昭和42年だから
私はピカピカの一年生
だったと思う。
古い家は母屋と納屋
そして牛の小屋
鶏小屋そして便所
真ん中にはカロ(中庭)
があった。
納屋と牛の小屋の間は
通りといって
野良着や玉ねぎそして大根
南蛮(赤トウガラシ)がぶら下がって
そこを抜けて
海岸に向かうと
そこには木の舟がしまってある
舟小屋そんな位置関係。
牛の小屋には確か
二頭の真っ黒い牛がいた
通りを隔てるのは
竹を格子にして
藁を細かく切って
土に混ぜた塗り壁
牛は角でガンガンやるので
ところどころ穴があき
隙間からぎょろっと
覗いているのである
怖かった記憶しかない。
今は様々な壁材があるのだろうが
当時は外に面してるところは
雨に当たらないところには
土壁だらけであるが
どこの家もそんな造りであった。
家の中まで土の壁は
さすがに記憶にはない
すでにその当時には
接着剤かのりを含んだ
表面仕上げの壁材量が
出回っていたのであろう
床の間とかにはキラキラした
粒粒の仕上げ材が使われていた。
現代の家屋で土壁なんて
乾くには半年もかかるから
工期もないしコスト高
専門の左官屋さんも
少なくなって
一般的な家では
まずありえない素材
でも日本の家屋では
古来より使われ
様々な利点がたくさんある。
京都の家とか美術館
日本料理屋さんあたりで
色つけの聚楽壁が
使われることもあるが
速乾性溶剤で乾きも早い。
がしかしである
土の生まれの私の感度アンテナ
ふと目に入るのが
泥の絵の画像であったり
土の色のパレット
情報番組では土専門の左官の職人
土の絵具のアーティスト
アフリカの現地の装飾
ガタリンピック
土(泥)染の生地
そんなところに気が付くと
目がいってしまっている。
佐渡島の牛小屋の土壁を
思い出していた
一次マスタープランを任されて
こしらえたテーマは(土)である
土着の素材で
トリタテ・デキタテ・ツクリタテ
それをモチーフとして
色とカタチの展開にした。