チベせん日記 -373ページ目

花巻紀行~多田等観【後編】

(多田等観・続き)

お次は戦時中、等観が疎開していた観音山円万寺へ向かう。
カーナビがウソばっかつくので少々迷ったがなんとか到着。
(後でわかったが花巻南ICから10分とかからない処にあった^^;)

等観と花巻、
そもそもは、戦火からチベットの経典・仏具を守るため、花巻のお寺で住職を務めている弟のところに件の文物と一緒に転がり込んだのが縁らしいのだが、やがて等観を慕う地元の住民が等観のために観音山に一燈庵という庵を新築し、花巻が気に入った等観もそこへ移り住んでしまったそう。。




戦中・戦後と東大や慶応大で教鞭をとるかたわら、スタンフォード大客員教授として渡米するまでふらっとやってきては断続的にここで生活していたそうだ。
高村光太郎なんかがちょいちょい訪ねてきてはどぶろくで一献やっていたらしいw

円万寺は明治5年、廃仏毀釈のため一時的に山麓に移り、元の観音堂を八坂神社とし、明治41年、ほとぼりが冷めたので、再び山頂部を神仏混淆の寺に戻したのだが、八坂神社はそのまま残し、代わりに新しい観音堂をその脇に新築した。しかしその混乱から御本尊の所在が行方不明になってしまい、そのことを聞いた等観は非常に悲しみ、ダライ・ラマ13世から請来し、ことのほか大事にしていた「千手千眼十一面観音像」を御本尊として寄贈奉安したそうだ。

つまりここの観音堂にはチベットの観音様が奉られている!!

脇には等観の書で「観世音」と彫られた石碑があり、
“入蔵学僧等観 書”とある。くー、カッコイイ!!

梵鐘には漢字とチベット語両方で、




「観其音声皆得解脱」とある。

これは観音経にあることばで、
「この鐘の音を聞けば皆安らかな境地に至りますよ」という意味だそうだ。

渋い…渋いよ、円万寺。。

巨木がうっそうと茂る山麓にひっそりとあり、花巻の田園風景を眼下に見渡せロケーションも最高。



あぁ、本当に来てよかった花巻。。
なんならもう一回来たいくらいだが来週末は東京なので残念、また来年か…。
(秋口にアンコール、なんてことは絶対にないよなぁ)

ということで『多田等観展』、7/6(日)までです。