※ネタバレあり。
「黒の組織」において「映像記憶能力」を持つメンバー、キュラソー。
彼女が警察より持ち出したのは「黒の組織」への潜入捜査官のリスト。これが組織の手に渡れば、世界中で諜報活動に臨む大勢の諜報員の身柄が危険にさらされる。世界規模の混乱を阻むため、FBIの赤井秀一、公安警察の安室徹は逃亡するキュラソーを追跡する。激しい追跡劇の末、リストの流出は一部を除き阻まれるが、キュラソーはリストを握ったまま姿を消した。
数日の後、コナンと灰原、アガサ博士、少年探偵団は記憶喪失の謎の女性と出会う。ひょんなことから命を救われたこともあり、歩美、元太、光彦はその女性に信頼を寄せ、彼女も少年探偵団と打ち解ける。しかし、その彼女こそが逃亡中のキュラソーであり、潜入捜査官のリストは彼女の記憶の中にあると判明する。
黒の組織、FBI、公安を巻き込み、世界を揺るがすリストの争奪戦が始まる。渦中のキュラソー、そして少年探偵団の行方は・・・。
「黒の組織」への潜入捜査官のリストを巡る攻防という点では『漆黒の追跡者』の再話でもある。しかし『漆黒の追跡者』と異なり、本作は潜入捜査官のリストが物理メディアではなくキュラソーという個人の脳内に記録されているという点に新規性がある。
潜入捜査官のリストを巡る攻防を描きつつ、キュラソーの少年探偵団との関わりを描く。そうすることでキュラソー個人を中心に「サスペンス」と「人間ドラマ」を両立するスマートな構成に膝を打つ。
「映像記憶能力」という、ともすれば画面映えしにくいような題材を掲げつつも、キュラソーの能力に「色で識別することでしか記憶できない」という「制限」を設定することで、観覧車の照明というスケールの大きな舞台に誘導しつつ。大スケールのスペクタクルへ接続する手腕は見事だ。詳細な推理要素を映画映えする大スケールにどのように接続するかは劇場版コナンの宿命的な問題だが、シリーズ通して見ても本作の手腕は特筆すべきスマートさだ。
キュラソーの「映像記憶能力」に「制限」があるからこそ、後に原作に登場する「完全な映像記憶能力」を持つラムの格もしっかりと保たれる。
始めに流出した一部の潜入捜査官を無慈悲に始末する場面でしっかりとジンの冷酷さが表現され、敵の格と、カウントダウン的な緊張感がドラマをしっかりと引き締める。
キュラソーの保護を巡りコナンと連携するFBIの赤井、ジョディ、キャメル、ジェイムズ。対し、独自の捜査を行う安室の描き分けもスマートになされ諜報合戦の情勢に奥行きが生まれる。
推理要素が薄目でアクション寄りとも評される本作だが、アクションの細部にしっかりと論理的な思考が宿る。
クライマックスのアクションはスケールが大きく、やや荒唐無稽であるが、安室が爆薬の明かりで攻撃ヘリの大まかな輪郭を照らし、コナンのサッカーボールの閃光で攻撃ヘリの詳細を照らし、攻撃ヘリの弱点を赤井の狙撃で貫く戦いは論理的な流れで一本の筋が通っている。
クライマックスでキュラソーが転がる観覧車を食い止める場面でも、横から圧力を加えるという最も効果的な手段を選んでいる。アクション要素を推しつつも、推理モノとしての思考する原点を常に意識する姿勢には好感を抱ける。
原作との兼ね合いから、ジンとの戦いを描きつつも、コナン、赤井、安室の素性が伝わらないように描かないとならないという作劇上の制限にはさぞ苦慮しただろうと思うが、本作では熱源センサーというギミックを使い、ジンが敵の存在を認識しつつも、その素性が伝わらず、矛盾なく原作の世界に繋がる描写を行えるという工夫には唸った。
最も、工夫をの凝らされた本作をもってしても「黒の組織、潜入捜査官多すぎでは・・・?」という違和感を払拭するには至らなかったが、本作の完成度の高さを思えば些細なことである。
記憶に残る細部にこだわった描写は多いが、何といってもラストが印象的だ。
「記録じゃない、想い出だよ。」
少年探偵団の命を守るため、キュラソーは必至の戦いの末、命を落とす。「記憶能力」に翻弄されたキュラソーが、一瞬の少年探偵団の想い出のために命を懸けた。切なさの残るラスト、キュラソーの最期の「真実」は「映像記憶能力」の有無を問わず、我々の心に残ることだろう。
