芥川賞受賞作なのに面白い(笑)と評判の「コンビニ人間」を読みました。
面白かったです。
…が、なんだか複雑な気持ちになってしまいました。
アスペルガーの人から見た世界はこんな風なんだろうなー、が感想でした。(個人の感想です)
彼らはよく定型(健常者)、非定型(アスペルガー)という言葉を使いますが、障害ではなく単に少数派で、だから多数派に合わせないとなぁ、と思ってる気がします。
私も少しズレてる部分があるので、共感して少々切なくなりました。
「異物は排斥される」んですね。
高齢独女にはなかなかつらい世の中なので、結婚してみたら予想外に快適で、それなりに枠組みに入れた気がしてます。
思えば、中学生の時に初めてズレを感じました。
その頃は「人はなぜ生きるのか」などとやたら哲学的なことを考えてました。
(みんなも考えてるけど、そんな青臭いこと言うのが恥ずかしいから言わないだけなんだろう)
と思ってました。
でも女友達と話してみたら、全然考えてないことがわかり、驚きました。
高校の時に年の離れた姉が結婚したので、姉のウェディングドレス姿の写真を学校に持って行きました。
そうしたらみんな寄ってきて、「いいな、いいなー!」と言うのでまた驚きました。
(あれ? ウェディングドレスってみんな憧れなんだ!?)
私は結婚願望も薄いし、なんか生物としてまちがってるかも!?
「恋愛至上主義じゃないとバレたら、魔女狩りされる!!」
その頃から「ふつう」を目指して、ふつうに振る舞うようがんばりました。
高校時代は、かなりふつうの女子高生だったと思います。
大学は共学で、中高女子校で窮屈だった私にはすごく自由に感じられました。
で、いろいろありまして、
「やっぱり私はかなりズレてて、ふつうに卒業してふつうに就職するタイプではないな」
と悟り、かなりの決意で大学を中退して、いろいろあって好きな仕事に就きました。
その時が、人生で一番幸せでした。
「ここが私の居場所だー」
嵌るべき所に嵌れるってこんなに幸せなんだなぁ、と。
似たような人が多いので、目立たずに済むのも楽でした(笑)
(妬まれて暴力を振るわれて、一番大変な時期でもありましたが)
30代になって病気になって精神科に通いカウンセリングを受け始めましたが、長いこと変わり者が多い環境にいたので、うっかりふつうのフリを忘れて、かなり誤解され攻撃されました。
まさか治療者に攻撃されるとは思ってなかったので、本当にショックでした。
医師もカウンセラーも、私がパターンにない言動をすると、なんとかして自分の知ってるパターンに当てはめようと躍起になってきて、悪い方に誤解されました。
考え方の違いは単なる職業病なのに…。
「なに弱いフリしてんのかと思ってた!」
という捨てゼリフをあるカウンセラーに言われ、具合がかなり悪化したことがあります。
精神的に強くても、病気であるのは事実なんですが…。
「コンビニ人間」の主人公ほどではないけれど、多数派に合わせて生きるのは私には大変です。
今はまた仮面を被って、外では出来る限りふつうにしてます。
えーちゃんは、私の少し変わった感性を面白がってくれるので助かります。
とても楽で伸び伸びしてます。
だけど、心の奥底にはまだ怯えがあります。
人間が怖くて仕方ありません。
エッセイ「負け犬の遠吠え」では、JJなどの勝ち犬雑誌には、
「疑うな」
という教えがあるとありました。
結婚して子供を持つ=女の幸せ
を疑うな、と。
「コンビニ人間」を読むと、多数派も少数派も結局は同じというメッセージを感じるのですが、それでも心が騒つくのはなぜなんでしょうね。
あえて言語化せず、しばらくこの余韻を味わってみます。