古都、老翁(壷公)がいた 翁は大壺を持ち 毎夕刻 壺に躍り入る              傾国に翁が世辞を語る/【壺公慷慨】

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 媚薬を売る壺公仙人(涯 如水)が愚考・独行・栴檀の日々 それ 快適にして快活   愚考する諸々に呵呵大笑  日々之好石碑 
 放浪生活は人生の過半に及び  齢七十歳を迎えるも  デラシネ(根無し草)の彷徨から次なる世界に・・・・・ 涯 如水

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今日は何の日Date of Evil / “いびる”のカレンダー=11月28日= ≫

〇 マゼランがマゼラン海峡を通過。太平洋を命名(1520年)=南アメリカ大陸南端とフエゴ島とを隔てるこの海峡は暴風荒れ狂う難所。2015年に至るまでの日本国の歴史で日本籍の軍艦がマゼラン海峡を通過した事は無かった=

 

〇 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』が初演(1811年)。言っておくがフランスの山師に捧げた訳ではない!!

 

〇 時の政府の肝煎りで、白人と富裕層専用の社交クラブ・鹿鳴館がオープン(1883年)。=蛇足ながら、〝鹿鳴”とは宴会/オモテナシの事にて、鹿鳴館は異人様を有閑貴婦人が体を張って接待しXXXし芋茎の涙に狂喜感嘆する秘密社交場=、この日を記念して日本ボールルームダンス連盟により開館日にあたる今日をダンスの日に制定。

 

〇 フランキー・レインの「Rollin' rollin' rollin'」が全米の電波に乗り始め(1959年)、数年後にはそのテーマに乗る格好でサントリーウィスキーの売り上げが伸びる。

 

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☆彡 【連載】世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅 彡☆

★ 第7回 イギリスの食卓に欠かせないソースとは 前節=1/3= ★

 

 

 イギリスにロイヤルベビー、ジョージ・アレクサンダー・ルイ王子が誕生したのは7月22日のこと。 うだるような蒸し暑さも一瞬忘れさせてくれた、おめでたいニュースだ。 ビールを片手に、パブで祝杯をあげる人びとの様子をテレビで見ていると、ある疑問が頭に浮んだ。

 

 「イギリス料理はまずいって言うけれど本当なんだろうか」

 

 そもそも、イギリス人は普段どんな食事をしているのだろう。 フィッシュ&チップスは有名だけれどスナックみたいだしな……などなど、気になり出したら止まらない。 そこで今回は、イギリスのソウルフードを探す旅に出かけることにしました。

 

 窓に掲げるユニオンフラッグに導かれるようにして入ったのは、東京・目黒にある店「目黒タバーン」。 U字型のバーカウンターを中央に配した店内はイギリスの家具で統一されていて、ユーラシア大陸を飛び越えて一気にロンドンにやってきたような錯覚に陥る。

 

 「タバーンは一言で言うと“食事ができるパブ”という意味です。 東京には自分が行きたいと思う本格的なイングリッシュパブがなかったので、1998年にオープンしました」  そう話してくれたのはイギリス人オーナーのガース・ロバーツさん。 本場の酒と料理を求めて、多くのイギリス人が訪れるこの店を切り盛りするガースさんに、ソウルフードは何か尋ねるとひとつの料理を出してくれた。

 

 「シェパーズパイです」  表面にほどよい焼き色がついたその料理は香ばしさが食欲をそそるが……あれ?「パイ」なのにパイ生地がない。

 

 「上に盛られているのはマッシュポテト。 シェパーズパイは牛か羊の挽き肉に、パイ生地の代わりにマッシュポテトをのせて焼く、イギリスの家庭料理なんです」

 

 

 ※ フィッシュ&チップス : フィッシュ・アンド・チップス(fish-and-chips)は、イギリスを代表する料理の一つ。 タラなどの白身魚のフライに、棒状のポテトフライを添えたもの。 イギリスではファーストフードとして親しまれ、長い歴史がある。

  19世紀中ごろのイギリスでは、既に魚のフライとポテト・チップスが店舗で販売されていた。 魚のフライの販売業はロンドンを発祥としており、1840年代のソーホーでは魚のフライをごく普通に購入することができた。

 

 ポテト・チップスの販売業はランカシャーを中心とする工業地帯で始まったが、これはイギリスにおいてジャガイモを食用にする習慣は北部から広まったことに由来する。 二つのフライが「フィッシュ・アンド・チップス」として一緒に販売される形態が普及するのは1860年代以降である。

 これには産業革命により急速に整備された鉄道輸送が寄与しており、ミッドランド・ディストリクトやリンカンシャーなどの地方からジャガイモと魚が大都市に運ばれることにより食文化として成立することとなった。

 

 20世紀の初頭、ロンドンには約1200軒のフィッシュ・アンド・チップスが存在していた。 フィッシュ・アンド・チップスは庶民にとっての最初の外食産業であり、1930年代になると中流階級もフィッシュ・アンド・チップスを利用するようになる。 井戸端会議の集会場、若者のたまり場としてフィッシュ・アンド・チップスは都会の労働者階級の社交場としての地位を確立する。

 

 パブの衰退と同時期に、パブよりも健全なたまり場であるフィッシュ・アンド・チップスの台頭が始まる。 1913年には英国国立フィッシュ・アンド・チップス協会 (The British National Federation of Fish Friers) が設立され、フィッシュ・アンド・チップスの売り込みと調理法の教育が提供された。

 

 

・・・・・・・・つづく

 

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今日は何の日Date of Evil / “いびる”のカレンダー=11月27日= ≫

〇 クレルモン教会会議の最終日に教皇ウルバヌス2世が第1回十字軍の実施を宣言(1095年)。以降、1272年までの177年間で、ヨーロッパ側がエルサレムを確保した期間は1099年から1187年、および1229年から1244年の103年間ということになる(以後、20世紀までイスラムの支配下に置かれる)。割の合わぬ事業でイスラムは強し。

 

〇 フランスの鉄道教徒アルテュール・オネゲルが死去(1955年)。自らの信仰告白である『パシフィック231』(1923年)が大ヒットしたものの、その30年後に『私は鉄オタではない、作曲家である』と殆ど自己否定とも取れる著作を出した。

 

〇 伊勢湾台風のドサクサで、近鉄王国が三重から愛知へ本格的に進出(1959年)。三重県が近畿に乗っ取られるという危機感が、俄かに東海地方で高まった。

 

〇 日本一有名な軽音部員・平沢唯の誕生日(1991年)。

 

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★ 第6回 メキシコ、追憶のチョコソース 終節=3/3= ★

 

 

 「いまはミキサーがあるけれど、昔は材料を石臼ですっていました。 それを煮て漉してと、とても手がかかる。 そうやって祖母が作るモレがいつも待ち遠しかった。 店の名前『テピート』はメキシコシティにある町の名前なんですが、貧しい人たちが住むスラム街のようなところ。 そこで育った私にとって、たくさんの材料が必要なモレは、誕生日や何かの記念日にだけ食べられる、高級な料理でもありました。だからモレは“おばあちゃんの味”であり、“嬉しい日に食べる特別な料理”なんです」

 

  チョコレートの原材料であるカカオの原産地は中南米だ。 メキシコでは古代からカカオを食し、また金や銀と同じく硬貨として使うなど貴重に扱われてきた。 モレは17世紀、権力者に出すために修道院で作られたのが始まりだという比較的新しい料理だが、ハレの日に食べるのは手が込んでいるからだけではなく、メキシコ人が大切にしてきたカカオの歴史的背景もあるのかもしれない。

 

 

  実はメキシコ原産の食材は多い。唐辛子、トウモロコシ、トマト、サツマイモ、インゲンマメ、アボカドなど、日本の食卓にもなじみ深いものばかりだ。唐辛子がインド料理に幅を与えたし、イタリア料理にトマトソースは欠かせない。 メキシコ(アメリカ大陸)の発見が世界の食文化に与えた影響を考えると、メキシコ料理が無形文化遺産に登録されるのも頷ける。

 

 そのメキシコの主食はトウモロコシだ。 「モレを巻いて」と久美さんが出してくれたのは、トウモロコシをすりつぶし薄くのばして焼いたトルティーヤ。紀元前4000年前から食されてきたメキシコの国民食で、肉や魚介類、野菜から煮込み料理まであらゆるものを巻いて食べるという。いわゆる「タコス」である。

 

 「タコスというと、揚げたトルティーヤに挽き肉とレタス、トマト、チーズを巻いたものだと思っている人もいますが、あれはアメリカで生まれた食べ方なんですよ。 いつも食卓に出て料理と一緒に食べるトルティーヤは、日本でいうごはんのようなものですから、タコスをたとえて言うなら丼でしょうか」  

 

   ごはんに天ぷらをのせれば天丼、すき焼きをのせれば牛丼になるのと同じようなものだと久美さんは言う。「モレ丼か」。モレタコスを噛みしめながらそう呟くと、メキシコの伝統料理がなんだか身近に感じられた。

 

※ タコス : タコスまたはタコ(スペイン語単数形:taco)は、メキシコ料理やテクス・メクス料理、ニューメキシコ料理の軽食である。メキシコを代表する料理のひとつで、メキシコ人の主食であるトウモロコシのトルティーヤで様々な具を包んで食べる、まさに国民食と言えるものである。"taco"という単語その物が「軽食」を意味する。タコスを専門とする飲食店をスペイン語でタケリーア(Taquería)という。

 

石灰水処理したトウモロコシをすりつぶして作る生地(トルティーヤ・マサ)を薄くのばしてコマルや鉄板で焼いたトルティーヤに具を盛り、好みでライムの汁をしぼってかけたり、サルサをかけて食べる。北部メキシコではトウモロコシの代わりに小麦粉のトルティーヤが使われることもある。

 

具は多岐にわたる。主にカルネ・アサダという牛肉の小さめのサイコロ・ステーキ、カルニータという焼いた(または蒸し焼いた)豚肉を細長く引き裂いた肉などの上に、刻んだ玉葱、シラントロなどが盛られる。牛タンの煮込み、ウシの脳、臓物の塩焼き、ブタの頭、鶏肉、羊肉やヤギ肉、豚肉を薄くスライスしてドネルケバブのように回転させながら焼いたアル・パストール(ドネルケバブ式の調理法はレバノンからの移民がもたらしたものである)、バルバコア、チョリソなど、具の種類は無数に存在する。

 

肉類以外にもエビ、フリホレス・レフリトスやチーズ、キノコ、ノパル(nopal、ウチワサボテンの若い茎節)、カラバシータ(calabacita)というズッキーニに似た瓜の雌花なども使われる。 具の内容には地域色が出ることがあり、例えばバハ・カリフォルニアを起源とするタコス・デ・ペスカード(フィッシュ・タコス)では、白身魚のフライなどが使われ、薬味としてキャベツの千切り、ピコ・デ・ガヨならびにサワークリームまたはシトラス・マヨネーズソースが使われる。

 

カリフォルニアではフィッシュ・タコスがしばしば屋台で販売されており、上にキャベツが乗ってコールスロードレッシングがかかっているのが特徴である。昆虫食の盛んな地域では、昆虫を具にすることもある。

 

 

・・・・・・・・つづく

 

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今日は何の日Date of Evil / “いびる”のカレンダー=11月26日= ≫

● 11月26日の誕生花はペチュニア、花言葉は「決して諦めない」。決してカサブランカではない。君の瞳にカンパイ!!

 

〇 明治天皇が江戸城に入る。名称を東京城と改めて皇居とする(1868年)。以来、田舎の町が帝都となり、江戸っ子は地方よりなだれ込んだ渡来人に飲み込まれて行った。

 

〇 お湯をかけて3分間で写真ができるインスタントカメラが発売(1948年)。

 

〇 国鉄がこの日より8日間全線運休、しかしトラックだの私鉄だの自家用車だのの代替手段で用が足せてしまう現実を見せつけられ、結果的に国鉄の地位低下を咋にする結果に(1975年)。

 

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★ 第6回 メキシコ、追憶のチョコソース 中節=2/3= ★

 

 

   「モレですね」 とチューチョさんはメキシコのソウルフードを断言する。  なんでしょう、ソレ。 名前からはまったく想像できません。   詳しく聞くと、チョコレートを使ったソースのことで、転じてそのソースをかけた料理をモレと呼ぶのだそう。 

 

   「一番好きなのは鶏肉のモレ」とチューチョさんは言うけれど、鶏肉のチョコがけって……。

 

  怪訝な顔をしていると、奥さまで店のオーナーシェフ・滝沢久美さんが「モレ」を出してくれた。  焼いた鶏肉にたっぷりとかかっているソース、色は確かにチョコレートだ。  しかし、ほんのりと甘さが漂うものの、スパイスのような刺激的な香りも感じられる。 そっとなめてみる。最初に舌が受け止めたのはピリッとした辛み。

 

   その意外性に驚いているとチョコの風味がやってきて、やがて深いコクへと変わる。甘みも苦みもうまく混ざり合っていてすごくまろやか。 見た目は素朴なのに、なんて味の豊かなソースなんだろう……。  

 

   モレを味わう表情がよほどニンマリしていたのだろう、久美さんが笑いながら説明する。  「モレはチョコレートにいろいろな素材を混ぜて作るんです。 唐辛子やニンニク、玉ネギ、クルミ・アーモンドといったナッツ、クミンなどのスパイスと、種類や分量はお店、家庭ごとに違うから、店の数、家の数だけレシピがあることになります」  鶏肉にはほとんど味がついていない。

 

  テピートでは皮がパリッとするので焼いているが、茹でるだけという場合が多いそうだ。  でも、きっとそれでいいんだ。 シンプルだからこそ肉のうま味がモレと見事に絡み合う。  主役は肉ではなく、あくまでモレなのだろう。

 

  「モレは首都・メキシコシティの南東約120kmのところにあるプエブラという町で生まれました。 プエブラは私の祖母の出身地で、モレは祖母、曾祖母と代々受け継がれてきたんです」。  鶏肉のモレをほおばっているとチューチョさんが、モレについての思いを語ってくれた。

 

 

※ モーレ(モレ)の種類 : モーレ・ポブラーノ = メキシコのプエブラ州がその名の由来であるモーレ・ポブラーノ(mole poblano、プエブラのモーレ)は、メキシコ料理で一般的なソースであり、アメリカ合衆国で「モーレ」といえばこのソースを意味する。

   モーレ・ポブラーノは、唐辛子(通常、ポブラーノ (Poblano) 、パシーヤ (Pasilla) 、ムラート (Mulato) 、チポトレ)、挽いたナッツまたは種子(アーモンド、ピーナッツ、ゴマの種子)、香辛料、メキシコ産チョコレート(カカオ粉に砂糖、シナモン、場合によりナッツを混ぜたもの)、塩、および焼いたアボカドの葉、タマネギ、ニンニクなど様々な他の材料で作る。

   挽いたオレガノのような乾燥させた調味料も使われる。また、ソースにとろみを付けるため、トルティーヤ、パン粉やクラッカー、マリー・ビスケット (Marie biscuit) などを混ぜる。最後に茹でた鶏肉やシチメンチョウを軽く煮込んで仕上げる。

 

モーレ・デ・カカワテ = モーレ・デ・カカワテ(mole de cacahuate、「落花生のモーレ」)は挽いたピーナッツとトウガラシで作り、鶏肉を煮込む。

 

モーレ・ベルデ = モーレ・ベルデ(mole verde、「緑のモーレ」)は、ロメインレタス(立ちレタス)、シラントロ(コリアンダーの葉)、エパソーテ(アリタソウ)、パセリ、トマティーヨ、青唐辛子などで緑色に仕上げたソースである。

  モーレ・ベルデ・デ・ペピータ(mole verde de pepita)には炒ったカボチャの種が、モーレ・ベルデ・デ・カカワテ(mole verde de cacahuate)にはピーナッツが入る。ソースが出来上がったらアヒルの肉や豚肉を煮込んで仕上げる。

 

モーレ・ネグロ = オアハカ州のモーレ・ネグロ(mole negro、「黒いモーレ」)は、チレ(チルワクレまたはワヒーヨ (Guajillo chili) 、パシーヤ、ムラート)を種と果肉に分け、種は黒くなるまで炒ってから火であぶったトマト、クローブ、オールスパイス、タイム、マジョラム、オレガノと合わせ、別々にラードで炒めた胡麻・アーモンド・ピーナッツ・シナモン・レーズン・タマネギ・ニンニク・トトポス・パン・プランテーンを加えてミキサーにかけ、これをラードで炒める。

  チレの果肉は火であぶってから湯につけてもどし、ミキサーにかけてソースに加え、さらに煮込む。最後にメキシコ産チョコレートと鶏のゆで汁を加えて煮込み、塩ゆでした鶏肉を混ぜて完成となる。

 

 

※ 調理法 : モーレの調理法は様々であるが、一般的な調理法では、材料の乾燥した唐辛子、刻んだタマネギと一片のニンニクを油で軽く炒める。 乾燥唐辛子を加えて煮た鶏肉の煮汁と残りの材料をミキサーで混ぜ、大きな鍋に移し、とろ火から中火にかけてソースを混ぜ続ける。

   家電製品が普及する以前は、マノ(すり棒)とメタテ(石皿)でソースの材料をすりつぶしていた。 鶏肉の煮汁と共にパン粉やクラッカー、トルティーヤ、マリービスケットをミキサーに入れ鍋に加える場合もある。 モーレを家庭で簡単に調理するための製品が小売店やスーパーマーケットで売られている。

    ペーストまたは粉末で、色は材料により濃い黒から緑色、黄色の場合もある。現代のスーパーマーケットや雑貨店では、モーレは缶入り、瓶入り、または水やブイヨンで溶く固形で販売される。

 

   グアテマラでもソースで煮込んだ肉料理をモーレと呼ぶが、「プラタノス・エン・モーレ」(plátanos en mole)というとチョコレート、トマト、トマティーヨ、レーズン、シナモン、パン粉、砂糖で甘いソースを作り、揚げたプランテン(料理用バナナ)の厚切りを加えて煮込んだデザートを指す。 エンチラーダを作る際にサルサの代わりにモーレをトルティーヤにからめると、エンモラーダ(enmolada)となる。

 

・・・・・・・・つづく

 

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