※ネタバレあり。
久しぶりにアベンジャーズ/エンドゲームを見た。
MCU=マーベル・シネマティック・ユニバースとは何だったのか。本作はその答えを提示する。
幅広く作品間で世界観を共有することで多様な背景を持つヒーロー達を生む土壌なのか。あるいはヒーロー映画を箱売りすることで相乗効果的に莫大な利益を上げる拝金主義の産物なのか。
本作エンドゲームの答え、それは「MCUとは、異なる人生を歩む人々が繋がるための場所」ということだ。
人にはそれぞれのコミュニティがある。仕事で、性格で、社会的属性によって、人は「自分と似た人」と繋がる。そうすることで救われる瞬間もある。しかし、「フィルターバブル」のごとく、近しい人間同士で固まってしまえば変化は起こらない。
MCUは一人一人が主人公の世界だ。「兵士」として立場を築き、英雄視されることとなったスティーブ・ロジャース=キャプテンアメリカ。「経営者」からヒーローへと、数奇な運命をたどるトニー・スターク=アイアンマン。
彼らはいわば別世界の人間で、本来交わる存在ではなかった。しかし、MCUという世界観がお互いを繋いだ。
現実でも、異なる業界に属する人同士が出会ったとき、革新が起こる。違う分野の視点を知ることは、人を大きく成長させる。スティーブとトニーの関係性もそうだ。
自己犠牲的精神のスティーブはトニーを通して自分の人生と向き合う勇気を学び「自己実現」する。
自我を貫いてきたトニーはスティーブと出会い「自己犠牲」の運命と向き合う。
それだけではない、アントマン=スコット・ラングが持ち寄ったアイデアとピム粒子で「タイムトラベル」の可能性が拓かれ、ブルース・バーナーとトニーがその可能性を実現させる。
ソーとロケットは宇宙での経験から「インフィニティ・ストーン」の所在を明らかにし、スティーブが強烈なリーダーシップで作戦実行までの舵取りを行う。
MCUで描かれてきた人と人との「繋がり」が一つへ収斂し、逆転への鍵となる。MCUが映画世界の共有し、「人の繋がり」を描いた意義が結実するのだ。
そして、MCUの描く繋がりは「空間」を超える「横の繋がり」に留まらない。「時間」を超える「縦の繋がり」までをも描く。
本作で「タイムトラベル」が描かれる。ヒーロー達は大切にしてきた過去と今一度向き合い、その体験を未来を切り開く原動力とする。
「過去に学ぶことは、未来を拓くこと」なのだ。
翻って本作のヴィランのサノスはどうだろう。彼は、改心した娘のネビュラを見ても変わらなかった。異なる時間軸の自分の敗北を見ても変わらなかった。
更にはアベンジャーズに向けて、勝利の際には「過去との繋がりを断ち切る」と豪語した。
サノスにとってMCUとは「他者と繋がるための場所」ではなく、「自らの野望のための狩り場」でしかなかった。
だからこそ、サノスの野望はトニーの「自己犠牲」のもとに敗れ去る。
「自己犠牲」とは、「他者との繋がり」があって初めて成立するもの。
守るべきもののために「自己犠牲」するトニー。
野望のために他者へ「犠牲を強要」したサノス。
掲げる大義の優劣ではなく、大義のために個々人が「どのような行動」がとれるか。
この二者の対比と決着こそが、本作の本質であり、MCUの意義が最も強く表現される瞬間なのだ。


