華麗なるギャツビー(2013)
※ネタバレあり
【隠された切ない想い】
1920年代、アメリカ。証券会社に勤めるニック・キャラウェイは湖畔の別荘を購入し、そこに居を構えた。仕事の余暇に落ち着いた環境で小説を執筆するためだ。しかし、間もなく彼の別荘地の近くの屋敷で、毎晩大勢を招いてのパーティーが開催されることに。騒音に悩まされ、文句の一つでも行ってやろうと彼はパーティー会場の屋敷に乗り込む。
しかし、彼はそこで意外な事実を目の当たりにする。パーティーに招かれた大勢は、誰も主催者の素性を知らないというのだ。大金をはたいて、見ず知らずの不特定多数を招き、毎晩パーティーを主催する謎の人物。ニックは興味をひかれた。
やがて、ニックは主催者のジェイ・ギャツビーと知り合う。彼の豪華絢爛で華やかな表の顔と「極上の笑顔」。その裏に隠された「切ない想い」をニックは知ることとなり・・・
【時代性をどう扱うか】
映画の画面を見ると、大体どの程度の時代に作られた作品かわかります。画質もありますが、最も分かりやすい手掛かりとなるのは「カメラワーク」。映画の歴史は、一方でカメラの進化の歴史とも言えます。
カメラの動きの少ない落ち着いた画面作りの作品は昔の作品。あらゆる角度から撮影される作品は近年の作品。そのように、おおよそのあたりを付けられる。つまりカメラワークは時代性を反映するものです。ですから、例え近年の作品であれど、往年の名作で過去の歴史を描くものをリメイクする際は、落ち着いたカメラワークで描くことが定石と言えるでしょう。
本作は、そんな定石を打ち破ります。
ワイヤーを通したカメラで俳優を上空からとらえたり、俳優を360度回り込むように撮影したり、最新のカメラを駆使してダイナミックなカメラワークで物語を紡ぎます。
過去の時代性を切り取るという観点からいえば、掟破りの手法ですが、本作に関して言えば、これが上手く作用する。
というのも本作、禁酒法時代のアメリカを描く面もありますが、主題はギャツビーの抱く理想にまつわるドラマ。彼の理想を中心とし、現実と幻想が交わる作風。どこか現実感を欠くダイナミックな撮影技法が、本作の作風とあらすじにマッチします。
賛否あったレオナルド・ディカプリオの主演というキャスティングも、私は効果的だと思います。あまりにスター性の強すぎる彼のオーラは、本作の時代性からは浮いて見えてしまいますが、そもそもギャツビーは特殊なキャラクター。
もともと貧しい家庭の出身であった彼は「アメリカン・ドリーム」を夢見て都会へ繰り出し、関わった恩人の富豪の所作をまねることで、富豪としての自己像を後天的に形成します。いわば、富豪としてのギャツビー像は、彼が自ら作った虚像。そんな作り物のキャラクター性が、ディカプリオの帯びる幻想性にマッチする。
意外で大胆なアプローチで、原作のイメージを引き立てる本作の試みは、とても興味深いものです。
【リメイクする意義】
そもそも、原作の「グレート・ギャツビー」は往年の名作として知られます。ロバート・レッドフォード主演版など、これまで幾度となく映像化されてきました。ですから、改めて制作するなら、今作る意義を提示できた方が良い。今回のバージョンのリメイクは、そんな期待にバッチリと答えてくれたと言えるのではないでしょうか。
映像的な魅力も満載の本作。多彩な演出と俳優陣の熱演には、時間を忘れて引き込まれることでしょう。ここから「グレート・ギャツビー」の世界に触れてみるのも良いのではないでしょうか。
