名かが日本に来て企業訪問したりして協賛を募る。
 C,地元フィリピンの政治家や、有力者に働きかける
 
★注:前にも書きましたが、この家族は全くボランティアで運営しているので、お金はこの家族には入りません。つまりは、家族のメンバーが食べていくために、一人一人個別に仕事をしています。お母さんを除く4名が音楽関係で働いています。この家族すごく音楽センスあるんです。

 5、日本からのスタディーツアー(対象は小学生~社会人まで)を受け入れ、貧困生活を送るフィリピンの現状を見てもらう。→宿泊施設を紹介したり提供したりして、 そこで得たお金をすべて、学校運営+スタッフの給料+こどもに使っている。

 6、PHP7000(日本円にして14000円くらい)が1年間に子ども一人にかかる授業料(制服、食事、教科書、教材すべて含む)です。でも、この額を払えない経済状況の家庭は、経済状況によって3段階に分けられ、PHP7000から払える額だけ払って、残りの不足分が上に書いたお金から補てんされるシステムです。
ちなみに、3段階とは、①PHP3500 ②PHP5000 ④PHP7000 です。

 7、どれだけ経済的に裕福な家庭も、どれだけ経済的に貧しい家庭でも、こどもは等 しく機会と教育を受ける権利があるとして、どこの家の子供でも受け入れるのがこの学校の方針です。

以上は、僕が見て聞いて確かめてきたので、ウソではありません。

さて、昨日の川岸の家々を訪問して思ったことと、この学校の色んな人と話をしてi色々考えました。そして、それは疑問に変わり、いまなお自分の中で解決できていません。
   
 経済的側面:川岸や貧困地域に暮らす人たちは、お金がほしい、よりよい生活をしたいと本当に思っているのか。←これは、少なくとも昨日僕が見た限りでは、確かにしんどい生活が毎日あるけれど、彼らは、いい表情をしているし、辛そうにだとは感じなかった。

 生活的側面:単刀直入に書くと、排泄物はゴミも含めてすべて川に流されている。そして、子どもたちは、その川で泳いでいることもある。←これは、日本人の一般的見地からすると信じられないだろうし、衛生状態が悪い=病気が蔓延する となるのですが、実情は彼らは体内に免疫を持っており、あまり病気にはならないのだとか。
つまりは、彼らがたとえば水洗トイレを欲しない限り、衛生管理は彼らにとっては大した問題ではないのかもしれない??

人間的側面:日中から家でごろごろしている人がたくさんいる。これは2つのカテゴリーに分けられる。
 
①仕事をしたいが仕事がない 
②仕事はしたくないので家にいる 

この②が問題なんです。
AKCDFの目的は、自立のための援助です。
 働こうとしない家族をいかにサポートするのか。
 →学校でたくさん両親、大人むけの教育プログラムを実施している。

 教育的側面:貧困地域に暮らす人たちは、そのほとんどが、初等教育しか受けていない。もしくはそのレベルにも達していない。
 「教育」の欠如が、①無秩序を作り出す ②14,5歳での出産→シングルマザーを生み出す。 ③不衛生な状況を生み出す ④貨幣経済が浸透しない などなどの悪循環を作ってしまっています。
 これに関して、特に②において事実、この地域に暮らす母親のほとんどが、二十歳以下で子どもを産んでいます。しかし、ここには上記の状況に加えてフィリピンがカトリック教国であるということも少なからず関係しています。カトリックでは堕胎や避妊は禁じられているのです・・・。
  
さて、まだまだ書きたいことはありますが、これを読んだ皆さん、どう思いますか?
 
 国際的なNGOやNPOに関わる人はよくいいます。「教育がすべてだ」と。
でも、ちょっと待ってください。その「教育」ってつまりは、世間一般に生きている大多数の人たちが暮らしている社会に適応するための教育なんじゃないかな・・・。我々から一方的に見た教育なんじゃないかな・・・。言いたいことわかりますか?
   
じゃあ「教育」ってなに??
  
 少なくとも、そこの貧困地域に暮らす人たちが求めていない限り、極論を言えば、教育をしなくても、原始人的生活に戻っていくだけのことじゃないのかな。。。なんて考えたりもしました。極論ですよ極論。

 世間一般に生きる人たち=大多数 にとって、貧困地域で生活する人たちが衛生的、健康的、文化的な生活をすると、私たち=自分たちの周りの環境が私たちにとって良くなるからって感じたりしませんか?


 なんか何が正しいのか分からなくなってきました。。。。
 でも、少なくとも、子どもたちの為に一生懸命働いている幼稚園の先生たちの給料は少しでも上げてあげたい。募金を募ってみようかな・・・。

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フィリピンでステイさせてもらっているのは、大学時代の後輩がかつてスタディツアーで訪ねたことのある現地のある一家です。
 
 ここは、経済的貧困家庭に暮らす子供たちも、貧困でない家庭のこどもたちもすべて同じように平等な教育を受ける機会を持ってもらうという主旨のもと、幼稚園を運営しています。 運営しているといっても、まったくもって、完全にボランティアですので、僕がステイさせてもらっている家族には、他に普通に仕事をしています。


  さて、今回の本題に入ります。
今日は、ぜひにということで、幼稚園児達が暮らす家庭、地域への訪問をさせてもらいました。

 彼ら彼女らが生活しているのは、日本人が俗に言ういわゆる「極貧生活区域」です。テレビや映画などでよく見る、川岸に掘立小屋を建てて、一家10人くらいが6畳一間くらいに過ごしていたり、ゴミの山のすぐ近くで生活していたりという感じです。
 


  まず、訪問したのは大きな川の岸に、日本でいえば「長屋」みたいな家を並んで建てている地域でした。中は暗く、4畳半くらいの部屋が1メートル間隔くらいで並んでいて、いや、並んでいるというよりは、大きな土間を真ん中にして、両脇3方に部屋がありそれぞれに別々の家族が暮らしています。
 
部屋の中に古びたテレビが1台置かれている家、ゴミ箱から拾ってきた布切れをつなぎ合わせてテーブルクロスを作り、それを売って生活の糧にしている家、訪問したら子どもだけがいて、お母さんはと言えば…川に落ちそうなギリギリのところで露天で髪を洗っていた家、暑さも相まってトイレの臭いが立ち込めている家、入ってすぐの部屋にござとドロドロに汚れた枕が置いてあるだけの家…などなど。
 

 家の材質はほとんどがコンクリートで、2階建てです。しかし、2階建ての2階部分も4畳半っ暗いの間仕切りになっていて、別々の家族がすべて使っています。2階に上がる階段は、木製で、湿気と古さで今にもれ崩れそうだったり。危うく足を踏みはずすところでした。

1階部分は長屋に沿って、長い共有の廊下のような場所が続いています。そこで暑さの中、無邪気に遊ぶ子どもたち、すぐ外には檻の中につながれた小さなやせ細った犬。。。
   と、書くと、どんなところや・・・と当然思うでしょう。そして、事実、我々日本人の目から見れば、そこの生活環境は決して悪いどころではないと思います。


 しかし、僕が何よりも感じたのは、そこにたくましく生きる人たち。そして、子どもたちの楽しそうで生き生きした幸せそうな表情ですよ!!
 

たくさん写真を撮らせてもらいました。驚いたのは、どの家庭も家の中の様子や自分たちの身の回りのものをカメラに収めることを一人も拒まず、「どうぞ」というのです。さらに、写真を撮らせてというと、どの家庭も、どの子どもたちも、とってもとってもいい笑顔をしてくれました。

 

色んな家々を回るうちに、僕は「この人たちは確かにお金がないけれど、決して不幸ではない」という以前から持っていた思いが確信に変わりました。
 

この人たちは貧困だからといって、僕にお金をねだってくるわけでもなく、自分たちの悲しい話をして同情を誘うわけでもなく、みんながみんな隣に住む人を知り、お互いに貧しいながらも助け合って「生きて」います。
 
 一昔前、ブータンの国王がGNP(国民総生産)ならぬGNH(国民総幸福)という考え方を発表しました。 彼のリサーチによると、GNPが高い国は必ずしもGNHが高いとは言えないという結果になったそうです。
                GNPが高い≠GNHが高い                  
 ということですね。
それをまさに物語っているのが、今日のフィリピンの事例ではないでしょうか。


 我々日本人は、世界から見ると非常にリッチな国だといわれていますし、日本人はお金持ちだと非常に多数の人々から思われていることは事実ですし、実際、世界のほかの国々と比べると、総じてとてもそうだと思います。

しかし、日本人はみんな幸せでしょうか?カメラを向けて、今日の子どもたちやその家族と同じような笑顔ができますか?お金がなくても、家族と生きていたら嬉しいと思うことができるでしょうか?

みんな自分の暮らしにいっぱいいっぱいで、仕事に手いっぱいで、笑顔になる余裕があまりないんじゃないかな。少なくとも僕が見てきた日本の世界では、満員の通勤電車に揺られ、毎日遅くまで仕事をして、帰ったら家族は寝ていて・・・。一方で子どもたちは、ある時は受験勉強に追われ、友達と遊ぶこともままならず塾通い。学校と塾しか知らない子どもたちが大勢いるんです。

 さて、幸せの尺度はもちろん人によって違います。お金がないと幸せになれないと感じる人もいるでしょう。確かにお金は幸せに暮らすための1つの要素ではあると思います。でも、やはり「生きている」+「楽しいと思うこと」がシンプルだけど大切なことなんかなと思います。

 自分は今本当に幸せですか? 幸せってなに?

これを読んだ方々、誰でもいいので、ぜひいろいろコメントください。

次号は、その学校のことを書こうと思います。またまた、熱い内容になると思うので乞うご期待!

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