将来性を感じてワクワクになっても、将来が来ることで寂しい | 台南在住日記とか

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Made in Taiwan, Live in Taiwan.

 最近はインテリアの日本書籍を中国語に翻訳しています。(言葉→台湾華語、文字→中国語として使っていますね)

 

 10年前に初めて翻訳した書籍はインテリア系で、それから3~4年くらいに20冊以上のインテリア書籍に関与していたのだけど、今回の仕事を進んでいる間に、懐かしい!ではなく、新鮮!だと感じています。

 

 なぜなら、10年前の私は不動産について全く経験がありませんでしたが、今の私は家を買う経験×2、家を売却する経験×1、知り合いがマイホームに関与する経験×5、そして、実際に不動産業界の方と7年くらいに交流してきたので、インテリア書籍を読むときの視角が全然違います

 

 

 編集者さんがやってほしいって言ってないけど、翻訳しながら、「台湾の実態とは真逆」「この法令が台湾とは違う」などの部分をまとめてレポートも提出しました

 

 

 実は、この前に日→中のインテリア書籍を拝見している時にも、「この翻訳者は不動産の経験がないね」って用語から気づきました。

 

 「そういえば、私は不動産に関与している前にも、同じ言葉を使ってしまいました。」

 

 

 だから、貪欲が生じました。

 

 

 私は、もっている不動産知識を、不動産投資に生かしてお金を稼ぎたいです。

 

 そして、同じ不動産知識を、本業に生かして、「インテリアや不動産の書籍翻訳者と言えば、Sineadさん!」という翻訳者になりたいです。

 

 そして、本業から学んだ不動産知識やヒントを、不動産投資に生かしてお金を稼ぎます

 

 不動産投資から得た経験も、さらに本業に生かすことができますよね。

 

 

 これは、いいサイクルになって、もっている不動産知識から得る利益を最大化するのでしょう?

 

 叶えるかどうかわかりませんが、でも、目標をもっているだけで、ワクワク

 

 

 でも、最近のワクワクは微妙ですね。

 

 ワクワクを感じるのは、将来性を感じるからです。

 

 

 でも、その将来って、大切な人たちが1人ずつ消えていく将来ですね。

 

 

 大人になる前の私は、たくさんの愛をもらって、「この人が大好き!」って少しずつ幸せになりました。

 

 そして、そのたくさんの愛を持って、人が弱っていって、去っていく背中を見守る将来が必ず来ることを意識して、大切な人たちを見守ることができる強さを磨いてきたのです。

 

 でも、人生がしっかり楽しめるように、なるべくその意識をもっているだけで、深く考えないのです。

 

 

 大切な人たちが消えていく将来を深く考えても、その将来が変わらないので、むしろ、精一杯愛している人を愛して、精一杯に目の前の人生を生きたほうがいいと思いますが、お父さんは病気で倒れました

 

 

 今、お父さんは元気に退院しましたが、その件で将来について深く考えるべきなタイミングが来たことを気づきました。

 

 もう、逃げてはいけませんね。

 

 

 だから、将来性を感じてワクワクになっていながら、将来に対しての寂しさも深く感じています