最近は、しず風 & 絆が東京にくるたびに、台風や大雨に見舞われることが多く、その影響でライブが中止になったりして、ファンをヤキモキさせることが多かった。

今回のミニアルバム「交-MAJIWARE」のリリースイベントは、幸いなことに、天気が大きく崩れることもなく、予定通りにスケジュールがすべて進行され、本当によかったと思う。

その代わりに、今回の遠征は、まるで彼女達自身が、台風や嵐のような「旋風」を巻き起こしていったという印象がある。

BIGLOBE MUSICの有本という人が、先週末にダイバーシティで行われた、しず風 & 絆のライブを初めて体験し、その興奮を「今まで見てきたフリーライブの中でも衝撃度ナンバーワン」とツイートしていたが、この日、地球上で行われた、すべてのイベントの中で、もっとも沸点の高かったパーティが、この場所での、しず風 & 絆のライブであったことは間違いないだろう。

自分自身も、ダイバーシティは、一年半前に初めて彼女達のライブを観た場所であり、当日は現場に向かう前から、無駄にテンションが上がっていた。

野外でフリーライブを行うには、やや肌寒い気温だったが、ガンダム前が熱気と興奮に包まれるまでには、それほど時間はかからなかった。

オープニングの「GET THE GLORY」から、一気に針を振り切っていくような疾走感に溢れ、会場のPAが悲鳴をあげているようにも思えた。

ステージ上のメンバー6人は、表面上はピタリと息が合っているようにも見えるが、感覚的には、何故か互いにケンカをしているようにも見える。

一曲ごとに、場内は熱を帯びてゆき、圧巻だったのは、ジュンスカのカバー曲「歩いていこう」だった。

晴子姉さんが、「ガンダムまで歩くよーっ!!」と叫び、ヲタの頭上で十八番のヘッドウォークをかます。

彼女は、体格も腕力も自分よりも優る、何十人というファンの頭上に身体を預け、スタッフの手の届かないところまで行ってしまう。

ここで彼女が、体を張って示しているのは「信頼」であり、もちろん変な真似をするような人間は、ここには一人もいない。

さらに晴子姉さんに触発されたのか、美海さんまで靴を脱いで、観客の上を歩行する。

美海さんがヘッドウォークをするなんて、初めてではないだろうか。少なくとも、自分は今まで、一度も見たことがない。

ガンダム前で記念撮影をしていた、通りすがりの一般人も、何事が起こったのかと呆気にとられた様子で状況を見つめていたが、晴子姉さんが、ガンダム下まで到着し、再びステージに走って戻ってくるタイミングで、ラストナンバーの「PINKのロケット」が始まった。

それは、まるで壊れた機関銃のような「PINKのロケット」だった。

気がつくと、ステージ上には、誰ひとりおらず、プロレスの場外乱闘ばりに、メンバーは観客エリアに突入して行き、しまいにはヲタを巻き込んでストームを起こす。

何だか、スゴいことになっているが、これが本気を出したときの、しず風 & 絆である。

さらには、オレの目の前では、美海さんがヲタにリフトアップされ、嬉しそうに両手を高々と頭上に振り上げている。

ヘッドウォークもそうだが、こんなにハッチャけた美海は初めて見たように思う。

たまたま、ガンダムを見にきていた一般人や、特設テント内のタワーレコードの店員らをも釘付けにさせた、このときのライブは、間違いなく、自分が今まで見てきたしず風 & 絆のギグの中でも、最高のものだった。

その後、時間調整をするために、MEGA WEBでエビ中の無銭ライブを観てから、本日二回目のリリイベ会場である、新宿タワーレコードへと向かう。

この場所では、ちょうど一週間前にアプガのイベントを観たが、今回、しず風で集まった客の数も、予想外に多く、一週間前のアプガと比較しても、決して負けてはいなかった。

ダイバーシティのセットリストと重複しないようにという配慮なのだろう、昼間のライブとは、曲目が一曲も被っていなかった。


中には「パンチドランカー」なんていう、今回のアルバムに収録されていない曲まで披露していたが、細かいことに執着しない、この無頓着さが、いかにもしず風らしくていい。

ここでのライブは、室内、というか店内であるせいか、数時間前のダイバーシティのような、乱痴気騒ぎとはいかなかったが、それでも最後には、晴子姉さんが、いつの間にかステージ上からいなくなり、どうしたのかと思ったら、客席後方というか、ほとんどCD売り場にまで移動し、観客を煽っていた。

ここの現場は、舞台が低く、後ろのほうの観客は、非常にステージが見づらいのだが、晴子姉さんの「乱入劇」は、そんな後方のファンに対して、粋な計らいになっただろう。

この日行われた、二回のライブを観て、彼女達が東京を離れる前に、もう一度観たいという気持ちがうずいてきた。

スケジュール的には、翌日、夕方のサンシャイン噴水広場でのライブが、今回のリリースイベントの最終回となる。

その後、夜に、池袋のライブハウスに出演することも急遽、決まったようだが、そちらは諦めて、夕方のサンシャインにかけることにした。

自分が現場に到着して、しばらくすると、しず風 & 絆のリハーサルが始まった。

この日、噴水広場で開催されていたのは、「旅フェア日本2013」というイベントで、3日間に渡り、それは行われていたのだが、その催しの一環として、多数のアイドルが、連日、出演しており、最終日のトリを務めることになったのが、しず風 & 絆ということになる。

今回のリリイベでは、いつも下手側の美空ポジションで観ていたのだが、最後の、この回だけは、上手側で観ることにした。

その理由として、何となく晴子姉さんのことをしっかり見ておきたいなと思ったからである。

この日は、わずか三曲の短いライブだったけれど、それでも不満はなかった。

そんなことよりも、彼女達が、もうすぐ東京をあとにしてしまうことに対しての寂しさが、無性に込み上げてくる。

今夜のギグが終了したら、しず風一行は、東名高速をひた走り、明朝には、きっと名古屋の自宅に到着していることだろう。

長年、東京でヲタ活をしていると、自分の生活圏でアイドルが活動をしていることが、当たり前のようになってしまい、彼女達が地方のグループであるということを、しばし忘れてしまうが、考えてみると彼女達は、名古屋のローカルアイドルなのだ。

ライブ終了後は、CD購入特典の握手会に参加したわけだが、個々のメンバーと必死に話したい欲求とかは、正直あまりないので、こういう低速握手会は、ちょっと苦手である。

仕方ないので、各メンバーに、前日のダイバーシティのライブがいかに素晴らしかったのかを伝えてまわった。

澪さんが、オレが首から下げていたペットボトルのホルダーを指さして「これ、かわいい」とか言ってくれたのには、一瞬、高まったww

美空には、前日に書いた手紙を渡したら、スゴい喜んでくれて(とうとう手紙とか書いているし←)、ほとんど手紙とか、貰ったことがないようなことを言っていたけど、自分の手紙ごときで、あんなに喜んでくれるのなら、いくらでも書いたるわ、て気になる。

Twitterだ、SNSだっていう、今の時代には、ヲタもあまり手紙とかを書かなくなったのかもしれない。

何にしても、このリリイベ期間は楽しすぎた。

おそらく年内に、また彼女達に会えるチャンスがあるだろうけど、そのときが、本当に待ち遠しく、今から楽しみである。
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しず風 & 絆にとって、初のミニアルバムが、いよいよ明日、リリースされるのだが、それに関連したリリースイベントが先週末から都内で始まった。

彼女達のライブは、10月末に、渋谷AXで行われた@JAM FIELDで観ているので、実際には、それからまだ一週間しか経っていないことになる。

しかし、正直に言ってしまうと、あの日のしず風 & 絆のライブは、本来の彼女達の魅力には、ほど遠いものだったと自分は思っている。

でんぱ組inc.やアプガ、アイスト関連の客に場内が占拠され、ヲタの数で劣るしず風にとって、超絶アウェーな状況だった点はまあ同情できる。

しかし、逆にああいう状況だからこそ、いつも以上に思いきり行儀の悪いライブを展開し、他のグループのヲタにしず風の凄みを見せつけて欲しかった。

ラストの「PINKのロケット」で、晴子姉さんが、ほとんどヤケクソ気味にフロア内の観客の頭上を歩行したが、たぶんアレは予定外の行動だったのだろう。

今にして思うと、あのパフォーマンスには、リーダーとしての責任感から、晴子さんが何とかして場内を沸かすために見せた意地のようにも思えた。

今年のTIFのHOT STAGEで、しず風を観たときにも、このときと同様の感想を抱いたが、いずれにしても「大きなハコでの対バンに弱い」という、彼女達の弱点を露呈してしまったかのようにもみえた。

それから一週間、場所を渋谷のタワーレコードB1Fに移しての、今回のライブ。

いきなり一曲目は、今回のアルバムにも収録されているラフィン・ノーズのカバーで「GET THE GLORY」。

一年半前に、何の予備知識もなく、彼女達のライブを目撃したとき、いちばん自分の心に突き刺さったのが、この曲だった。

たぶんに表層的な見方ではあるが、女性アイドルグループが日本のパンク・ロックのカバーを歌っているというのは、それなりのインパクトがあったし、面白いと思った。そして、いまだに自分自身にとっての、しず風 & 絆のフェイバリット・チューンはこの曲である。

この日のライブでも、晴子姉さんは、観客の頭上を歩行し、美空は笑顔で客席にダイブをかますという、おおよそアイドルらしからぬ「ロックの伝統芸」を披露した。

また、終演後も、この手のリリースイベントでは異例ともいえるヲタのアンコールの声に答えたメンバーは、6人全員で舞台から下りてきて、フロアの中央で観客に囲まれたながら、「しず風にのって」を歌った。

こういった演者と観客の織り成す密着感と距離の近さこそが、彼女達のライブの本質であり、真骨頂なのだろうと思う。

ライブ後の、CD予約特典では、メンバー二人とチェキが撮れるというので、いつものように、ひとりは美空を指名をしたが、もう一人はどうしようかと、悩んだ末に、晴子姉さんと撮ることにした。

しず風 & 絆の佇まいというのは、まるで巡業する旅芸人のような雰囲気があるが、それをもっとも肉体的に体現しているメンバーっていうのが、オレに言わせると晴子姉さんなんだわ。

これは自分の勝手なイメージかもしれないが、彼女の存在というのは、グループのリーダーというよりも、バーサスファミリーの座長のような雰囲気がある。(それは、チームでもグループでもなく「一座」という呼び方が彼女達には似合う)

かわいい、美しい、あるいは色っぽいとか、艷っぽいアイドルというのはいる。しかし、晴子姉さんみたいな「粋」と「カッコよさ」を備えたアイドルというのは、稀有な存在だと自分は思っている。

渋谷でのイベントの翌々日の月曜日は、ほとんど自分の生活空間といっていい中野のTSUTAYAにしず風メンバーがやってきた。

去年の秋以来だから、ちょうど一年ぶりに中野に参上した彼女達だが、こういった少しマイナーな都市でのイベントは、秋葉原や渋谷といった安定感のあるリリイベ現場とは少し違ったドサ回り感があって、それはそれで楽しい。

中野での予約特典はメンバー全員とのチェキ撮影だが、考えてみると、複数のアイドルに囲まれて写真を撮った経験とか、あまりないので結構、新鮮だったりもした。

フラゲ日の今日、さっそく今回のアルバムをTSUTAYAまで取りに行き、さきほどから何度かリピートして聴いているのだが、古い曲のバックトラックは、どうやら、今回のアルバム用に録り直している模様。限りなくライブっぽい音に仕上がっており、今回のテイクのほうが、はるかに自分好みの音である。また裏のジャケットが、ピストルズのオマージュになっているのには笑えた。

さて、あとはアルバムをたっぷり聴き込んで、今週末のダイバーシティのイベントに備えるだけだ。
21世紀になってからの、ボブ・ディランの活動内容は、現役のミュージシャンとして、ネヴァー・エンディング・ツアーで世界中を旅しながら、数年に一度、新作を発表し、また同時進行的に、過去の自分の音楽活動を総括するアーカイヴものをリリースするという、初老のロックミュージシャンとは思えないような、おそろしくエネルギッシュな表現活動を展開している。

ブートレッグ・シリーズと称された未発表音源を中心にコンバイルした作品集も、今回の「アナザー・セルフ・ポートレイト」でついに第10集まできたが、いちばん最初にリリースされた作品が3枚組CDで、なぜかそれがVOL.1~VOL.3とカウントされているので、今回の「アナザー・セルフ・ポートレイト」は正確には第8集ということになる。

また数年前、このブートレッグ・シリーズ以外にも、60年代の未発表ライブ音源がリリースされたことがあったが、何にしても、ディランのそれは、とても存命中のアーティストとは思えない過去の発掘音源の量であり、ディランファンにとっての、この10年、15年という時間は、その何倍にも匹敵するような歳月だったといえる。

さて、今回のブートレッグ・シリーズ第10集では、1969年から1971までのレコーディングセッションが収められており、主にアルバム「セルフ・ポートレイト」からの未発表曲、未発表音源が中心に収録されている。

60年代の終わりから、70年代の初めという時代を、ロック史的に考えると、歴史上、もっともスリリングな時代だったといえるのではないだろうか。

それはレッド・ツェッペリンのデビューであったり、ウッドストック・フェスティバルの開催であったり、オルタモントの悲劇であったり、マイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」であったり、ビートルズの解散であったり、ジミ・ヘンドリックスの死去であったりと、何やらもの凄い勢いで、時代がうごめいていたように思える。

しかし当のディランは、そんなロック界の喧騒に、我関せずとばかりに、呑気にカントリーを歌っていた。(69年「ナッシュビル・スカイライン」)

そして、グリール・マーカスという評論家に「What is this shit? (このクソは何だ?)」とローリングストーン誌のレビューに書かれた作品が、翌年1970年にリリースされた「セルフ・ポートレイト」である。

自分が初めて、このアルバムを聴いたのは、日本でCD化されてすぐの頃だったろうか。

何だかよくわからないインストの曲や、鼻歌のような小品、やたら音質の悪いライブ音源などが、20曲以上も収録され(アナログ時代は2枚組)、それは当時の自分にとって、イイとか悪いとかいう以前の問題であり、ただぼんやりと聞き流す以外、対処のしようがない音楽だった。そして現在においても、このアルバムに対する印象は、あのときとさほど変わっていない。従って、このアルバムを、40年以上前にリアルタイムで聴いて、思わずクソ扱いした評論家の先生の気持ちも、わからないでもない。

今回、リリースの運びとなった「アナザー・セルフ・ポートレイト」の作品群の中には、ボツ曲ながら、クオリティの高い楽曲も収録されていて、それなりに聴きごたえのある内容には仕上がっている。

だからといって、それらの楽曲に、オリジナルの「セルフ・ポートレイト」の評価や、この時代のディランの印象を根底から覆すような衝撃があるのかと言われたら、残念ながらそこまでのインパクトない。

やはり大半の楽曲は、初めて「セルフ・ポートレイト」を聴いたとき同様に、何にも考えずにボーッと聞き流してしまう程度のものだと、正直に答えなければならないだろう。

結論としては、ディラン歴10年以下、あるいはディランのCD所有枚数が10枚以内の人は、あわてて聴く必要のない作品だと思う。この先、何十年後か経って、まだディランが好きだったら、そのときに、老後の楽しみで聴けばいいだろう。