大切にしていた陶器や磁器を壊してしまった経験はありませんか?形あるものが壊れるのはやむを得ずとも、破棄するのは偲びなく…。愛着や思い入れが深いほどその損失に心が痛むものです。斯く言う私も、阪神淡路大震災の折にお気に入りの壺が粉々に壊れてしまい、泣く泣く破棄した覚えがあります。当時の私は、『金継ぎ』の存在を知らなかったのです。

 

割れや欠けなどの“傷”を金粉で覆うことで“個性”という魅力に変え、より趣深い物に修復する金継ぎ。それは朽ちていくものの中にある幽玄の美を尊重し愛する、日本ならではの“侘び寂び”という美意識がもたらす唯一無二の修復技法で、海外からも賞賛する声が多く届いています。今日はその奥深さを、少しばかり語らせてください。

 

主に陶器や磁器の修復に用いられる金継ぎは、破損状態に応じて様々な姿を表します。例えば器の中央を走る一筋の金線であったり、大皿一面に枝分かれして走る金線であったりと、傷の数だけ異なる形状が生まれるため、同じものは一つとしてありません。

その工程は、破損の接着に小麦粉と漆を水で練った麦漆を用い、欠損には漆に米粒や刻苧綿(こくそわた)・木粉を混ぜた「刻苧粉」で埋めることに始まります。それぞれに混ぜる配分や練る時間はもとより、なだらかに平らな状態に仕上げるなど、緻密で繊細な作業を要します。こうして下地の修復が終わると、約一月寝かせて乾燥させ、乾いた傷跡に沿って弁柄漆を塗り、その上に金粉・銀粉・白金粉などで美しく装飾して完成です。

 

深い傷、大きな欠損などの見るほどに痛々しかった傷は、金粉をまとうことで新たな命を得ます。そして金線に生まれ変わった傷跡は、器や大皿の上をまるで脈打つ血脈のように走ります。その様は己の傷を堂々と誇示しているようにも見えますが、決して仰々しくなく、きらびやかでもなく、朽ちた中に自然体で存在し黙して語る…。

まさに侘び寂びの美学が生きていることに気付かされます。

 

金継ぎの魅力は、自分で修復できるところにもあります。ただし、これは単なる修復とは違い、物の“命”と向き合う覚悟が必要となります。それはまるで武道の心眼のように、欠損や割れなど傷の一つひとつを読み解き、じっくりと丁寧に手を施すことで破損という“傷”を“魅力”に換え、新たな命を吹き込んでいく。手掛ける者の心まで読み取られてしまうのが、金継ぎの奥深さなのです。だからこそ、傷痕に沿って施された金線や、金線に命を与えられ甦った器たちを眺めるだけで、その繊細な美しさと叡智に感銘を受け、畏敬の念すら覚えるのです。

 

そして何より、金継ぎを施されることで甦り、以前に増して深い魅力を醸し出すその様は、私たち人間が心や体に負った痛々しい傷痕も魅力であり、誇らしい宝であることに気付かせてくれる哲学でもあるのです。日本独自の美意識であり、文化であり、芸術であり、哲学でもある金継ぎ。今、私の心を掴んで離しません。