沈黙 サイレンス(2016) | 我が愛しのカルト映画

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カルト映画に限らず、主に旧作を中心に【ネタバレ】全開で映画の感想を書いています。
細かい考察はできませんのであしからず。

沈黙 サイレンス
Silence
Director: Martin Scorsese
★★★★
 
 マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙」の映画化を企画しているという話は随分と前から聞いていたが、こうしてようやく完成の運びとなったわけだ。残念ながら1971年の篠田正浩監督による最初の映画版の方はまだ鑑賞に至っていないが、タイミングよく日本映画専門チャンネルで放映されたのを録画したので、近いうちに観ようと思う。本来なら、篠田版を観てからスコセッシ版を観るべきなんだろうけど。
 
 上映時間が2時間40分と長尺だが、その長さをあまり感じさせなかった。それはアンドリュー・ガーフィールド演じるロドリゴ神父に感情移入をしてしまって、彼の苦悩が俺にも伝わってきたからなんだと思う。俺はクリスチャンでもなければ信心深い方でもないのだが、宗教をテーマにした映画は割と好みなので興味深く観られたってのもある。当時のイエズス会がこんな日本くんだりまで布教に来ていたのかと思うと、その信念には敬服する。西洋からすれば極東の島国で、言葉も分からない異国の地に布教という目的だけでやって来たのだとすれば、その想像を絶する苦労も試練として受け入れていたのか。しかし、ロドリゴ神父たちは辿りついた切支丹の村で「パードレ、パードレ」と村人たちから尊敬の念を持って慕われる。今までの苦労も報われるだろうが、本当の試練はここから先にあるのだ。
 
 囚われの身になり棄教を迫られるも、それを頑なに拒むロドリゴ神父。今まで自分が信じてきて生涯を捧げたものを簡単に捨てるわけにもいかないだろうが、彼の信念が多くの信者たちに犠牲を生む様に堪えられなくなるのは想像に難くない。踏み絵も「形だけでいいんだ」と促されるが、教会の教えではなく、自分の心の中に本当の意味での神と信仰を見出すくだりは、感動的だ。信心深くない俺は、そう単純に観てしまったのだが、信心深い人には別の観方もできたんじゃなかろうか。神は「沈黙」したままだが、試練の中から己で答えを導き出す。
 
 撮影は台湾で行われたらしいが、キャストの殆どが日本人で台詞も日本語が多く交わされている様を見ていると、これがスコセッシ監督が撮った映画だということを忘れてしまう。そのくらい、もう殆ど「日本映画」なのだ。確かに、日本人からすれば奇妙なシーンもあるにはあるが、スコセッシは日本の文学を映画化するにあたって、かなり丁寧(忠実に、かどうかは不明)に世界を再現させていたと思う。このあたり、篠田版と見比べてみると面白いのかもしれない。美術の再現度も高く、今年度のオスカーでは美術賞はノミネートされるかも。
 
 踏み絵をしなかった青年(加瀬亮)が斬首されるショッキングなシーンはスコセッシらしい暴力性が出ている。ロドリゴ神父は牢屋の中でその様子をただ目撃するしかできないのだが、ロドリゴ神父の視線になってカメラが右に左にパンをする。転がる首、そして首のない胴体がズルズルと引きずられて穴に埋められるシーンをワンカットで見せる。のどかだった雰囲気が一転する、この映画の中でも怖いシーンだ。
 
 日本人キャストもおおむね好演。浅野忠信も貫禄が出てきたが、なんといってもイッセー尾形の井上さまが出色。ニタニタとした笑みを浮かべて、ちょっとクセのある甲高い声で喋る。出っ歯気味の口元がなんとも憎たらしい。塚本晋也演じるモキチが海の中で磔の状態で拷問を受けるシーンは演技なんかではなく本気でアップアップしていているようで、心配しちゃった。
 
 青木崇高、SABU、片桐はいりは気付いたけどIMDbによれば洞口依子や伊佐山ひろ子、そしてExsileのAKIRAなんかも出ていたんだな。
 
【2017年1月21日(土)鑑賞】字幕版