悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。お蔭で7年を経過致しました。ここにきて、腫瘍が両肺多発転移してあることが分かり、これからは好きなことをしていきます。

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皆さん、こんにちは👻





悪い冗談すみません🙇


ただこのブログを読まれていると言う事は、私はこの世から旅立ったようです。


2024年 3月 2日  18時 30分 私はこの世を去りました。


皆さんには生前、大変お世話になりました。本当に言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。


本当にありがとうございました🙇



思い返せば、2016年5月に内蔵の違和感を感じ近くのクリニックへ行きましたが、結果わからずじまいで一旦帰されました。


その後1週間後に、今度は背中に激痛が再度走りもう一度クリニックへ受診しました。その時背中が痛かったのでレントゲンを撮ってもらったのですが、右肺下部に胸水が溜まっており、これをとらないと結果がわからないと言うことですぐに大病院を紹介してもらいました。



紹介状を持って大病院へ行きましたが、たまたま紹介先が労災病院でアスベストセンターという場所があり、すぐにそちらに呼ばれて検査を始めました。検査の結果は約2ヶ月後に悪性胸膜中皮腫と言われても実際ピンときませんでした。


その頃は中皮腫と言われても、何が何だか分からないままに主治医に言われるがままの治療を受けていました。



本来なら標準治療として、アリムタ×シスプラチンを4回あるいは6回するのですが、私の場合、4回過ぎてもまだ継続だし、6回続けていたら「アバスチンを足そう」ということで、3剤併用療法でもう3回継続した時点で、主治医に「もう堪忍してください」と泣きを入れましたね😅

当時、中皮腫にはアバスチンは適用外となってすぐだったとこは知っていましたが、そういうこともありなんだとてっきり思っていました。


ところがそれが結構奏功しまして、1年間の経過観察となりました😅


一年後にようやく数値が上がってきたので、アリムタ単剤のリチャレンジを始めました。


これは継続はしているものの、奏功しているのか否かはわからないまま、30数回投薬した頃に2017年12月22日オプジーボが胸膜中皮腫に承認されたので、私もその対象としてオプジーボをとうやくすることになりました。


ところが9回目の投薬で全身に痒みが出て、一旦中断しへ抗生剤で緩和しました。


その後再開しましたが、今度は13回目の投薬で、副腎皮質ホルモンの低下という副作用が出ました。


この時は、その後予定が詰まっていて、気持ち悪い中、朝の新幹線で東京へ向かったのですが、新幹線のトイレで嘔吐する失態となりました。ただその後も良化することはなく、一泊して帰ってきた時はフラフラでした。


それでも次の日から韓国へ患者さんたちと面会するために渡航がはいってましたのてか無理矢理ですが、韓国へ行きました。


それがまた体調を悪くするきっかけでした。

その後、韓国では夜になると3日間37.5以上の発熱で帰れるのかと思いましたが、昼間なら平熱になるのでどうにか帰ってきました。


ただ帰ってきた日は娘の看護学校の卒業式だったので、こちらも外さず、参加して娘の写真を撮っていたのですが、さすがに辛くなって途中退座して病院を受診しました。


ところが採血、レントゲン、検尿と全部調べたので差が、ただの疲れだろうと病名を出しかけて、血圧を測った時、普段から高い血圧が、90/60というまた異常値でピンときた主治医が血液検査を追加で発注して、副腎皮質ホルモンの低下とわかり、ステロイドを打って帰ったのですが、家帰った頃には普段通りのメシを食べることができました。



それからオプジーボは16回投薬することができました。ただ一部増悪部分があるということで残念ながら中止となりました。


その後は主治医はジェムザールの提案をされましたが、私はアリムタも効いているんじゃないかと主治医に提案して、アリムタをすることになりました。

ただこの時、主治医からは「効かなかったら一年」と2度目の余命宣告をされたのをよく覚えてます。


それでも私の判断の元、アリムタのリ・チャレンジでかなり伸びてくれることができました。


この時は流石に主治医に勝ったと、喜びました。



これまで順調にいっていたアリムタにも変化が訪れました。


一昨年の夏に第一回中央環境審議会中央環境保健部会石綿健康被害救済小委員会が開催されて、患者である私が選出されました。


ここでまさかこんなとこになるとは私も思いませんでした。

第一回中央環境審議会中央環境保健部会石綿健康被害救済小委員会では患者側の意見が面白いように賛成され、これは数十年ぶりに変化が起こるのではないかと期待したのも束の間、第二回に入る前に明らかに環境省側が各委員の方々へ介入して独自の意見を強く押していたように思えました。


その理由として、明らかな都合のいい人事異動(人事異動の季節だそうですが)、そして第二回中央環境審議会中央環境保健部会石綿健康被害救済小委員会が始まった後のほぼ全ての委員の手のひら返し。


これには私も悔しさのあまり涙が出てきました。


これまで苦しめられてきた患者にとって何一つ変わらない状況でした。


それから一年足らずで自民党の派閥の裏金問題、恥を知れ!


そんな金あるなら、困ってる希少がんなどに寄付でもできたろうに、これじゃあ日本の政治は不毛ですわ



第二回中央環境審議会中央環境保健部会石綿健康被害救済小委員会から10日ほどが過ぎた時、今までなんともなかった右脇腹に強烈な痛みを感じました。


気のせいかと放っておいたら、その10日後くらいに右脇腹に見事な腫瘤が飛び出ていました。



すぐに主治医ではなく、懇意にさせていただいてます兵庫医科大学の長谷川先生と橋本先生に相談したところ、明らかに腫瘍とのことで、兵庫医科大学病院でのIMRT放射線治療をすることになりました。



33日間、私は兵庫医科大学病院車で通うことになりました。



そのために買った愛車みたいなものです😀でも一年乗ったら全く乗れなくなったので娘に名義変更🥹



それでも途中で母が亡くなり、朝から病院へ走って夕方の通夜に参列したこともありました。





とりあえず、昨年の夏は33日間は愛車で兵庫医科大学病院まで通いました。



その後はオプジーボとの併用により、この腫瘤も、改善されてさあまた活動開始‼️

と思ったのは束の間、なんと😭



多発性両肺転移


が判明しました😱



見事に天国から地獄への階段でした😭



まだ片方の肺ならどうにかなるかもと思ってましたが、両肺への転移なるとどのドクターに聞いてもくらい顔です。



私のこれまでの治療でよくよく考えて、3つの失敗がありました。


これは関係者には悪いですが、私の思った正直な気持ちを書きます。


①一昨年の年末に安易に胸膜癒着術をしたこと。

これは今まで見てもらった主治医がしてくれると思っていましたが、新しい部長になった女医と研修医が実際やったこと。

これには私も何度か術中意義を讃えたこともありましたが、結果スルーされて、2週間の入院が高熱が下がらず3週間の入院となりました。

おまけに右肺は膨らまずに萎んだままでした。



②中皮腫患者が重圧の多い特に出来レース会議に参加するものではない。


とてつもないストレスと重圧が患者の体を蝕む恐れが十分あるからだ。


それでもいいという感者さんはその限りではないです。



③最初から集学的治療ができて、信頼のある経験豊富な病院で治療を受けなかったことかも知れません。

だからといってどうなっていたかは分かりませんが、やはり経験豊富な病院での診察、治療をお勧めします。


ただ、私は細先生から助けられて8年間頑張って来れたのには感謝しかありません🙇



その間は、兵庫医科大学病院の長谷川先生と繋がらせていただき、橋本先生が担当医として色々治療もしてくれました。


学会などに行くと、色々な先生方をご紹介して下さいました。


お陰でやりたいこともかなりできました。



橋本先生とのコラボ企画



これでこれから中皮腫に罹患された方には知っておいて欲しいことをお伝えしております🙇


各地の市民公開講座や学会も年に数回実施してきました。



マスコミにも多く出させていただき、中皮腫やアスベストの危険性を訴えてこれました。


これがカンテレだけで10万回再生ですって👍





私がお世話になったような中皮腫の治療に経験豊富なドクターはまだまだ少ないです。


上から目線や感情的になるようなドクターなら患者側から見捨てて、セカンドオピニオンに行くことをお勧めします。



自分の命は自分で守るは言い過ぎかもしれませんが、それくらいの覚悟で治療には挑んでほしいと思います。


自分が分からなくても、キャラバン隊のサロンに来てくだされば、それぞれの情報を共有できたりもします。



皆さんがやってきた治療の情報をかき集めれば、経験の浅いドクターより遥かな情報量を得ることもできると思います。



とはいえ、信頼できるドクターもたくさんいます。そのドクターが信頼できるかどうか見極めてより良い治療を受けていただけたら幸いです。






私は3度の入退院を繰り返して、本当に今まで経験したことのない苦しさ、辛さを味わってきました。



それまでの治療の辛さもそうですが、ここ最近の入退院時の辛さは経験したものしか分からないものがありますね😨



この辛さはもう何万人という先人の方々が味わい苦しまれたことでしょう。



こんな苦しい辛い思いをしてまで、家族を亡くすことはもう終わってほしいと切実に思います。



どうか、この思いをこれからの方に断ち切って欲しいと思います。


この曲を最後の曲にするのはちょっと躊躇いありましたので、





私から皆さんへ最後に届けたい曲は




いつか皆さんの心も晴れ渡ることを信じて






今までありがとうございました🙇


ここまでは父が生前から準備していたものです。

父は今日の朝イチに牛乳プリンを1つ、最後までしっかりご飯食べていました。最後は大好きなサザンの音楽を聴きながら、家族親戚で囲み最期を迎えました。


中皮腫という病気はとても辛くて悲しくて悔しい気持ちはまだまだありますが、生前父は病気になったからこそ出会ない方にも出会えて、とても充実した人生をおくれたと言ってました。

本当に今までありがとうございました。

私も父が好きです。娘より