チベせん日記 -372ページ目

花巻紀行~多田等観【オマケ】


チベせんブログ


カップリングのチケットを購入したので、あざとく『宮沢賢治記念館』にも寄ってきた。
目と鼻の先にあるのにこちらは打って変わって大盛況!!やはり知名度の問題か…。
静かな森の中にあり、ロケーションが素晴らしい。
が、展示品は鉱石、浮世絵、宗教関係、宇宙&物理の書籍、レコードetc…、賢治が興味を示したものがなんの脈略もなく雑然と展示されており、とにかく見づらい…。
しかぁ~し!!ここでも我々はしっかりチベ関連のものを発見する^^

まずは仏教学者、島地大等の写真。この人は多田等観をチベットへ導いた人であり、チベット滞在中の等観を内地から指導、助言し続けた方で、大等がいなければ等観のチベットでの業績もこれほど偉大なものにならなかったかもしれない、と言われるほどの大変な仏教学者だ。ご本人も大谷探検隊の一員としてインドの仏跡探検に参加されたことがある。

賢治は大等の法話にいたく感激して法華経に開眼したのだそうだ。

また賢治には『阿耨達池幻想曲』、『インドラの網』、というチベットを題材にした(と思われる)作品がある。
阿耨達池(アノクダッチ)とは釈尊が入滅の時にアーナンダに要望した“末期の水”を汲んだ伝説の湖であり、、これはカイラス麓のマナサロワール湖のことである。
壁には当時マナサロワールを発見した探検家、スヴェン・ヘディンの描いたカイラスとマナサロワール湖のスケッチが飾ってある。

『インドラの網』はなぜ行ったこともないチベット高原(と思われる)をここまで克明に描写できるのかと、読後にガクブル!!した記憶があるがなるほど、ヘディンの『トランス・ヒマラヤ』を読んでいたのかw
しかも大等を通じて等観のチベットの話を聞いていたかもしれないし^^;

残念ながら等観と賢治が会った、という話は未だ聞いたことがないので恐らく会ったことはないのだろう。。
年譜で見ると等観と花巻の縁は賢治没後みたいだし。。
ただ、賢治の父、政次郎とは親交があったらしく、政次郎が亡くなったときは、弔問に訪れ、二十五条衣を着てチベット経を読経したそうな。。

余談だが等観は軍の要請で北京を訪問した折、当時、北京に滞在していたヘディンから是非お会いしたいとの申し入れがあり、一度だけ会見している。チベットにいた時は会う機会がなかった二人だが、お互いのことは知っていたらしい。

あ、また多田等観に戻ってもうたw

つーわけであとは『山猫軒』でお土産かって前記の円万寺へ向かいました^^