故郷の思い出
年末のこと。
本土出身のチベット人の知人(カムパ)にカムへ行く話をしたら、カムへ行ったらどうか故郷の石を一つ拾ってきてほしい、と頼まれ、彼の故郷の町に寄った時に河原で拾って来た石を昨日渡してきた。
日ごろ、シャイでぼくとつとした感じの彼だが、この日は会った時から堰を切ったように「故郷はどうでした!?」と聞いてくる。
幸い、彼の出身の町は表向きは公安の警備も未だ厳しそうに見えるものの、実は結構ゆるゆるで、現地情勢をまったく理解しない中央政府が時折、変な締め付けの指令をよこさない限り、地方は地方でなぁなぁでやっている側面もあるんだなぁと実際に行って思った。(もちろん場所にもよるが。。)
また、彼が一番心配していた親友の消息も無事が確認できたことを伝えると、とても喜んでいた。
20数年ぶりに見る故郷の写真を何回も何回も嬉しそうに見直しながら思い出したように彼は故郷の町を説明してくれる。
カムパ友:「ここの丘がね、ゴ・チェ・タンっていうの」
ワシ:「へー、なにそれ?」
カムパ友:「チベット語でゴは頭、チェは切る、タンは広場、つまり首切り場。ここでチベット人の首を切るの」
ワシ:「ハァ?!マジでそんなことやってるの(怒)!!」
カムパ友:「ううん、今はやっていない。今は銃だからw」
…いや、そういう問題じゃないだろう。。
カムパ友:「それからこの川沿いの小屋はね、木を切る仕事の中国人が来て住んでいたところ。木をね、いっぱい切って切って川に流して中国に運ぶの。だから私が子供の時はみーんな森だったのに今は木が無くなっちゃったw」
も、森、だったんすか…。見渡す限りはげ山でほとんど砂漠でしたけど。。
カムパ友:「その切った木をね、チベット人が燃料欲しさに盗んだのがばれると、家を全部壊されちゃうのw」
ワシ:「………。」
写真に写る風景がどんな記憶につながっているにせよ、彼にとっては懐かしい故郷に違いはないのだろう。
でも、自分の生まれ故郷の話をする時に、そういう思い出までノスタルジーになってしまう人がいることを是非知ってもらいたい。
喜んでもらえて、(あー寒い中、8時間バスに揺られて行った甲斐があったなー)と思う反面、チベットに限らず、これ以上こういう悲しい思い出を故郷に持つ人を増やしてはいけない、と強く思った。