私が子どもの頃の話しです。
ピアノを習っていました。
習わされていました。
嫌で嫌で仕方がなかったのに、幼稚園の頃から6年間も習いました。
バイエルから始まって、ツェルニー、ブルグミュラー、ソナチネ
一通りやったと思います。
でも、嫌々習っていた為、よくピアノの前に座ると鼻血が出た事を覚えています。
姉と一緒に先生のお宅でレッスンを受けていたのですが、
姉のレッスンの間に寝てしまい、自分の番が回って来て、ピアノの前に座っても、眠くて弾けないことがよくありました。
毎年、発表会にも出ていました。
市民会館の小ホールでしたが、
新調したワンピースを着て、白いレースの付いた靴下にエナメルの靴を履いて、
自分の課題曲だけではなく、毎回、姉と連弾曲も弾きました。
窮屈な服を着るのは好きではなかったけれども、
ちょっと日常と違う格好をして、皆に拍手をもらうのは嫌ではなかったと思います。
発表会が終わって、会場を飾っていた花を沢山もらえるのが嬉しかったの。
それが、4年生になって、新しい楽譜をもらい、全く弾けなくなった私。
先生も親も、私自身も、楽譜を読めない事に、初めて気付いたのです。
年子の姉が、いつも私の少し先を進んでいたので、私はレッスンする曲をみんな聞いて知っていました。
どうやら、楽譜を読まないで、耳で聞いて知っている曲を弾いていただけなのです。
弾き初めの音だけ、楽譜から読み取ります。
楽譜のドの位置だけは知っているので、そこから幾つ上、幾つ下と数えて弾いていました。
6年間もレッスンを受けている子は、楽譜を見ただけでドレミが分るのに、
私は一つ一つ数えないと分らなかったのです。
レッスンが進み、姉とは違う課題を出されるようになって、私が楽譜を読めなかった事が分ったのです。
で、そこでバイエルからやり直し。
その次の年、先生が結婚されたのをきっかけに、レッスンは止めました。
最後の発表会の曲は『汽車は走るよ』でした。
姉との連弾曲。私はメロディーパート担当で、右手と左手が同じ動き。
簡単な曲に格下げされた訳ですが、この曲の練習はとっても楽しかった。
これで終わり!という開放感だったのかな。
今でも好きな曲です。
他の曲は、聞いたら断片的に思い出せるけど、題名も何も覚えていないのです。
嫌々弾いていたのですものね。
娘達の習い事は、娘自身が決めた方が良いと思うのは、この経験があるからです。
何にも得たものは無いかと言えば、そうではないのだけど、
今でも『エリーゼのために』ぐらいは弾ける(と思う)し(いや、やっぱり指がスムーズに動かないだろうな)、音楽の成績は良かったけど、
楽しいはずの音楽が、嫌々やらされた事で、私には苦痛になっていたのです。
楽しかった絵画教室は、娘達にも通わせたいと思ったけれども、ピアノは特にやらせたいとは思いませんでした。。
でも、好き嫌いはその子その子で違うのですよね。
姉は本当はピアノのレッスン、続けたかったのですって。
知らなかった~~~
確かに、高校生になってから、ピアノを習い直していたなあ~
結婚して、子どもが出来て、姪っ子が小学生になって、ピアノを習い始めた時、
「一緒に習っているの (^^) 」と嬉しそうに言ってました。
その姪っ子は、あんまりピアノが好きじゃなかったみたいだけど・・
姉は、歌うと音痴なんだけど、絶対音階は持っていて、いろんな物音をドレミで表現出来るんです。
姉妹でも、親子でも、いろいろですねえ。
ブログ(「習い事 その6(姉妹で習う事)」)を読み直して、思い出した事です。