のんびりさんから分かり易いコメントを頂き、気付いた事は大きかったです。
忘れっぽいだけでなく、
こうすればこうなるだろうと予測(想像するとも言う)し行動するのが遅い、つまり、気付くのが遅いだけでなく、
自分の事は、相手も知っていると思い込んでいる という前提がある事がわかりました。
噛み合ない会話は、この前提の有る無しだと思われます。
だって、私も忘れっぽくて気使いの足りない人で、楽しい会話を続けられない人間ですが、
娘1号とは違うぞと思える所は、ここかなと。
昨日の記事のコメントを書いていて、思い出した事があります。
・・・昨日の記事は、こちら
娘1号は、ほぼ 空想の世界に住んでいます。
ドラゴンが飛んでいたり、エイリアンに侵略されたり、想像した生物と遊んだり・・・
ノートやプリントは、ドラゴンなどの落書きでいっぱいです。
いつも、彼女の頭の中では、そんな映像で満たされているようなんです。
その物語 すごーく覗いて見たいです。
でも、よく その空想の物語を話してくれるんですが、独特の回りくどい表現で、長時間になるので、聞いているのは、ちょっとしんどかったりします。
それで、「その物語、書いてみたら?」と、勧めているんです。
ある日 そう言ったら、
「読めば いいじゃん」
と、答えました。
「えー、物語 書いてるのー 読ませてよ。」
「日記に書いてる。読んでないの?」
「読んでいいの?」
「別に、いいじゃん」
「日記って、フツー他人に読まれたくないものでしょ」
「そんなこと、考えた事なかった」
「読めばいいじゃん」というのは、自分が書いていることを母(私)は知っていると、思い込んでいたのですね。
自分が知っている事は、相手も知っているという前提で、「読んでないの?」になるのですね。
自分が知っている事は、相手も知っているので、隠し事はない。
日記を読まれても構わない。
そもそも、日記は隠すものだとは思ってもいなかったのですね。
娘1号の思春期は、まだまだ先でしょうねーー
娘の日記、そう言えば 隠す訳でなく、そこら辺りに堂々と置いてあります。
私は中学の頃、「アンネの日記」を読んで、自分も日記を書き始めたけど、絶対に人には読まれたくなくて、厳重に隠していました。
結婚して家を出る時、それは全て燃やしたのです。あまりにも恥ずかしくて、残して置きたくなかったから。今思うと、読んでみて その頃の自分を思い起こしてみたいですね。
でも、日記を書く事で、書く力はついたと思うし、いろいろな事を考えるようになったと思うので、娘にも日記を勧めたのです。
ちょっと、娘の日記を覗いてみました。
絵でいっぱいでした。
やっぱり、読むのはやめました。