今朝の台南は、三回の地震。
そして、三回目にスマホから警報音を鳴らして、ちょっと不安でした。
でも、被害がなさそうでよかったです。
1999年9月21日、台湾の中部に大地震が発生して、大きな被害になってしまいました。
震央は台湾の真ん中の南投県で、地元は隣の彰化県の山側にあるので、被害もひどかったです。
その夜、ガタガタした窓の音で目覚めて、ぼんやりしてエアコンの温度表示モニターをみてると、父の焦った声がドアから伝ってきました。
「早く起きなさい!逃げよう!」
逃げようとした時に停電して、そして、縦揺れ地震がすごく横揺れになりました。暗闇の中に、父の大きい手が私と姉を掴んで一緒に階段を降りて、貴重品と羽織りを確保した母と一緒に家から逃げました。
家から出て安全な広場に集まった皆は、空を見上げていました。
真赤でした。
そこは南投県の方向で、誰でも怖がっていましたが、黙ってみていました。
家は壁も床も少し裂けましたが、大きな被害がなくて幸いでした。
私の知り合いにもみんな無事でよかったです。
でも、近くのビルが倒れて、たくさんの被害者が出ました。
その後は一カ月くらいの休校、停電、停水。
父はどこが水があった情報を手に入れると、姉を連れて一緒に探しに行き、母は冷蔵庫の食材とレトルトなどを頑張って手配しました。
11才だった私は何か手伝いたかったけど、両親は忙しくてそばにじっとしてほしいって言われたので、カメラのようにその恐怖、不安と不便を脳内に深刻に刻みました。
それ以来は、ずっと921の地震を意識して暮らしてきました。
新居を探す時には必ず断層などの情報を研究して、自分なりの判断でもっとも安全な場所を選びます。
日頃もよく動線、緊急時の対処を考えています。
でも、何年前には、ちょっと絶望だった事件がありました。
それは朝で、初めて一人で大地震に会いました。
大丈夫。冷静に様子を見てから行動すれば大丈夫って自分に励ました時には、目の前の壁が裂け始めました。
よし。逃げましょう。
でも、逃げようとした時には、猫たちは手の届かない場所に隠してしまいました。
はい。諦めましょう。
逃げるならみんなで一緒に、逃げられない家族が一人がいれば、一緒に残る主義ですから、絶望的に諦めました。
幸いに、地震が止まって、壁の裂けも軽い程度だけでした。
それ以来、日ごろの準備にはまた猫の訓練を加えました。
普段は、いろいろな行動でママのそばはもっとも安全な場所だと知らせています。
小さな地震が発生した時には、のんびりに対処して、猫たちに「大したことじゃないよ。隠さないで、ここに来て」って教えます。
地震が止まった時にも、お菓子の袋を揉んで音を出して、そして、お菓子でご褒美。
それも、緊急事態になっても、すぐにそばに来られるしつけです。
そして、今日の地震では、いつも臆病な涼丸ちゃんも警戒しつつ、一丸君と一緒にママのそばにいました。
日頃の努力が少し成果が出てほっとしました。
でも、もし留守中の地震でも隠さないなら、どうしよう?
人生って難しいですね。