今週、実家の両親は会社のツアーで屏東の東隆宮へ行きました。
「じゃぁ、私も行こう!一緒に遊ぼう!」
「同世代の人と遊んだほうが面白いから、来るな。」
わくわく提案しましたが、却下されたので、台南の東隆宮へ行くことに決まりました。
東隆宮ですが、正面も「代天府」の文字がありますね。
そう
ここも、王爺を祀る廟です。
南鯤鯓代天府と麻豆代天府は李氏、池氏、呉氏、朱氏、范氏の五人の王爺を祀っていますが、東隆宮の代天府は李氏、温氏の二人の王爺です。
ちなみに、台湾の廟は主神と副神に分けて、ここで紹介するのは、主神です。ほかにも月下老人、土地公などいろいろな副神が鎮座していますね。
そして、三つの代天府ともに李王爺を祀りますが、東隆宮の李王爺の名前は祝麒祿で、南鯤鯓などの李王爺の名前は李大亮です。
で、なんで東隆宮の李王爺は苗字が祝ですか?実は、わかりません。
ちなみに、東隆宮の副神の中にも、池王爺がいます。でも、この池王爺も南鯤鯓などの池王爺とは違う人物です。
じゃぁ、台南の東隆宮と屏東の東隆宮はどんな関係?
実は、台南の東隆宮は慈安宮でした。
鄭成功が台湾に来た時に、たくさんの人手を連れてきて、その中には、地元の神像を持ってきた人もいました。
その時持ってきたのは、李王爺でした。
最初は貧乏で神像をカゴに入れてましたが、李王爺のおかげでお金を儲けてきた信徒たちは、廟を建てました。
この辺りはすでに保生大帝を祀る慈濟宮がありましたから、その名前を沿って慈安宮という名を付けました。
その後、李王爺の信徒がますます増えてきて、大忙しになって、李王爺一人じゃ手が回りませんから、もう一つの李王爺の神像を作って仕事を分担しようと思いましたが......
神像を作って、憑依の行事を行った時に、
「李王爺様、こんにちは!」
「ごめん、李王爺ではなく、屏東の東隆宮の温王爺ですけど。」
「あれ?!」
という感じでしたね。
屏東の東隆宮の温王爺はいつもいろいろなところを回ってましたから、馬祖にも同じようなことがあったそうです。
「神様、お名前は?」
「温王爺です。」
「あれ?馬祖は温王爺という神様がいませんが......」
「屏東から来たんです。」
という感じでしたね。
とにかく、温王爺は補佐としていろいろな災厄をはらってくれましたから、李王爺と信徒が感謝の気持ちを伝えるために、慈安宮を東隆宮と改名しました。
だから、台南の東隆宮と屏東の東隆宮は兄弟みたい関係ですね。
面白いですから、伝説を前置きとして紹介しました。
南鯤鯓の付属施設④の記事を更新したら、また東隆宮の続きを紹介する予定です。
では~
【玉敕代天府三寮灣東隆宮】
台南市北門区三光里95号
拝観料:なし