生い立ち | THUNDERオフィシャルブログ「REAL THUNDER」Powered by Ameba

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やまん!

アメブロ見てくれてるみなさん

お久しぶりです

最近はパソコンが

潰れてラジオもストップしてましたが

また再開しますので是非聴いてください



そしてこれからは、

ラジオでは話せない長い内容

最近時間がある時に書き溜めてた

自分の生い立ちを、なぜこうなったのかを

ブログに書いていこうと思います。

長くなりますが

多分俺みたいな人生なかなかなくて

おもしろいと思うから是非読んで下さい



生い立ち



1.「生まれから小学校まで」


1989年1月13日

平成になって間もない頃

鹿児島県の奄美大島の大自然の中で

5人兄弟の末っ子として俺は生まれた

母も父も奄美で生まれ育った人で

なまりはすごい

俺が生まれた時おばあちゃんが

何を感じたのか

「この子は大物になる」

って言ったらしい



大人になってから聞いた話で

その頃は森の入り口に住んでたらしく

おやじ自作のツリーハウスがあって

いろんな動物を飼って

幸せな生活を送ってたらしい



それから

俺の家族は親父の仕事か何かの都合で

俺が1、2才の頃に一度豊中に引っ越し

奄美に帰ったりして最終的に

尼崎の高田町に落ち着いた

1番最初、意識がはっきりしたのが

多分3、4才の頃

尼崎の浜にあるホームセンターで

姉と手を繋いで歩いてた

そこから全ての記憶が始まる




住んでた家は昔よくあった長屋で

一階と二階をかりて、7人家族で住んでた

高田町は神崎、戸内の隣で

尼崎の中でもかなりGhettoやった

家は凄い貧乏で

たまに電気とかガスとまったり

明らかにお金がないのはその頃から

わかってた

大人になってから聞いた話

親父は大工で、おかんはパート

収入はちゃんとあったらしいけど

おかんがギャンブルやなんやで

使い込んだお金が借金になって

いつも支払いに追われて

おかんはいつも玄関先で

「もうちょっとだけ待ってください」

て言ってるのを子供ながら見てた

その頃から

おかんとおとんの喧嘩はあったけど

まだたまにするぐらいやった




悪い話ばかり先にしたけど

俺が小さかったせいかまだその頃は平和で

家族も仲は良くて

夏休み海にキャンプにいったり

遊園地も1、2回は行った記憶がある

家族のいい思い出は普通の家より

少ないのかもしれない

それでも誕生日はケーキを食べたり

出たばっかりの任天堂64を買ったり

みんなでマリオをしたり

それなりに最低ではなく

俺はみんなに可愛がられて

家族に愛があったのを覚えてる

きっとその頃は凄い無邪気やったと思う




甘えん坊の俺は

保育所に入る時も

おかんと離れたくない

ここどこ、怖いって

泣き喚いていた記憶がある

でも保育所にはすぐになれて

なぜかよく折り紙をしていて

手先が器用て褒められてた





少し時間が経って

俺が小学生になる3ヶ月前

いつものように兄弟5人二階で寝てた

冬のまだ暗い5時ぐらい

あわてて起こされて周りを見たら

家の中がぐちゃぐちゃになってた

まだその時は何が起きたのかわからず

自分が震えてたのを覚えてる

玄関が歪んでてドアが開かず

兄が必死に力ずくて開けて

外に出たら長屋の瓦の屋根が

大っきく歪んで崩れ落ちてて

近所中パニックになってた

そのあとラジオかニュースかなんかで

阪神淡路大震災

が起きたことを知った

もし揺れがもうちょっとおっきかったら

建物は潰れてみんな死んでたかもしれん

と考えると今でもぞっとするし

生きててよかったと思う




それから長屋を改修工事するために

家族全員で

近くの小田北中学校に避難して

約1ヶ月ぐらい避難所生活をした

その時も余震が激しく

くるたびに

みんなが怖がってたのを覚えてる

なんとか家も直って

普通の生活に戻ることができた




話が少しかわるけどその頃の俺は

寝る時に目を瞑りながら

なぜ宇宙があってなぜ

自分は自分の視点でしか見えなくて

人は人で、地球はなんであるのか

宇宙はどこまで続くのか

そんなことばっかり考えて

なかなか寝つかない日もあった



その後

浜小学校に入り小1になった俺は

なかなか学校ではみんなに馴染めず

集団登校が一緒な友達何人かと

よくゲームをして遊ぶようになった

そのなかに堀川て奴がいて

そいつだけ少し違うタイプで

2人でイタズラをするのが好きになった

なぜそうなったのか

スリルが好きで

近所のマンション全部

ピンポンダッシュしたり

火薬をグルになって万引きしたり

公園で火遊びしたり

とにかく小1ではおかしいぐらい

イタズラ好きやった


女の子の友達の家

ピンポンダッシュした時

タイミングよくすぐドアが開いて

ドキッとした

友達のお母さんがでてきて

「あら珍しいね、〇〇ちゃんもうすぐら帰ってくるからゆっくりしていき」

て言われて断る言い訳がわからず

何の用事もないのに

家に上がってお菓子をもらった

いろいろなことが学校にバレて

放課後学校に残されて怒られた

今考えるとめっちゃ申し訳ないし

めっちゃあほや。笑




小2の頃、近所の友達の誘いで

俺は浜少年野球団に入り

野球を始めた

野球は自分に凄い合っていて

楽しかった




小3の頃

家が潮江の

ボロボロながら一軒家に

引っ越すことになり転校した

尼の唄にもあるように

潮小学校(ダウンタウンの母校)

のみんなはいいやつで

1クラスしかないせいか

みんな優しくしてくれた


野球もその頃

潮ブルーナインて言う

近所の弱小チームに入団し直した

雨で野球が休みの日とか休みの日は

親父が天理教でよく家族一緒に

神様に向かって拝んで

奈良の天理市にもよく連れて行ってもらった


一方、

音楽との出会いは

昔からおかんが

美空ひばりをよく聴いてて

歌ってたし、今も

いろんな歌が頭に残ってる



小5の時

俺が初めて買ったCDは、ゆずえんで

ゆずの2枚目のアルバム?

その後ハマりすぎて

ゆずの全部のアルバムをそろえた。笑


姉のゆみ(次女)

も音楽が好きで

同じ頃、ZEEBRAをすすめられて

夜寝る時聞かされてた

その時はよくわからず怖いて言ってた

記憶がある。笑

でも今考えると

それが自分の人生を変えるきっかけ

になってたんやと思う




小6の時

ちいろと甲子園見に行って

智弁和歌山の春の優勝を見た

のちにヤクルトに入った

武内の打球は凄まじくて

かっこよくてとにかくくらって

俺も甲子園に出たいと思った






潮小学校では野球好きが多くて

昼休みはバスケ放課後はみんなで野球

(できない日はゲーム)

毎日やってた


その頃に出会ったのが

あっくん、ちいろ、だいき

のちに尼爆クルーになるメンバーやった

他にも友達はいろいろいた

俺はよく仮病で休んだりしてたけど

一瞬に感じるほど卒業するまで

とにかくみんな仲良く楽しい

潮小学校やった




1つ悲しい思い出は

潮ブルーナインのチームメイト

年下の桜井くんがガンで亡くなったこと

葬式の日は

号泣した

あの時、こんな子供でも

死ぬことがあるのか

生きてることをありがたく思わないとな

と子供ながらに感じたのを覚えてる



続く、、、