Part 1
Part 2
【俗女養成記】娘が中学生になるとモンスターになる台湾人お母さん
ここではPart 2の予告映像での台湾要素について説明したいですから、Part 2の映像&字幕翻訳と合わせて読むともっと具体的に理解できるかもしれませんね。
では、
この予告映像にはどんな情報を含んでいますか?
まずは、このお母さんからですね。
Part 2の予告映像はおよそ25年前の台湾で、つまり、1996年くらいです。
その時代のお母さんたちは、みんなこんな髪型でした。
そのお母さんたちを見て、「40歳になると髪を切ってくるくるパーマをしなければならない」って勘違いをしてしまったほど、普及していた髪型でした。
うちのお母さんによると、
1.忙しいですから、ショートのほうが便利
2.ストレートよりパーマをかけたほうが元気に見える
3.ウェーブならすぐにストレートになってしまって、もったいないですから、ぐるぐるパーマのほうがコスパがいい
という理由で流行っていたそうです。
さらに、このお母さんは
「子どもの頃には、お婆ちゃんは学校に行かせてくれたら、13歳に工場で仕事することはない。小卒だけじゃない!ABCなんか全然読めないこともない!」
って言いましたよね。
実はお母さんの若い時代(およそ1950~1965年)には、女子にとって、学校へ行くことってまだまだ贅沢なことでした。
その時代にはほとんど5~7人兄弟で、長男は継ぎ手なので、どんなに貧乏でも学校に行かせますが、長女や次女ならせいぜい小卒。
基本的な知識を勉強してから、工場に行かせたり、結婚をさせたりする感じです。
そして、長女や次女のおかげで家計が改善されたら、三女からは中学校や高校にも行けるようになる例も少なくないですが、これから一生、学歴が低いことで就職の選択肢が少なくて、よく人に「こんなことでもわからないの?」って揶揄われる女性はやっぱり多かったです。
だから、子供を産んでから、「この子をしっかり教育しないと、大人になったら私のように就職しにくくなって、人生が大変になる」って思いこんでしまいます。
中学生から朝8時から夕方17時までに学校、18時から21時までに塾、週末も塾、部活より勉強、誰でも必ず大学へ進学するという社会的な雰囲気になった理由のひとつは、これでしょう?
「学校へ行かないと、工場しかいけなくなる。」という恐怖。
その時代の台湾は、今の中国のように、安い人件費で世界の工場になって、そのおかげで経済力がよくなった人は多かったので、怖いのはたぶん工場へ行くことではなく、
転職したくても、工場しかいけない選択肢の少なさ。
実現したい夢があっても、低い学歴が支障になったこと。
だから、↑のお母さんが寂しそうな後ろ姿で語ったのは、その時代の台湾人女性の悲しみですね。
to be continued