ずっと考えること | 悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。お蔭で7年を経過致しました。ここにきて、腫瘍が両肺多発転移してあることが分かり、これからは好きなことをしていきます。

皆さん、こんばんはショボーン




辛いこと続くと感情が崩壊し掛けますね。

なんかもう吐くだけ吐いて楽になりたい気分とか感情のままに叫びたいとかねタラー


多分ご家族さんは患者さんと一緒に、いやそれ以上の方もいるかも、本当に辛い時間を過ごしていますよねショボーン


今日、Fさんのお父さんの葬儀に参列させていただきましたが、喪主のFさんや弟さんはお父さんが中皮腫になってから家族で相談したり、私に相談しに来てくれたり、自分の仕事の合間に右往左往してましたもんね。
父をどうにかして助けたいと何回もご相談の連絡してくださいましたもんね。

必死でしたよね……。



恩師の奥さんとお会いした時、奥さんは泣き疲れたようなお顔でした。

それでもまだ哀しみを堪えていらっしゃいました。

癌との闘病、そしてALS、そしてまだ癌の拡大……

それをずっと横で見てきたんですよね。

どうしてあげて良いのか本当に苦悩の連続だったと思います。

ALSで最初は言語の障害から言葉を必死で読み取ってましたよね。

そのうち、動けなくなったら駐車場にリフトを作ってましたよね。

お子さんも独立していたから、本当に大変な闘病だったでしょうね。


恩師は言いたいことも言えない、動きたくても動けない苦悩と闘い、奥様は恩師の要求を理解することに必死で、それでもできなくて悩み、動けない身体を肩を担いで最初は移動させていても、そのうちケアマネやお子さん達の力を借りて、もう必死だったに違いないですよね。

私たちは先生に、痛みや苦しみから解放されて良かったねと声を掛けられますが、奥さんにも苦闘から解放されたんですねと声を掛けてあげたい。

でもご主人さんを失った喪失感や寂しさは計り知れないものがありますよね。


人は誰しも遺族にもなるし、時として患者本人にもなります。


この時々は本当に闘っている方々皆さんがしか分からないものもありますよね。


いくら一生懸命に看病していても、あれしといたら良かった、これやってあげたら良かった…なんて多くの方が口にしていますよね。


後悔先に立たず


本人も家族もその時必死に考えて、精一杯のことをしても大抵誰しも後悔しがちですもんね。

でも奥さんの気持ちは奥さんにしか分からないですよね。
本当にお疲れ様でしたと労えるのはいつなんでしょうか。



ちぃちゃんさんはまだ若いお子さんいましたよね。
痛みや苦しみを周りに見せたくないから面会も辞退されていたようですし、ご家族だけがそのツラさを見ていらっしゃったんでしょう。
看護学校へ通うお嬢さんにお会いしましたが、しっかりしていたけど、お母さんを失った喪失感は表情できないですよ。

ちぃちゃんもきっと心残りだったと思います。

きっと花嫁姿や孫まで見たかったでしょうに……





いくら言っても、何を言っても、言い尽くせない気持ちが私の頭の中をさらに混乱させてます。



今は先に旅立たれた方々、一緒に頑張ったご家族の皆さまに表現は間違っているかもしれませんが、お疲れ様でしたと敬意を表したいです。